フィリピンの恵まれない児童に学校を! 給食を! 教育こそ貧困の連鎖を断ち切る力になる

ボランティアの声2012年

  • HOME »
  • ボランティアの声2012年

S.Yさん 二人の女の子と私

CIMG0362飛行機で六時間半。何もせず、ボーっと飛行機に乗っていたらフィリピンに到着した。その時はまだフィリピンに来たという実感がなかった。しかし、飛行機から降りた時日本では嗅いだことのない不思議な匂いを嗅いだ。その瞬間、やっと「フィリピンに来たんだ」という実感が湧いてきた。

マニラから目的地のAngeles Gutierrez小学校までバスでの移動。目的地に行くまでに、とたんでできたつぎはぎの家、道で寝ている人、ごみの山などメディアを通じて見たことのある風景を生で見ることができた。

道が混んでいたことにより、Angeles Gutierrez小学校に到着予定より2時間も遅れた。けれども、盛大な歓迎会が行われた。「フィリピンの人は温かい人だな」と思ったが、これはまだ序の口であった。私がホームステイした家には、子どもがいなかった。しかし、ホームステイ先の家の裏と隣の家が親戚で、そこにたくさんの子どもがいた。建設のボランティアが終わって家に帰るといつも遊んでくれた。また、近所の人が英語を話せない私とどうにかしてコミュニケーションを取ろうとして毎日のように話をしてくれた。一人でいる時間がないぐらい常に誰かが私の相手をしてくれた。

17日間フィリピンでホームステイをして一番心に残ったことは、「自分の立ち位置」である。私がホームステイをした家の裏に住む、中学校に行く歳の女の子に「家にお金がないから料理を作っている。」と言われた時は何も言うことができなかった。また、小学生の女の子は、子どもの数に対して教室の数が足りていない学校へ通っている。そのため日本のように朝から夕方までは学校で勉強をすることができない。けれども、2人とも中学校の時から英語を勉強している私より英語を話すことができていた。日本は大人になっても英語を勉強したければお金を使って、英会話教室に通い勉強をすることができる。気が向けば勉強ができる環境になっている。しかし、フィリピンは働く場所がなくお金が入ってこない。教育を受ける環境はもちろん、教育に使うお金がない。私がホームステイした近くに住むフィリピンの子ども達は家にお金がないことを知っているのであろう。自分は勉強できる期間が短いということを知っているように見えた。私は恵まれたすぎた環境の中で教育を受けているのだと認識をした。けれども、学校に行っていなくても近所の人、兄弟と毎日をのんびり、笑顔を絶やすことのない生活を送っていた光景を見て日本では見られない光景だと思った。

私は、フィリピンに行く前までお金があって良い生活を送ることが幸せであると思っていた。しかし、私がホームステイをした家の近所の人々は常に支えあって毎日を過ごしていた。この光景を見て、人を幸せにするのは人しかいないのではないかと思った。「先進国である日本は発展途上国であるフィリピンから学ぶことはない。」とどこかで自分は思っていた。しかし、フィリピンで学んだことはたくさんあった。自分の常識を壊すことができた17日間であった。

Y.Iさん RASA JAPAN 2012 8月18日~9月3日

RASA 2012 ☆  M.Kさん

フィリピンの日常

子供たちが本当に可愛かった!最初の三日くらいは私の顔を見ると逃げていったが(笑)一回抱っこしてからは驚くほど懐くようになり、夜に遊んであげないと泣いて駄々をこねるほどだった。毎日作業後に帰ってくると、道端からたくさんの子供が私の名前を呼びながら走ってきた。私達が建設のお手伝いしている学校に通うのかと思うと、作業を頑張れた。早く教室が出来て、毎日学校に通えるようになって欲しいと思う。そして将来きっと幸せになってほしい。

フィリピンの家族

フィリピンの人々はとても優しく、フレンドリーだった。ホストファミリーの方々もまるで家族のように私に接してくれた。また、ホストの親戚たちも皆私に「来てくれてありがとう」と言ってくれた。彼らが「家族」と考えている範囲はとても広いのだということを知った。すべての人が優しくて、本当にたくさんのおもてなしを受けた。フィリピンの食べ物がなかなか合わなかった私に、マザーは毎日何種類も料理を作ってくれた。ある日の夕食の卵スープをお代わりしたら、それから出発日まで毎晩スープが出てきた(笑)本当に私のことを大切にしてくれていた。ありがとう。

フィリピンから帰ってきて思ったことだが、日本は核家族が中心で、家の事を親類に頼んだり、相談したりすることに対してとても遠慮している。家の中に溜め込みすぎていて少し不健全な気もする。

マニラの都市部

マニラの都市部では、日本と変わらないくらいホテルやビルが建っていた。それでも、道はごみだらけで汚く、ストリートチルドレンもいた。都市はこんなに発展しているのに、家も食べ物も無く、乞食や靴磨きなどで生活している子供が多いというアンバランスさにショックを受けた。彼らは犯罪の被害者になることも犯罪行為を行うこともあるのかもしれないと思うとやりきれない気がする。もしきちんとした保険制度があれば、保護を受けて学校に行き、教育を受けられる。読み書きさえできれば将来働いて暮らし、家族を持つことだって出来るかもしれないのに。

フィリピンに行って変わったこと

本当にいろいろ驚くようなことがあったので、日本に帰ってきてからは多少のことには動じなくなった。性格も少し大胆に快活になったと思う。また、日本とは全く違う外の世界を見てきたことで、フィリピンに行く前より、社会制度や生活水準において客観的に日本を見ることが出来るようになった。

一番考えが変わったのが教育に関することで、私達が当たり前のように義務教育を受けられるのはとても幸福なことだと気付いたことだ。もし、読み書きや一般知識に限度があれば、将来にも限界があるということである。しかし、小中学校に通う権利があり、当然のように通えるのならば、自分の将来を自分で選び取ることができる、どこにでもいける。それは人間としてとても幸福なことである。フィリピンに行かなければ気付かないことだったかもしれない。私は将来教師になりたいと思っているので、気付けたことをとても嬉しく思う。自分が教育についてとても大切に思っているなら、それはきっと本人にとっても良いことだし、何よりも未来の子供たちに繋げていくことが出来る。未来の子供たちに、教育を受けられるのはとても幸せなことだと身をもって教えられたらと思う。

とにかく本当に考えさせられることがたくさんありました。このような経験を出来たことに感謝します。RASAの事務局の方々、シーランド神父、RASAメンバーの皆、本当にありがとうございました。

T.Sさん フィリピンに感謝!

帰国して感じたことは、貴重な経験をさせて頂いたという感謝の気持ちである。お世話になった方への感謝。事前からの準備やフィリピンでの現地活動を通し、いろんな活動をみんなで行うことが出来た。こんなに有意義な時間はないだろう。活動中にあれこれと考えたこと、現地に触れて感じたことは本当に貴重な経験になっている。
お世話になったみなさまに、ありがとうを伝えたい。
・RASA-JAPANの事務局、藤井さん夫妻は僕たちにこの機会を与えて下さった。とてもしっかりとしたRASAの組織無しでは、大学生が現地で学校建設など出来ないと思う。
強力なサポートをして頂いた。ありがとうございました。
・RASA事務局のみなさまは、毎年支援をされている。Seland先生をはじめ学生と一緒に同行してくださった事務局の方々には、海外活動について多くの事を学ばせて頂いた。ありがとうございました。
・現地団体Motherlauragertrude Seland foundationのみなさんはいつも笑顔で接して下さった。僕たちの知らない所でいろんな準備をして下さっていた。特に57組のホストファミリー探しには大変苦労をされたそうだ。本当にありがとうございました。
・現地小学校の先生方はそれはとてもとても美しい方々で、いつも元気な声をかけて下さった。先生方の迫力が凄くて、毎日の小学校が楽しかった。ありがとうございました。
・現地小学校のワーカーのみなさんは、いろんな経験を共有して下さった。建設に携わらせて下さったこと、やり方を教えて下さったり、ウインクをして下さったり、大変優しい方たちだった。今日も学校を造られているのでしょうか。ありがとうございました。
・息子として迎えてくれたBermudoファミリーにはフィリピンを教えてもらった気がする。
孫が沢山いて、にぎやかで、明るくて、愛にあふれていた。早く家庭を持ちたいと思わせてくれた家族でもあった。感謝し足りないけど、ありがとう。
・各大学のリーダーも、各班のリーダーも沢山話をしてくれた。とても頼もしく、一緒に成長していくのが感じ取れる活動だった。ありがとう。
・一緒に活動してきたRASA仲間には、本当にいろんなキャラがいた。名古屋を中心にこんなに沢山の大学生と活動したことが無かったので、試行錯誤だったけれど、みんながそれぞれの想いを持って活動していることが分かった。最後までみんなで協力して活動できたことが本当に嬉しかった。ありがとう。
フィリピンでの現地活動を経て、もっと大学で勉強をしたくなった。僕が今頑張らないといけないのは目前の学業である。将来広い世界で活躍できるように、今回お世話になった皆様に成長した姿を見せられるように大学生の毎日を大切にしていこうと思う。

A.Tさん RASA2012

今回RASAの一員としてフィリピンへ行き、学校建設ボランティアやホームステイを通して、貴重な体験をすることができたと思います。最近は、テレビやインターネットで簡単に世界の様子を知ることができますが、実際に現地に行き、自分自身の肌で感じることの楽しさ、大切さを感じました。

私は今回が初めての海外でしたが、やはり最初は日本での生活との違いにとまどったこともいくつかありました。言語、生活スタイル、文化など多くの点において違う国で、初めての体験をすることもありました。バケツに水を汲んで流すトイレ、冷水しか出ないシャワーといった生活スタイル、学校に通うことが出来ない子供達、ほとんど手作業で工事を行う大工さん、物乞いをする子供や老人などを見て、改めて日本での生活は恵まれた環境であることを実感しました。また、逆に私たちが今回行ったアンヘレスは、想像以上に生活水準が高いと感じる部分もありました。日本と同じようにテレビやパソコン、携帯電話が普及していることに驚きを感じました。これも、フィリピンに行ったことで知り得た事実であり、自分のイメージとのギャップでした。

また、環境だけでなくフィリピンの人たちの人柄にも日本との違いを感じました。町全体が家族とも思えてしまうような親密さで、お互い助け合って生活しているように感じました。慣れない環境にすぐなじむことができ、楽しく生活ができたのもフィリピンの人たちの明るく、フレンドリーな人柄のおかげだと思います。そして、フィリピンに来て何よりも楽しかったことはやはり現地の人たちとの関わりであり、特に子供達と遊んだ時間は本当に楽しい思い出ばかりです。日本での、時間に追われているような生活とは対照的で、時間の流れがゆっくり感じられ、純粋に毎日を楽しんで過ごせた時間は、忘れられません。特にホストファミリーは、私を本当の娘のように、家族のように接してくれて、たった2週間でしたが、私自身も第2の家族ができたように感じました。見返りを求めることのない純粋な愛情を感じ、とても嬉しく、幸せな気持ちになりました。フィリピンに来て、幸せは裕福さや生活水準で決まるものではないということを、身をもって感じたような気がします。日本はフィリピンと比べると、生活が豊かで、便利で快適な環境が整っていると思います。しかし、家族や周囲の人たちの絆、子供達の笑顔、素直な愛情表現などをみると、心の面では日本よりも豊かだと感じる部分が多々ありました。お別れをしてから2ヶ月たった今でも、インターネットを通じて様子を気にかけてくれる人たちが沢山います。忘れないでいてくれることは、とても嬉しいです。いつか、そんな人たちにまた会いに行きたいです。

私はフィリピンで出会った全ての人たち、RASAのメンバーみんなが大好きです。これからもずっと関わっていけたらとっても嬉しく思います。多くの素敵な出会いに感謝です、ありがとうございました♪

PAGETOP
Copyright(c)2018 RASA Japan All Rights Reserved.