フィリピンの恵まれない児童に学校を! 給食を! 教育こそ貧困の連鎖を断ち切る力になる

ボランティアの声2012年

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C.Iさん フィリピンでの生活

PIC_0821 フィリピンでの滞在は私にとって最高の思い出のひとつとなり、たくさんのことを教え与えてくれました。まず、一番嬉しかったことが、ホストファミリーが「私たちはあなたの第二の家族だよ」と言ってくれたことです。フェアウェルパーティーでは私の名前付のパーカーをオーダーメイドで作ってくれ、帰国でバランガイを離れるときは、皆が”I’ll miss you”と言ってくれ、離れてしまうのが本当に辛く思いました。帰国後もスカイプをしたりメッセージを送りあったりと、常に連絡を取っており、本当に私にとって第二の家族のような存在となりました。2つ目に、フィリピンの子供たちの笑顔はいつも輝いていて、素敵であったことと、バランガイの人たちがとても親切であることが印象的でした。フィリピンは真夏でないにも関わらず、予想以上に暑く、日中の学校建設の活動では常に汗だくで少し大変でしたが、子供たちの笑顔にはいつも癒され、励みになりました。彼らの笑顔は心から笑っていて、本当に素敵でした。また、バランガイの人たちは皆優しくて、親切でした。目が合うと必ず手を振ってくれ、街全体で私たち日本人を受け入れてくれました。近所同士だったら親戚でなくても勝手に家に上がってご飯を食べて行っちゃうような、信頼しあっている文化が少しうらやましく思いました。バランガイは、昔の日本のような雰囲気で、今の日本には欠けている人の温かさが溢れていました。3つ目に、発展途上国のフィリピンの現状を実際に肌で感じ、知られたことも、この活動を通して学んだことです。今までフィリピンについて何も知識がありませんでしたが、実際に現地に行き、ホームステイをしてみて、発展途上国の現状を直に知り、多くの衝撃を受けました。バランガイでの生活は、tricycleに乗ったり、トイレを流すのにバケツを使ったりと、初めて経験することばかりでした。皆で遠足へ行くことは珍しかったりと、私たち日本人では当たり前に経験してきたことが、彼らには貴重な経験であることに、とてもショックを受けました。どうしてこのような現状になってしまったのか、発展途上国の貧困さを改めて考えさせられました。また、今回の活動は最初から友人が一人もいない状況での参加でしたが、活動を通してたくさんの友人を作ることができたことも素敵な思い出となった理由のひとつです。出発前は友人を作れるか不安でしたが、徐々に打ち解けることができ、活動後でも交流するような深い友人を作ることができました。参加者は皆良い子たちで、とても仲間に恵まれました。また、他大学の学生と交流することで、友人の輪が広がりました。

最後に、前述にあるように、フィリピンでの生活は想像以上にたくさんの素晴らしい思い出を残してくれました。今まで海外ボランティア活動は経験したことがなく、どのようなものかわからないままでの参加でしたが、忘れられないかけがいのない思い出となりました。いつか必ずホストファミリーに会いにまたフィリピンを訪れたいと思っています。発展途上国を救うために自分ができることは何か考え、この活動で得たものを今後の人生に生かせたらいいなと思います。

M.Iさん 「RASAのボランティア活動に参加して」

「異文化理解」について勉強したい。それがRASAの海外ボランティアに参加した理由です。私は小さいころから「異文化」(ここでは異なる国籍や人種を持つ人々)について興味があり、大学もその分野を選択できる学部学科に進学しました。しかし、ただ資料を読み、映像を見たりするだけでは「異文化」を感じることはできず、本当の「異文化理解」とは何かと改めて考えるようになりました。そんな時に、大学の授業でRASAのボランティア活動を知りました。正直、最初はこのプログラムに参加する気はありませんでした。参加費を払うだけのお金もなく、そもそも私はボランティアに対して良いイメージを持っていませんでした。けれどもやはり、RASAの活動が頭から離れませんでした。そして、 長く悩んだ末にアルバイトをして参加費を稼ぎ、自分の目的のためにフィリピンに行くことを選びました。

実際、フィリピンでの生活は驚きの連発でした…が、それも最初だけで2、3日もすればすっかり現地に溶け込むことができました。私のホストファミリーや近所の人達はとても優しく、ホームシックになることはありませんでした。現地の生活で驚いたことは、フィリピンの人達の高い英語力です。フィリピンは第二外国語が英語であるため、ホストファミリーや近所の人達はとても流暢に英語を話していまいした。13歳の少年と日本の車について英語で話しているとき、自分の英語力の無さを実感し、もっと英語を話せるようになりたいと強く願うようになりました。また親族との関係がとても深く、家族で一緒に住むのはもちろんのこと、親せきが歩いてすぐのところに住んでいるので頻繁にコミュニケーションをとりに来てくれました。タガログ語で話しているときはもちろん何をはなしているのかはわかりませんでしたが、お互いにとても仲が良いのだなと感じることができました。日本では核家族化が進んでおり、実際私も親せきとは遠縁になっているので羨ましく思いました。フィリピンの人達は人との繋がりをとても大事にしていました。

「貧富の差が激しいフィリピン。」ホストファミリーと過ごしている時はその事実を忘れていました。実際、私のホストファミリーは裕福でしたし、貧しいと感じるのは文化が違うからと勝手に解釈をしていました。しかしマニラに行ってみると貧困を感じずにはいられない状態でした。特にスモーキーマウンテンに行った時は衝撃的でした。悪臭が漂うところで生活をしており、彼らが私達を見る目はあきらかに盗みの対象となる「獲物」といった感じでした。また、マニラで食事が終わった後に乗ったバスから少年に物乞いをされました。その少年はバスが動きだしても追いかけきて、日本人に物乞いをしようと必死でした。

「異文化理解」をしたいなら実際に現地に行くしかないと今回の活動で感じました。この活動に参加したおかげで、本当に良い体験ができたと思います。RASAの関係者の方々やホストファミリーをはじめ、この活動に関わったすべての人に感謝したいです。

U.Uさん フィリピン滞在を終えて

 ずっと参加してみたいと思っていた国際ボランティア。中学生の時に国際協力の本を読んで以来持ち続けていた小さな夢が、このRASAの活動で叶いました。出発前日までは、様々な文化や環境の違いへの不安もありましたが、ボランティア活動にできるだけ貢献したいという期待の気持ちに胸をふくらませていました。しかし実際に行ってみると、貢献をするどころか、逆に学ばせてもらうことばかりで、自分の未熟さを知りました。その中でも最も印象に残っている点が二つあります。
一つ目は、フィリピンの方々のおおらかさ、優しさについてです。現地の方々は、私達日本人を盛大にもてなしてくださり、例え知り合いでなくても温かく接してくださいました。また、ホストファミリーの子供たちは日本の子供たちとそれほど変わらず、私はまるで日本人の友達と過ごしているかのように打ち解け、毎日を楽しむことができました。文化の違いはあるにせよ、国が違っていても親しくすることができるのだとわかり、うれしく感じました。そして、私の中である忘れられない思い出が一つあります。ホストファミリーと別れる前日の夜、名残り惜しく眠りにつけずにいたところ、ホストマザーが私の部屋に来て、キリスト教を唱えてくださったことです。「神様、私達は祐里依が来てくれて幸せでした。日本でもがんばれるように応援してあげてください。どうか私達のもう一人の娘をお守りください。」この言葉を聞いたとき、私を本当の家族のように思っていてくれているのだとわかり、思わず涙があふれました。私からホストファミリーにしてあげられたことがあるかはわからないけれど、このような温かい人々と出逢い、過ごせた時間は、私にとってかけがえのないものでした。
二つ目は、フィリピン国内で感じた貧富の差についてです。最終日にマニラを訪れたときに見かけた人々の様子は、私達が二週間滞在した田舎のパンパンガ地域とは全く別のものでした。マニラ中心部で生活費を稼ぐために大量のペットボトルを集める多くの子供達の姿を目の当たりにし、唖然としてしまいました。私は田舎で過ごした生活がフィリピンの日常だと思い込んでいたからです。この貧富の差が途上国の現状なのだと知り、少し恐ろしくも感じました。私たちがよかれと思って取り組んだボランティア活動も本当に一部の人を助けているだけにすぎず、世界にはもっと貧しい人が多くいるのだという事を思い知らされました。すべての人々が私達日本人のような生活を送れる日が来るのでしょうか。国際協力は本当に奥が深く、考えても解決のできない問題だと思います。でもこの経験を通じて、私は自分の未熟さも含め多くを学ぶことができました。ボランティアの意義は自分や世界の現状を知るということにもあるのではないかと思います。

RASAを通じて、たくさんの仲間と一緒にボランティア活動に携わり、ホストファミリーとすごし、フィリピンの文化に触れた経験は、私の宝物となりました。

R.Oさん ~フィリピンでの体験を通して~

  私は、海外へ行くのも長期間家を離れるのも、このRASAのボランティア活動に参加するまでは経験したことがありませんでした。そのため、参加すると決めて手続きをしながらも、ずっと行くかどうか迷っていて、正直空港に行く直前まで不安でした。しかし、実際に行ってみたらそういうマイナスな感情はどこかへ飛んでいき、とにかくずっと楽しかったです。フィリピンでは、多くの異文化体験をすることができました。お風呂はシャワーがなく蛇口から水をくんで使っていたし、トイレットペーパーは流せないし、食べ物はチキンや炭水化物ばかりで野菜が少なく量が多いし、日本とはいろいろなことが違っていました。はじめ慣れるまでは少し苦労しましたが、そういうことが経験できることも私にとっては楽しく、毎日毎日色んな新しい発見があり、フィリピンにいる間に早く日本に帰りたいと思ったことはありませんでした。RASAの仲間や現地のワーカーの方たちと一緒にバケツリレーでコンクリートを運んだことや、お昼にホストファミリーが持ってきてくれるお弁当の量に苦しんだこと、学校の子供たちと交流できたこと、その全てがいい思い出です。作業後には、ホストファミリーと一緒に買い物に出掛けたり、近所の子供たちと外で遊んだりしながら、フィリピンを学びました。フィリピンから日本に帰ってきて私は、「日本ってやっぱりいいな」と思うことよりも、「日本のこういう部分はどうなのだろう?」と疑問に思うことのほうが多かったです。日本にはシャワーはあるし、トイレは水洗だし、家に限らず町中、日本中が常に明るくて断然便利であると思います。しかしそれは、そのぶん大量の無駄を生み出しているのだとも思います。また、最近の日本では人とのつながりが薄れてきていて、人間関係が絡む社会問題が増えてきていると感じます。一方フィリピンの人々は皆フレンドリーでとても温かい人柄の方が多いです。近所同士の仲もいいし、知らない人でも気さくに話しかけてくれます。そう考えると、フィリピンには、便利さやお金といった経済的な豊かさではない、日本が学ぶべき豊かさがある気がします。もし、RASAに参加していなかったら、日本の内からしか日本が見えず、そういうふうに考える視点は持てなかったと思うので、この変化もRASAに参加して得ることができた財産です。この17日間は、本当にいろんなことを見て知って体験して、いろんなことを感じて考えた貴重な日々でした。私が見たフィリピンはほんの一部にすぎないかもしれなくても、私はフィリピンが大好きになったし、ホストファミリーとの絆はこれからも大切にしていきたいと思います。こんな素敵な経験をさせてくれたすべての人に感謝しています。本当にありがとうごじました。行けて、本当に良かったです。

M.Sさん RASAに参加して。

「まだオーバーしてるよ…。」9月17日夜11時。明日フィリピンに旅立つというのに、まだ荷造りが終わらない。「でっかいゴキブリがいるよ。」「帰国後1週間は家から出られなくなるほど体調が悪くなるよ。」と数々の噂を聞き、フィリピンガイドブックに掲載されている、見たことのない食事の写真に思わずため息が出る。胃腸薬、痛み止め、風邪薬、消毒液。私のキャリーバックには20kg分の不安が詰まっていた。午前10時、祈祷してもらったお守りをしっかり握りしめて中部国際空港から飛び立つ。だが、着いた先は、私の想像とはまるで違う世界だった。大きくてきれいな家。舗装された道路。いくつもある大型ショッピングモール。本当にフィリピンなのかと信じられない気持ちでいっぱいだった。私の1日は、毎朝子供たちと同じように6時に起きることから始まった。みんなでご飯を食べ、6時30分に家を出る。建設までの時間、お母さんと市場で食材を買ったり、子供たちの学校についていくこともあれば、ココナッツジュースを飲みながら近所をぶらぶら散歩することも。私を指して「あれ、アンの子じゃないよね?」と言われると、「私の旦那、日本人なんです。(笑)」なんてお母さんはいつも冗談を言う。フィリピンの人たちは本当に明るくて楽しい。作業終わりに子供たちとけん玉勝負をしたり、親戚の家でとにかく歌って踊ったり。とにかく充実した毎日だった。この作文をここまで書き終えてみて、全くボランティアのことに触れていないことを今更思い出すくらい、家族で過ごす日常生活が楽しすぎたようだ。この17日間の建設で、私は一体どれだけ力になれたのか、よくわからない。正直、自分が役にたったという実感よりも、ただただ楽しかったという感覚の方が大きい。作業はもちろん辛かったけれど、学校では子供たちが笑顔で迎えてくれ、お昼にはお母さんが愛情こもった温かいご飯を持ってきてくれる。何より、そこにはいつも、たくさんの仲間がいた。同じ志を持って17日間過ごし、共に成長してきた大切な仲間。ホストファミリーももちろん、このRASAのメンバーとの出会いも大切にしたい。自分に何ができるのかなんてまだわからない。しかし、私は確信している。私たち一人ひとりは微力だが決して無力ではない、と。私たちが作った校舎が、未来のフィリピンの子供たちに役に立てますように。またいつか、みんなで完成した校舎を見にいけたらいいな。帰国して1か月が経つ今も、たまに写真を見てはフィリピンで過ごした日々に浸る。子供たちの満面の笑顔、近所で開いてもらったさよならパーテイー、学校帰りにママと食べた屋台のおやつ、1つ1つの写真を見るたびに鮮やかに思い出が蘇る。憎らしい笑顔のジョリビーのキャラクターも、今となっては懐かしい。

これからも、いろんな国に行っていろんな人に会ってみたい。自分の目で見て肌で感じたい。思っているだけじゃ変わらないから、want to を will be に変えよう。帰りのキャリーバックには、20kg分の希望が詰まっていた。

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