フィリピンの恵まれない児童に学校を! 給食を! 教育こそ貧困の連鎖を断ち切る力になる

ボランティアの声2005年以前

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Hさん4年

1st-pic111RASAの建設活動のサイドワークとして、大学教授に貧富の差をどう思うかインタビューさせてもらった。二人で一致したことは、〈学校教育を受ければ、堂々と働いて安定した生活が送れるが、問題は子どもが学校に行けない現状だ〉 ということ。そんな訳で学校建設の緊急性を改めて理解する。
日本人は全員学校に行けるのが当たり前で、学校教育の価値が分らなくなっている。大学は学歴のタメ、と考える。就職しても楽しくないからやめてしまう。学校に不満で、登校拒否をしたり、大人になって学校を襲う・・・・。なんか、ほんとうに日本人はちっぽけでくだらな過ぎるって思った。   {中略}
モノやお金を渡すことは嫌いだ。セブの子どもに、もらい癖をつけるからよくないと思う。一時的にそんなものがあっても文化的レベルで存在しないと意味は無い。モノやカネじゃなくて、教育を受ける体験をさせて、教育を受ける子ども達が大人になって、自分たちの子ども達にも同じように学校に通わせる意識を持ってもらう、そうすれば生活の質の高い状態で安定するのである。
帰りの飛行機で相席した日本人観光客の、「安くて、バカンスにいいよね~」という台詞にキレそうになったくらい、セブの奥深い真実の濃い体験をしたもんです。

Hさん3年

RASAに参加使用と思ったのは、特別な体験をして自分を成長させたい、英語を話す環境、異文化体験など私のやりたいことがすべてそろっていました。 ショックなことは、自分が英語をしゃべれなかったことです。教育を受けられたフィリピン人は、第2言語とは思えないほど流暢に英語をしゃべりまくり「日本には授業に英語の科目がないの?」と聞かれ、それまで恵まれた環境の中で英語を勉強をしてきたのに、単語単位でしかしゃべれない私を、不思議がっていました。
いろいろな子ども達にも出会いました。 フィリピンを思い出す時、最初に頭に浮かぶのは満面の笑みで私に向かって口々に「あてー」(おねーチャン)といいながら走ってくる子ども達です。 その笑顔に何度癒されたか分りません。
近所の子ども達の年上の子が下の子の面倒をしっかり見ている。友達同士でも、少ない食べ物を分け合っていた姿がとても印象的です。 彼らは教会の周りに住んでいる貧しい生活を送っている子ども達ですが全く心はすさんでいません。 そんな彼らを見て学ぶことがとても多かったです。
しかし、街に出れば物乞いをするストリートチルドレンが沢山いました。 彼らは教会に集まる子ども達とは対照的でした。同情を引くような顔を作って私たちについてきます。時には「カネナイ」と日本語で訴える子もいました。 そして、私たちが絶対にお金を出さないと分ると、その悲しそうな顔を真顔に戻して去ってゆきます。 彼らはどんな大人になるのでしょうか。 まともな教育を受けることが出来ずに、ストリート生活を強いられる、彼らのような子ども達がいてはいけない。 何としても、教育が当たり前に受けられる環境を作りたい。 少しでも彼らに役に立つ教室を作ってあげたい。
又、私達は滞在中にダンプサイトという残飯ゴミでの埋立地を訪れました。見渡す限り腐った残飯のごみの山、無数のハエとひどい悪臭のする場所でした。 その中で暮らしている人達がいるのです。 残飯ゴミの中からお金になるわずかな空き缶やペットボトルや金物を拾ってお金に換えて生活しています。 もちろんそこにも沢山の子供がいました。 彼らも私たちにすばらしい笑顔で接してくれました。 私たちが帰るときに追いかけてきて手を振ってくれた子もいました。 言葉にならない思いです。
そこで、沢山の写真を撮りました。 自分が写真をとっている姿を想像したとき、ぞっとしました。 その時点で別世界なのです。 私達はきれいな格好をして同じ人間である彼らの写真を一方的に撮って一時間足らずで帰っていく。 彼らはどう思ったでしょうか。
彼らがここで生活しなければならないのも教育を受けることすら出来なかった環境に育ち、読み書きがしっかり出来ない人達が、生活苦のあまり、都会に出れば何とかなると思い、出ては来たもののどうにもならず行き着いたところがダンプサイトだったのです。 小手先の政策では解決できない深刻な問題です。 でも、絶対に根本から変えていjかなくてはいけない。とにかく、今すぐ私に出来ることは、彼らのような人がいることを、日本で裕福な生活をする中で絶対に忘れないでいること。 時間が過ぎても決して今のこの生活が当たり前のことだと思わないことです。 また、そう思う人が一人でも増えるように、この経験を外に発信していくべきだと思いました。

Hさん 3年

フィリピンに行く前は、ホストファミリーに会ったら何を話そうかといろいろ心配していました。でも彼らは私のことを家族の一員として温かく迎えてくれ、親切にしてくれたので、そんな心配も直ぐに消えました。
生活の中で一番印象的だったのがダンスです。毎日のように隣の家に近所の人や友達と集まってダンスをしました。フィリピンの人は大人も子供もみんなダンスがうまくて、いろいろな踊りを教えてもらいました。
学校建設では、私は何の知識もなく、逆に邪魔になっているんじゃないかと思うことが何度もありました。そんな中で現地の大工さんの温かさを感じることが出来ました。日射しが強いからといって、棒の上にベニヤを置いて日陰を作ってくれたり、仕事も親切に教えてくれました。日本とは違って大きな機械もなく、手作業が多く、暑い中働いているに拘わらず現地の大工さんはみんないつもニコニコしていて、私の名前を覚えてくれたり、話しかけてくれたのが嬉しかったです。 少しでも役に立てていればいいと思います。
異文化に触れることで、いろいろかんがえさせられたし、自分の視野が広がっただけでなく、ただ外国旅行に行っただけでは学べなかったり、気づかなかったりすることも沢山経験できたと思います。そしてフィリピンに大切な“家族”ができたこともうれしいことです。この経験を将来に生かしていけたらと思います。そして将来、またフィリピンに戻ってきたいです。

Uさん

私のホストファミリーに18歳の大学1年の女の子がいた。家には経済学部の学生らしくウインドウズ>のテキストやマクロ経済のテキストがあり、日本の私の生活(大学に通い、部活動もして、アルバイトを集中的に頑張れば大抵のものは買える)と同じだ。違うことは大学進学率がとても低い。私のホストファミリーは裕福である。また一人っ子というこの国ではおそらく珍しい家庭環境だった。
対照的なのが隣家に住む親戚の方で、家は粗末な木造で、テレビなどの家電がなかった。そのような家が極一般的だったようだ。食事も私のホストが少し支援しているようだった。RASAの活動で学校が出来れば隣家の6歳の少年はそこに通うことが出来るそうだ。
私のホストと隣家の親戚はとても仲がいいようだった。現地の言葉は判らなかったけど、少なからずとも階級社会のようなものを随所で感じました。
教会に来る子ども達の服装もどこかサイズが合ってなかったり、穴が開いていたりする。言葉も殆ど英語を話さないし、英語で話しかけても判ってくれない。それと対照的にある家庭の子は、私に流暢な英語で話しかけてくれ、勿論服装もきちんとしている。これが貧富の差なんだと気づいたのです。
日本ではどの子も同じように教育を受けられるようになっています。フィリピンにも多くの公立学校がありますが、すべての子供が毎日学校に行けるわけではありません。比較的貧しい家庭の学校帰りの子供にカバンの中身をみせてもらうと、教科書はなく、ノート3冊、鉛筆、赤のクレヨン。私立に通う子は、全員テキストがあり、通学はジプニーや保護者の送り迎え。授業も放課後も校内にいる間は、英語で話さなくてはなりません。
しかし世界共通なのは、子供たちがどんな環境でもひたすらに元気であること。教会で行われているFeeding-program(1日1食だけ支援を受けられる。)にやってくる子供たちは、何時も元気に敷地内を走り回っています。この子ども達のために何が出来るのか、どうすればすべての子ども達が学校に行けるのか。問題は大きすぎるし、解決には長い時間がかかることだし、他にも多くの難問が山積している。
私は今回のRASAの活動を通して日本の」豊かさを知りました。しかしもっと大きく思うことはフィリピンの人々には感情表現の豊かkさ、非常にすばらしい人間性がある。私はフィリピンの訪問を1回で終わらせたくない。何度か言とを訪れ、私なりに何か少しでも子供の教育に貢献できる策を考えたいと思いました。

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