R.Tさん フィリピンでのボランティア活動を通してかんじたこと
私がこのボランティア活動に応募したきっかけは、もともと海外ボランティアというものには興味あって大学生のうちに経験してみたいと思っていましたが、実際に参加してみるという勇気がなかなか出ず、私は友達に誘われて勢いで応募したといのが6割ぐらいあります。なので特に出発1週間前は楽しみというよりむしろ不安しかありませんでした。日本との環境の違いなどを先生方から聞き、さらに不安になっていました。又、2週間のホームステイにも不安でいっぱいでした。そして出発当日の8月15日にさまざまな思いを抱きながら私はフィリピンの北の方に位置する、イロコス州のカンドン市に向け日本を出発しました。カンドン市に到着し、ホストマザーに迎えられて私の2週間のフィリピンでのホームステイ生活が始まりました。土、日曜日はホストファミリーと教会に行ったり、隣町に出かけたり、一緒にボランティアをしに行った仲間とイロコス州の世界遺産を見に行ったりしました。平日は学校建設のボランティアに励みましが、カンドン市はちょうど雨期の時期だったので思うようには作業は進みませんでしたが、その時は現地の子供たちと折り紙をしたりして、現地の人々とふれあい、楽しむことができました。
私が今回のボランティア活動を通して思ったことは、ボランティアというのは本当に難しいなと思いました。今回のRASAのリーダーの方が、「ボランティアとはなんですか?」と聞いていて私も改めて振り返ると本当に同じことを思います。学校建設の作業ではバケツリレーやセメントを作るための砂ふるい、ブロック運びの繰り返しで、筋肉痛になったりもしました。でも私たちがやっていることっていうのは、ほんの一部にすぎないのかな?とおもいました。しかし、現地の人々は「ありがとう」と満面の笑みで言ってくれました。子供たちも必死に名前を覚えて、手を振りながら名前を呼んでくれました。「ボランティアをしたい」というのは簡単だけど、実際にボランティア活動というものに参加してみると、ボランティア活動というのは本当に難しいことだと実感しました。ボランティアとは私が現地の方のことを思って何かをすることだと思っていましたが、実際はそんな簡単なことではなく、むしろ私がたくさんのことをしてもらった気がします。それは、何かをもらったとかのものではなく、現地の人々の優しさにたくさん助けられました。そして、何よりホストファミリーには感謝の気持ちでいっぱいです。振り返ると常に私のことを考えてくれていて、常に気にしてくれていたんだなとかんじます。最初は暮らしていけるのかという不安ばかりでしたが、いつの間にかそんな不安は消えるぐらい楽しかったです。ホストファミリーが本当の家族みたいに私に接してくれていたことが何より嬉しかったです。私の家族は日本とフィリピンの2つ家族がいるみたいに思います。最終日のお別れの時にホストファミリーから頂いた、手紙とアルバムは私にとって宝物です。
環境の違いなどで最初は不安になることも多々ありましたが、私は今回このRASAの学校建設のボランティア活動に参加して本当に良かったと思います。カンドン市の方々、マンガサーという温かい家族に出会えて本当に良かったです。そして自分の成長にもなったと思いました。本当にありがとうございました。たくさんの方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
M.Tさん フィリピンでの活動を終えて
日本に帰ってきてもう何か月も過ぎましたが、フィリピンでの思い出は今もなお心に深く焼き付いています。ボランティアするためにフィリピンへ行ったにも関わらず、帰ってきて思い返す出来事の数々はフィリピンの方々にしていただいたことばかりです。フィリピンへ行く前まで治安や環境、虫などの心配事が数知れずあり、現地に着くまで不安でいっぱいでした。しかし、いざ現地についてフィリピンの人々にふれてみるとそんな心配なんて必要ないことがすぐにわかりました。たしかに日本のように技術は発達していないし、物資的にも豊かではないのは事実ですが、そんなことを気にせずにいられるような心の豊かさがありました。フィリピンの人たちは常に自分が一番ではなく他人を優先し思いやっていました。特にホストファミリーは見知らぬ私を家に歓迎して迎えてくれ、本当の家族のように接してくれました。フィリピンに着いて初めての朝、私は緊張していてどうやってホストファミリーと打ち解けようかとドキドキしていましたが、自然に話しかけてきてくれたり、ジェンガに誘ってくれたりしてくれて考える間もなくすぐに打ち解けることができました。また、いつも体調を気遣ってくれたり、家族一人ひとりが私の話に耳を傾けてくれたりするおかげでフィリピンに来て一度も寂しいと感じることはありませんでした。日本では暇なとき常にアイフォンをさわっている私でしたが、フィリピンでは常に誰かがそばにいてくれるのでアイフォンに依存することもありませんでした。フィリピンに来て驚いたことは、道路に信号機がないことです。私はそんなこと本当に成り立つのかと最初のころは思っていましたが、フィリピンの人たちはあたりまえのように運転していました。彼らがスムーズに信号機のない道路を運転できるのはやはりフィリピンの人たちが他人を互いに尊敬し思いあっていて、さらに時間にコントロールされない生活をおくっているからだと私は思いました。フィリピンでの生活はどれも新鮮なものばかりで現地の人からは学ぶことが多くて本当に行って良かったと思いました。また、ホストファミリーと出会えたことは本当に幸せです。しかし、それと同時に私は彼らに何かしてあげられたのかをと悔しい気持ちでいっぱいです。行く前は学校をフィリピンの人たちのために造ると意気込んでいましたが、帰ってみると、フィリピンの人たちからしてもらったことでいっぱいでした。フィリピンの人たちから学んだこの親切さ、温かさ、寛大さをこれから大切に生きていきたいと思いました。今度またフィリピンに行くときは必ずこの恩返しがしたいと思います。
最後に、このフィリピンのボランティア活動を企画し私たちが安全に活動し生活できるように手配してくださったRASA JAPANのみなさま、見ず知らずの私を歓迎して迎え入れてくださったホストファミリーのみなさん、そして一緒に活動したRASA2013のみなさん本当にありがとうございました。
A.Nさん フィリピンで学んだこと
フィリピンに行って感じたことはたくさんありますが、まず一番に思っていることはこれから先、家族を含め出会った人を大切にしながら生きていこうと思わせてくれた経験でした。行ってしまえば赤の他人の私を家族同様に接してくれたフィリピンの方の優しさには感動しました。私のために掃除をしてくれたり、ご飯を作ってくれたりとそのような些細なことがいかに大変で重要であることだと思いました。これは日本にいる時は母親がやってくれていて当たり前のように思っていましたが、それは間違いで周りの誰かがいないと私は何にもすることが出来ないのだなと思いました。むしろ家族であるとか周りの存在があって私が生きているのだということを学びました。何をするにも、どこへ行くにも必ず誰かがそばにいて私がフィリピンにいる間寂しいと感じた時は一度もなく、そのような環境は私たちも見直していかなければならないと思いました。日本にいる時は自由の時間などあまりなく家族全員がそろって食事することさえ減ってきています。忙しさが原因ゆえに家族で共有する時間も減っていて、家族・友達のありがたみなども忘れがちでした。それを思い出させてくれたのがこのフィリピンでの体験でした。これからは支えてくれた人に感謝の思いを持ちつつ、逆に今度は私が誰かの支えになって人の力になることが出来、少しでも人から感謝されるように生きていきたいです。
A.Nさん Salamat po! CANDON!
「価値観が180度変わる!行かないと後悔するよ!!」
何気ない気持ちで話を聞きに行ったRASAの学内説明会で、昨年のボランティア参加者の先輩がおっしゃっていた言葉です。正直なところ、はじめはこの言葉に対して「たったの二週間少しでそこまで!?」と思っていました。今までの留学経験でもフィリピンのような発展途上国には行ったことがなかったし、ボランティアも未経験だったけれど、サブリーダーとしてこの活動を盛り上げていきたいと思い挑んだ今回のカンドンへのボランティアでした。
そして迎えたフィリピンボランティア15日間。私の家庭はカンドンの中でも特に田舎の村にあり、もちろんトイレは水洗じゃない。シャワーはなくWiFiもない。天井にはヤモリが10匹以上…。ある程度の想像はしていたものの、実際に目の当たりにした現地のリアルな生活一日目にして「辛い、やっていけない!」と思いました。しかし、いつの間にかホストファミリーの優しさによってそんな不安はなくなっていました。村人全員が親戚のように皆仲がよく、ホストファミリーだけではなく近所の人々皆が私のことを本当の娘や姉妹のように接してくれ、気にかけてくれていました。私の家庭には同い年くらいのホストの親戚の女の子2人が子供の世話のために住み込みで働いており、その私より年下の彼女たちが家事はほとんどすべてやってくれ、何もできない自分が情けなく思えました。さらに、その女の子が「進学したいけれど、家族の生活を助けるために働くために自分は大学に行っていない」という言葉に衝撃を受けたことを覚えています。親のお金で勉強させてもらっている今、何に感謝し何を大切に日々生活するべきかを改めて考えさせられました。そんな彼女たちも普段は私たちと同じで、一緒に住んでいたエリと女の子2人と、私の4人で毎晩恋愛話をしたりふざけあったり、まるで本当の4姉妹のようでした。毎朝彼女たちが「Good morning! eat breakfast~」と私たちを起こしてくれて家族団欒で食べる朝食から始まる一日が今ではとても懐かしいです。建設活動では、力仕事やコンクリート運びなど地道な作業が多く、建設技術が整っていないとたった一階建ての建物を作ることがこんなにも大変なことなのだということを実感しました。生憎、雨が多く建設作業ができない日も多かったですが、現地の小学生とのふれあいは本当に心を動かされました。彼らはどこにいても「ate Azusa~」と笑顔で声をかけてくれました。折り紙の飛行機や風船をあんなに楽しそうに作って遊ぶ姿や、短い鉛筆で一生懸命自分の日本語の名前を練習する姿が忘れられません。
まだまだ書き記したい思い出はたくさんあり、暖かいカンドンの人々、無邪気で元気な子供たち、フィリピンの家族に囲まれてすごした15日間はとても充実したものになりました。もちろんそれらは、全てが家族の暖かさやゆったりとした時間とかそういう美しい面だけではなく、スモーキーマウンテンで見た発展途上国の厳しい現実も含めてです。これら全てを身をもって体験した今、私は「フィリピンは貧しいけどいい国だった」だけでは片付けてはいけないと思いました。私が直接貧困を救えるわけではないけれど、少しでもフィリピンについてもっと興味を持ってもらい、考える人が増えてほしいと思います。そこで私はまだボランティアに行ったことのないない人、行きたいと考えている人に言いたいと思います。
「価値観が180度変わる!行かないと後悔するよ!!」
Y.Nさん 自慢のホストファミリー
私のホストファミリーは5人家族でした。いつも陽気なお父さん、笑顔が可愛すぎるお母さん、オシャレで美人な長女、少しシャイだけど本当は誰よりも優しくしてくれた長男、好奇心旺盛で可愛いすぎる次女のとても仲良しで素敵な5人家族と大切な時間を過ごしました。ホストファミリー達や近所の人達は私を家族の一員のように受け入れてくれたのですぐに仲良くなることができました。日本の生活とは違いお湯もシャワーも無く部屋は何ヶ所か雨漏りしていたことに少し不便さを感じ一番悩まされたのは大量の蟻に足を刺されたことです。しかしその事をホストマザーに言うと部屋を綺麗に掃除してくれたり私の足に薬の代わりにお酢を塗ってくれたりできる限りの事を一生懸命やってくれました。長男はまた虫に刺されないよう蚊取り線香を毎晩私の部屋にたいてくれました。虫ごときの事ですが私をとても心配し気にかけてくれたことに本当に胸がいっぱいです。昼間の学校建設で疲れていても小学校の子供達の笑顔に癒されたり家に帰ればホストファミリーや近所の子供と遊んだりすることでストレス無く過ごすことができました。日本では携帯が使えたりお湯があったりする生活が当たり前で不便さを感じた事はありませんでしたが、記憶の中で近所の人と最後に遊んだのは小学校の低学年です。そう考えると日本の近所同士の付き合いはフィリピンに比べてほとんどないことに気づかされました。それらのことから人と人との繋がりがどんなに大切な事かフィリピンで学びました。やはり人間は誰かに必要とされて始めて生きがいに変わるとき思います。例え血が繋がっていなくても仲が良く困ったときは助け合うフィリピンの人達は日本には無い豊かさを持っていました。発展途上国だから何か少しでも力になれたらいいなと思いボランティアに参加しましたが実際フィリピンの人達から得ることばかりで私は何ができたのだろうかと考えさせられます。フィリピンという国はとても良い国だということと、この国はこのままでいいと思うしフィリピンの良さを大切にしてほしいという思いです。ただフィリピンの人々の貧富の差は気になりました。それが無くなればこの国はもっと豊かになれると思います。そのためにもっと学校を増やしてより多くの子達が教育を受けることができたらいいなと思います。そのために私も出来る限り力になりたいと思います。また日本の良さも感じました。お湯の出るお風呂やWi-Fi、綺麗な家も日本の自慢です。だからみんな違ってみんないいし長所があるから短所があると思います。それを気づかせてくれたフィリピンでの日々は私のかけがえのない思い出です。大切なことに気づかせてくれたフィリピンに感謝をしていますし、今すぐにでもホストファミリーに会いたいです。Suguitanファミリーを心から愛しています。また必ず会いにいきます。Salamat po!