S.Tさん かけがえのないもの
「この活動に参加すれば自分自身何かが変わりそう」と思い、参加を決めました。なんとかなると思いつつも、英語力もなく、大の虫嫌いな私が18日間フィリピンで過ごせるのだろうかと少し、不安もありました。
今でも蘇ってくる子どもたちの笑顔。これは何にも変えられないフィリピンの財産だと思います。自分と関わる人の幸せを願っているフィリピン人。「幸せ~?」と何度も何度も聞かれました。私たちが「幸せ」だと言うと本当に嬉しそうで、みんなが幸せであるために、支え合い、助け合い生活していました。パパが働きに出て家にいなかった私のホストファミリーの7歳8歳の女の子、向かいの家の3姉妹と弟、よく働き、子どもたちが家族を支えていました。いつも家に帰ると暗くなるまで遊んでくれる近所のたくさんの子どもたち。その中でも恥ずかしがって逃げ回っていた子が、自ら「バイバイ」と作業に行く私を送り出してくれた日には涙が出るほど嬉しい気持ちになりました。学校へ行くと溢れんばかりの子どもたち。子どもたちに囲まれているときが本当に幸せでした。「アテサキ―」といつもくったくのない笑顔で、キラキラとした瞳で呼んでくれた子どもたち。笑顔のもつパワーの凄さを改めて感じました。自分の持っている感情を隠さず、表現することの大切さをフィリピンの人たちから教わりました。はじめの5日間くらい、少量しかご飯が食べれなかった私はホストにとても心配をかけてしまいました。近所の人にもすぐその話がまわり、みんながなんとかしようとしてくれました。自分の思っていることを伝えること、遠慮はしないこと、その大事さを気づかせてくれ、「○○したい」という私の要望を受け入れてくれました。徐々に食べれるようになっていく私をとても嬉しそうに、ホッとしたように見ててくれる姿に温かさを感じました。
そして、私を困らせた虫たち。たくさんいました。ハエが大量にいる中での食事。ゴキブリやヤモリ、アリとの共同生活。辛かったです。日本では虫がついた食べ物を食べるなんて考えは一切ありませんでした。しかし、慣れるもので、目の前でハエがついた食べ物があっても、追い払って食べていました。そして作業中ミミズが出ても「土をかぶせればいい」と動じなくなり、最終日の夜に自分の部屋にゴキブリがでたときには、「もう寝れない」と思いながらも熟睡している私がいました。これには自分自身が一番驚き、少しは成長したのかなと思いました。
今回RASAのボランティア活動、私の想像を超える出来事ばかりでした。ここでしか感じることのできなかったかけがえのない18日間、心から行ってよかったと思います。こんなにたくさんの素晴らしい仲間に出会えて、一緒に頑張って笑って助けてもらって、温かいフィリピンの人たちと生活し、目には見えないけれど、本当にたくさんのものをもらいました。今回出会った全ての人に感謝したいです。そして自分の身近にいる人を今まで以上に大切にしようと強く思いました。本当にありがとうございました。
H.Hさん 「人生を変えた経験」
私にとってフィリピンで過ごした17日間は夢のようでした。今思い返しても信じられないくらいに。
私は大学でアジア文化を専攻しており、異文化やアジアにはとても興味がありました。そこで、17日間外国で過ごすことができるこの活動にとても魅力を感じ参加を決めました。ボランティアとホームステイを通して、勉強だけではわからないことを自分の五感で感じたい、さらに日本を客観的に見るよい機会だと思いました。
建設作業は想像以上に過酷なものでした。何でも用意されている日本の生活では味わうことのできなかったもの作りの大変さを学ぶことができました。作業がどんなにきつくても子供たちや家族、町の人々の笑顔を見たら「この人たちの笑顔のために頑張りたい」と自然と元気が湧いてきました。ボランティアのみんなは、どれだけきつくても作業をやめることはなく働き続けました。みんなの意識が高く、私も頑張ろうと思えました。
楽しい毎日の中でも、自分の英語力のなさに失望しました。ホストブラザーの友達が私にインタビューをしに来た時のことです。みんなが来てくれたことにとても喜びを感じ、意気込んで話を進めたところ、私は英語が話せず受け答えが上手くできませんでした。私は英語が苦手で嫌いでした。しかし、今回フィリピンに行き、英語でコミュニケーションをとることの楽しさを知りました!これからもっとホストファミリーと会話ができるように勉強したいと思いました。
印象に残っていることは、ホストマザーが「お金はなくても幸せ」と言っていたことです。日本では豊かな生活が幸せの条件とされていると思います。しかし、フィリピンの人たちは家族や親戚と時間や笑顔を共有しているだけで幸せそうでした。日本人の幸せの尺度ってレベルが高すぎます。私は最近笑顔でいられるだけで幸せを感じています!
私はホストファミリーを第二の家族だと思っています。「アテハルカー!」と寄ってきてくれた妹、最初はしゃいだったけど、最後は一番仲良くなった長男、英語で困っていると必ず助けに来てくれた次男、いつも影からひっそり見守ってくれたお父さん、そしていつもmy daughterと愛情たっぷりに呼んでくれたお母さん。「次はいつ帰ってくるの?」と何度も聞かれたときは、その愛情の深さに感激しました。
働くときは全力で働き、遊ぶときは全力で遊ぶ。毎日時間がおしくてたまりませんでした!それほど充実した毎日でした。その分、家族との別れは想像以上に辛く、朝食を食べているときから号泣。まさかこんなに大切な人達に出会えるなんて、思ってもみませんでした。今はとにかくフィリピンに帰りたくてたまりません!
この体験は私の考え方や将来の夢まで、大きく変化させました!一人で参加して最初は不安でしたが、勇気を出して一歩踏み出して本当によかったです。RASAメンバーのみんなとも出会えて本当によかったです!このような貴重な体験をさせてくださったRASAの皆様に心から感謝しています!
Y.Mさん ありがとう、フィリピン!!
“自分を変えたい”それが、今回私が、RASAのボランティアに行こうと思ったきっかけでした。実際行ってみて、自分の中で色々なことが変わったとおもいます。なにより、フィリピンがとても好きになりました。フィリピンを好きにさせてくれたのは、RASAのボランティアのメンバー、フィリピンのごはん、そしてなによりフィリピンのホストファミリーのおかげです。
私のホストファミリーは、ほんとによくしてくれて、ありがとうじゃ伝えきれないほど感謝しています。ホストファミリーにはとても迷惑をかけました。一番迷惑をかけたのがコミュニケーションです。
私は英語が全くできないので、英単語を並べて日本語も交えながら、なんとか伝えようとするのですが、伝わらず、電子辞書を見せて「This! This!」と指をさしながら会話をしていました。ホストファミリーも私にわかりやすいようにゆっくり、簡単な英語を使って私にあわせてくれていました。しかし、一番一緒にいる時間が長いローラは英語があまり話せないので、2人でいても、沈黙が続くばかりで、私は、ローラから嫌われてるんじゃないかと、悩んだときもありました。でも、少しでもローラとしゃべって仲良くなろうと思って、「Please teach me Tagalog language!」と言ってローラやロロが先生になって少しずつ、タガログ語とパンパン語を教えてもらいました。教えてもらっているときに、私が変な発音や、巻き舌などをすると、笑いながら怒って丁寧に教えてくれました。さっそく、教えてもらった次の日の朝、「マガンダン ウマーガ(おはよう)」と言ってみたり、ご飯のときに「マサラップ(おいしい)」とか日常で教えてもらった言葉をしゃべるととても喜んでくれて、うれしかったです。一番うれしかったのがローラと少しずつコミュニケーションがとれるようになって、笑顔がみられるようになったことが、うれしかったです。
ロロやパパは私のために、日本語をRASAのボランティアのメンバーに教わって、「おはよう」とか、ご飯のあとに「ユカ、イッパイ?」とか聞いてくれて、本当にうれしかったです。ロロは私がほとんど日本語でしゃべっていたので、だんだん日本語を理解できるようになりました。
ホストファミリーにほんとうに恵まれたとおもいました。フィリピンの人もみんないい人ばかりで、毎日が楽しかったです。ただ、帰ってくると、もっとホストブラザーのジャスティン、ケイト、カールと遊んであげたかったし、ママをもっと手伝ってあげたかったとか色々後悔とか、やってあげたかったことが溢れてきます。恩返しをしてあげたいとおもいます。
いつか、フィリピンに帰りたいです。そしてこれからもフィリピンの人に関わっていきたいです。
N.Oさん 豊かな国とは
発展途上国に住む人々は、どのような日々を過ごしているのか。この漠然とした疑問を抱いたことが、RASAに参加した最初のきっかけだ。現地の家庭にホームステイでき、身をもってフィリピンの人々の生活を体験できるという点で、このRASAはとても魅力的であった。また、以前から興味のあった海外ボランティアに、学校建設という立場で参加できるという点もこの活動に参加した理由の一つだ。
実際にフィリピンで生活して感じたことは、豊かな国とは?ということだ。日本は、フィリピンと比較すると、経済面ではかなり豊かな国である。しかし、豊かすぎるが故に、幸せと感じるハードルが高いように感じる。それに比べフィリピンの人々は、普通に日々を過ごしていることが幸せと感じているように思う。あの地域に住んでいる人々は、全員が家族のようだった。日本のように、隣に誰が住んでいるか知らないなどということはありえない。みんながお互いのことを知り、助け合って生きている。朝起きたときから、家の周りには人がいて、常にコミュニケーションの場が広がっていた。お金では測れない面では、圧倒的にフィリピンの方が豊かであった。
フィリピンで経験したことは、全てが新鮮だった。水シャワー、ありえない量のご飯、盛大なパーティー、突然のスコール、慣れない建築作業、過保護なママたち、部屋を真っ暗にして懐中電灯を振り回し、クラブのような状態でダンス笑。2週間ちょっとの出来事とは思えないほど濃い経験をさせてもらった。時の流れがとてもゆっくりで、日本にいるときは、いかに無駄な時間が多いのか痛感した。
そして何より、フィリピンにもう一つの家族ができたということが、私にとって大きな財産となった。私のホストマザーは、私を本当の娘のように接してくれ、慣れない作業で筋肉痛になったときは、薬をぬってくれた。兄弟のいない私にとって、大人数でご飯を食べることも新鮮だった。今でも、最低でも1週間に1回は連絡をとり、常に気遣ってくれている。こんな短い期間で、これほどまで大きな愛をもって接してくれるとは思っておらず、フィリピンの人々の暖かさを感じた。
初めは、ボランティアとしてフィリピンの人々役に少しでも立てるように、という立場であったはずだが、今振り返ってみると、現地の人々に助けてもらい、子どもたちの笑顔に元気をもらい、私たちがお世話になることのほうが多かったように思う。よく海外ボランティアに行った方がこのようなことを言っているのを耳にするが、身をもって経験し、この意味を理解することができた。
しかし、まだ格差は目立つ。今回振り返ったことを忘れず、日本からでも、また再びフィリピンに戻ったときでも、何かできることはないかこれからも考えていきたい。
M.Mさん フィリピンの地で学んだこと
今回私は初めて海外ボランティアを経験しました。行く前までは不安でつぶれそうでしたが、このボランティアで多くのことを学び経験することができました。
私が学んだことのまず一つ目は、日本の豊かさについてです。日本でも就職率が悪いなどと騒がれていますが、フィリピンはその比ではありません。私のホストファミリーは違いましたが、ボランティアメンバーのファミリーには、職もなく、学校にも行っていない若者が多くいました。もっと衝撃的だったのは、スモーキーマウンテンについてです。スモーキーマウンテンはフィリピンの中でも最も貧しい人たちが暮らす街ですが、衛生環境がとても悪く、どこも生ごみのような異臭がしました。排水の機能がないのか、雨も降っていないのに汚水が道のわきにたまり、捨てられたゴミが散乱していました。マニラやセブ島の付近では、どんどん開発が進み、豊かになっていく一方、スモーキーマウンテンのような街がまだまだある。日本ではあまり感じることのできない“格差”というものを肌で感じることができました。そして、日本に帰ってくるとき、飛行機の窓から見えた日本の電灯の眩しさに驚きました。普段何気なくやっていること、たとえばお風呂に湯をはったりねむるときにも豆電球をつけたり、そんな当たり前ができることは、めぐまれているからできるのだと知りました。
二つ目に、家族のきずなの強さについてです。フィリピンでは親戚はみんな近くにすんでおり、頻繁にあって、食事を楽しんだりとまっていったりするような場面によく遭遇しました。そしてみんな、よそ者であるはずの私を家族のように迎えてくれました。子どもたちは最初とても恥ずかしがってはなしかけてはくれはかったのですが、数時間もたつとつたない英語で一生懸命話しかけてくれたり、一緒に遊ぼうと寄ってきてくれたりするようになりました。私のわずかな変化などにもきづいてくれ、大丈夫?つかれた?などと、よくきづかってくれました。家族も子供がとても多くてとても賑やかでした。ご飯を食べるときもみんなで作り、みんなで食べました。日本ができない当たり前を、フィリピンの人たちはいとも簡単にやってのけるのだな、と少し羨ましく感じました。寝る時も大人数で寝ます。最初のころは、自分の部屋で、ドアを閉めて寝ていたのですが、だんだんドアを開けっ放しにするようになり、やがて一緒に寝るようになりました。フィリピンの人たちは日本にはないフレンドリーさで私のこわばりをといてくれました。たった2週間しか一緒にいることはできなかったけれど、本当の家族になれたようなきがします。
こんなにいろんな思い出をくれた家族に日本を紹介してあげたいのですが、ビザがとれないので招待することができなくてとても残念です。世界の人々がもっと自由に行き来できる世の中になってほしいと思いました。