フィリピンの恵まれない児童に学校を! 給食を! 教育こそ貧困の連鎖を断ち切る力になる

ボランティアの声2019年 (スタディツアー)

  • HOME »
  • ボランティアの声2019年 (スタディツアー)

2019年8月25日~9月2日
  第4回 Study Tourに参加したボランティアの声です


I.R.さん
「ボランティア活動を通して感じたこと」

 私がフィリピンで過ごした9日間は今まで体験したことのない楽しい思い出になりました。もともと海外ボランティアに興味があったので1年の頃から気になっていたRASAの給食ボランティアに参加しました。9日間も海外に滞在することが初めてだったので楽しみと不安と緊張でいっぱいでした。フィリピンについてホームステイ先のファミリーと会ったときは英語ができなくて自分からコミュニケーションをとることができず、どうしたらいいのだろうと落ち込んでいたけれどホストファミリーはとても温かくて困っている私に優しく接してくれました。
 ボランディア活動では、栄養失調の子供たちに給食を配膳するのと子供たちに日本語を教えてあげる活動をしました。フィリピンの子どもたちはみんなパワフルで無邪気な子たちばかりでした。給食の時でも日本語授業の時でも子どもたちは積極的に近寄ってきてくれてどうやって近寄って行こうかなと悩んでいた問題を簡単に吹き飛ばしてくれました。無邪気に笑っている子どもたちが可愛くて可愛くてしょうがなかったです。だけど栄養失調の子たちは日本の子どもたちと比べると小さくて細い子ばかりでとても心が苦しくなりました。無邪気に笑っている子どもたちがもっともっと大きく元気になってほしいと強く思いました。子どもたちのために私ができることは少ないかもしれないけれど実際にフィリピンに行って子どもたちとコミュニケーションをとることができて現状を知ることができて本当に良かったと思いました。
 フィリピンでの生活は日本とは全然違くて戸惑うこともたくさんありました。一番私の中で印象に残っていることはホームステイ先で食べる最後の夜ご飯を皆で手を使って食べたことです。日本だったらご飯を手で食べることはないのでとても新鮮でした。フィリピンに行かなかったら体験することがなかったのかなと思ったら本当にフィリピンに行って良かったなあ~と思いました。
 今回のボランティア活動を通して私が一番感じたことは、フィリピンの人たちの温かさです。家族同士はもちろん近所の人たちとも仲が良くて町にはどこからか音楽が流れていて陽気で楽しい場所だなと思いました。日本から来た私にも優しくたくさんの体験をさせてくれたホストファミリーには感謝しかないです。フィリピンで過ごした9日間はたった9日間と短い間だったけどこれからの人生においてとても貴重な思い出になると思うのでRASAのボランティアに参加して良かったと思いました。


I.T.さん 
「初めてのフィリピン」

 夏休み、フィリピンに9日間行きました。わたしは管理栄養学科に通っており、給食支援ボランティアということに惹かれてボランティア参加を決意しました。フィリピンでは日本にはない多くの貴重な体験ができました。
 フィリピンに行く前、不安と期待、楽しみという感情が入り混ざっていました。実際に向こうに行き学校でホストマザーにお会いしました。自宅に行くと娘さんがいました。向こうも恥ずかしがって、でもわたしもシャイなのでどうやって距離を縮めていこうか困惑しました。驚いたことは、スマートフォンがあった事です。スマートフォンでゲームをしており、想像していたよりも発達が進んでいました。でも、トイレとお風呂は想像以上に不便でした。水洗トイレじゃないこと、お風呂にはシャワーがないこと、水しかでないこと。とても不便でした。夜はホストマザーが手料理を作ってくれました。これが美味しくて、本当に美味しくてたくさん食べてしまいました。手土産にカントリーマアムとハッピーターンのお菓子を持って行きました。カントリーマアムが好評でした。3日目以降から4日間は小学校でボランティア活動をしました。学校の掃除をしたり日本語授業の準備をしたり給食支援のお手伝いをしました。フィリピンの子供達は日本の子供達と比べてひとまわり、ふたまわりくらい小さく感じました。給食で与えるものを見ているとご飯は多め、あとはおかずと果物だけという日本と比べるとバランス、量は決して良いとは言えない給食だと思いました。またビタミン剤を摂取しており、サプリメントからも栄養素を摂取しないとやっていけない状況ということが分かりました。こんなに素敵な笑顔を見せてくれた子供達が貧しいことを理由に十分な栄養素を摂取できない、また、高エネルギーなものばかり摂取しているためお腹が出てくるようになるという現状があると思うと悲しいような残酷な現実だなと感じました。学校が終わり家に帰ると近所の子供達と遊びました。わたしが帰ると近所の子供達が名前を呼んでくれて嬉しかったです。遊ぶ場所、ものが少ないので、手遊びやバドミントン簡単な石遊びなど色々教えてくれました。優しく丁寧に教えてくれて毎日がとても楽しかったです。
 このフィリピンでのボランティア、ホームステイは初めての経験が多くとても充実した日々でした。フィリピンの子供達の笑顔はとてもキラキラしており、貧しさを感じさせませんでした。この子達のためにもっと何かしてあげたいという気持ちになりました。ホームステイ先では、ご近所の方ともファミリーみたいな感じでとても仲良く、人と人のつながりの大切さ、幸せというのはお金や名誉ではなく人との関りだということを考えさせられました。日本では気付かなかったことを気付かされてとても良い経験になりました。
また何かのボランティアに参加したいです。


K.M.さん 

 私がフィリピンに行って一番感じたことは貧困の差が大きいことです。日本でも貧困の差が問題になっているけれど、フィリピンは暮らしている環境や来ている服が全然違って、目に見えてそれがわかりました。同じ国で暮らしていてもこんなにも差が出るものなのかとびっくりしました。
 フィリピンでの暮らしは日本と全然違いました。トイレが流れず、お風呂がないことに一番驚きましたが、部屋は狭いし、虫が多かったです。最初はすごく抵抗があったけれど、そんな生活も1週間ぐらいいると慣れてしまいました。私たちは恵まれた環境で育ってきたと改めて感じました。しかし貧困で不自由な生活であっても明るい人たちばかりでした。ホームステイ先の人たちもいつも笑顔があって楽しそうに暮らしていました。子供たちはすごく人なつっこくて、サインを書いてあげたり、手を振ってあげたりしただけで喜んでくれ、とてもかわいかったです。ホームステイ先の子供たちはフィリピンのゲームを教えてくれました。毎日一緒に遊んでくれて、子供たちと遊んだ時間がフィリピンの生活の中で一番楽しかったです。
 フィリピンの人たちは日本にないものを持っていると感じました。それは家族の絆や助け合いの心です。家族だけでなく、近所の人とも助け合って生活している姿を見ました。また、自分たちの暮らしで精一杯の部分があるのに、私たちにおもてなしをしてくれ人の優しさに触れることができました。
 フィリピンの子供は細く体の小さい子がたくさんいました。お金がないため、安定した食事をとることができないのです。そのため特に栄養状態の悪い子には給食がありました。私の場合食べるものがないという心配をしたことはありません。しかし、ご飯を食べることができるかできないかわからないという生活をしている人もいるのだと知り、子供たちの一生懸命食べている姿が胸に刺さりました。また、まともなご飯を食べることができず、スナック菓子ばかり食べているので肥満や栄養失調が問題になっているそうです。確かに子供たちがスナック菓子を手に持っている姿をよく目にしたし、食べるご飯は野菜がほとんど入っておらず、甘い味付けのものが多かったです。そのうえ、ミリエンダという習慣もあり一日に5食もの食事をとっていました。こういった食習慣が肥満や栄養失調に繋がると思いました。実際に現地での食生活を体験しましたが、野菜を食べるのと食べないのでは身体の調子が違いました。給食のような活動を通して、フィリピンの人たちが少しでも健康になれたらいいなと思います。
 はじめ私は言葉が通じないことや日本とは違う生活で不自由があることに不安でした。けれどとても楽しかったし、また行きたい気持ちのほうが強くなりました。また行ってホストファミリーや近所の人たち、学校の人たちに会いたいです。自分で旅行としてフィリピンに行ったとしてもこのような経験はできなかったと思います。貴重な体験ができてよかったです。


I.S.さん 
「カブヤオ市の子供たち」

私は初めてボランティアというものに参加しました。私が行ったフィリピンのカブヤオは想像していた以上に貧しい子供が多くいました。日本に暮らす私たちは当たり前のように毎日三食栄養のある食事をすることができますが、現地の子供達の家庭はとても貧しく、1日1食でもいい方とされています。またお金がないため学校に通えない子供達も少なくありません。私は貧困で苦しむ栄養失調の子供達の手助けを少しでもできたらいいなという思いから、フィリピンの小学校でボランティア活動をしました。そこでは年齢の割に細く小さな体の子供達が多く私は衝撃を受けました。日本がどれだけ恵まれているのか身に染みて感じました。普段の生活で充分な食事ができないため、給食の時がっついて食べる子供も多くいました。しかし一方で、普段から限られた食事しかできないため、意が小さく中々給食を食べ切れず残してしまう子もいました。そういった子供達を見て私は心が痛みました。日本での生活で食べ物が当たり前に手に入り、好きな時に好きなものを食べることができ、いらなくなれば簡単に捨ててしまう、という生活をしていた自分が憎く思いました。フィリピンの子供達は日本の子供達よりも体が小さく細く、栄養も不足している状態でとても裕福とは言い難いものでした。しかし、私が現地でお世話になったホストマザーは、「リッチとは決してお金があることではない。リッチとは心の豊かさを示すもの。」と私に教えてくれました。たしかに、現地の子供達は貧行くらしいをしていても明るく元気でいつでも私の名前を呼んでくれて話しかけてくれて、私が子供達の力になろうとボランディア活動をしていたのに、いつの間にか私の方が元気をもらっていました。日本にいる時はとても裕福な暮らしをしているにも関わらず、小さなことで挫けたり嫌になったりすることも多くあったけれど、子供達が一生懸命ご飯を食べて元気に遊んで自ら積極的に授業に参加している姿を見て、自分の考えてた辛いことなんて案外小さなことだったな、もっと頑張らなきゃなと勇気をもらいました。子供達の笑顔は本当に偉大で、これからも子供達の笑顔が絶えない明るい未来を私たちは作っていかなければならないなと強く感じました。世界中の子供たちの未来をより明るいものにしていくために社会に立つ私たちがもっと貧困問題について知り、考えていくべきだと思いました。


Y.M.さん 
「フィリピンでの経験を通して」

元々海外ボランティアに興味があり、何か自分にできることはないかと思い、このRASA-Japanの活動に参加させていただきました。日本を出発する前に先輩方からフィリピンでの生活や環境についてある程度教えていただいていたのですが、実際に行って経験をしてみるとそれは想像を遥かに超えていました。その中の1つとして生活環境です。蛇口をひねっても水は出てこないし、お風呂はもちろんなくバケツで洗い流す程度といった生活です。食事はご飯とおかず1品で1つのお皿でみんなで分け合って食べていました。服も破れても着れなくなるまで着ていたり、学校の教科書も使い回しで古いものを使っていました。家も決して十分とは言えないものでした。しかしこの様な生活や環境にも関わらず、そこに暮らしている人達はみんな幸せそうなのです。そこで本当の幸せは何かを考えました。お金が沢山あって裕福な暮らしをする事なのでしょうか?私は違うと思います。お金と幸せは無縁と言っても過言じゃないと思います。子ども達は毎日外でボール遊びや手遊びをしていたり、大人は近所の人と外でしゃべっていたり、カラオケをしたりして夜までずっと賑やかな雰囲気でした。そして同じ地域に住んでいる人はみんな家族のようでした。
 フィリピンで生活している中で1番感じたことは、相手を思いやる心の大切さです。貧困な地域であればあるほど犯罪に手を出してしまう人が多くいて、危ない地域だと思う人がいるかもしれません。私も実際そのうちの1人でした。私はフィリピンに行く際にお菓子を持って行きました。めったに口にできないお菓子を目の前に取り合いになると思っていたのですが、決して1人で食べることはしないで近所の子や兄弟と分け合って食べているところを目にしました。私よりもはるかに小さい子ども達が、欲しいと言われた訳でもなく分け与えている姿をみて感動をしました。
 学校でのボランティア活動はもちろん、ホームステイの経験ができることがRASA-Japanの強みでもあると思います。今でもホストファミリーと連絡を取り合ったり、テレビ電話をしたりとボランティア期間だけでなくその後も家族のように接してくれて、本当に感謝しています。この経験は中々できるものではないし自分を更に大きく成長させることが出来ると思います。本当に参加して良かったと心から思います。そして人生で間違いなく一番充実した9日間でした。この機会を下さったRASA-Japan団体のみなさん、応援してくれた家族に感謝しています。


K.S.さん 
「たくさんの思い出をありがとう!」

 ボランティア活動に参加してたくさんの思い出と勉強ができた。
 フィリピンのカブヤオはたくさんの子供たちの笑顔と、人々の温かさで溢れていた。小学校に行くとみんな人懐っこくて、手を振ってくれたり、名前を呼んでくれたり、虫を持って追いかけて来たり…。子供らしい無邪気で元気いっぱいの姿を私たちに見せてくれて、私もパワーをもらうことができた。そして何より、子供たちの日本語を覚える早さにもとても驚いた。
 しかし、体は細くて小柄な子が多く、やはり多くの子供たちが十分なご飯を食べられていないと思うと、少し悲しい気持ちにもなった。給食にビタミンの薬が付いてるのも栄養不足であることを改めて感じさせられた。私たちが手分けして作った給食をおいしそうに食べてくれている姿を見ていて大きく成長してほしいと思ったと同時に、自分自身、毎日ご飯が食べられることが当たり前ではないことに気づき、感謝しなければならないと感じた。
 また、カブヤオの人々はみんなとても心が温かい人ばかりで、地域全体がひとつの家族のように助け合って暮らしているのがとても印象的だった。それぞれの家に、自由に出入りして、食べ物を分けあったり、おしゃべりしたりして日本よりも人と人との距離が近いと感じた。実際に、私もホストファミリーの隣の家の誕生日パーティーに行き、豚の丸焼きを食べたり、ケーキを食べて賑やかな楽しい時間を過ごした。また、カブヤオの街をバイクで案内してくれて、普段バイクに乗る機会もない私にとって、新鮮でとても良い経験が出来た。
 ホストファミリーと過ごした時間もかけがえのない時間だった。初めは、トイレやシャワーに慣れない部分もあったが、すぐに慣れることもでき、ご飯も日本の料理の味に少し似ていてとても美味しかった。私のホストの家は子供たちが4人いたため、とても賑やかだった。
私が持って行った風船や、コマで遊んだり、一つのベッドに4人で寝たり、本当の家族のように接してくれて、充実した時間楽しい時間を過ごすことができた。
 今回のボランティア活動で、私はカブヤオの人々からたくさんの元気や力強いパワーをもらった。言語が違っても、お互いの気持ちを理解し、心を通じ合うことができると改めて実感した。また、日本にいるだけでは気付けなかった、文化や生活の違いを肌で感じられ、それぞれの国の良さや改善点を見つけることができた。
 カブヤオの子供たちが私たちに見せてくれた笑顔を絶やさずに、大きく成長してほしいと思う。また絶対会いに行くね。


K.T.さん 
「フィリピンを経験して」

 フィリピンに行く前までは考えてなかった国際開発の分野に、フィリピンに行って興味を持ちました。
 フィリピンに行ってみないと経験できない生活環境や生活のリズムがあり、RASAはホストファミリーの家に泊まってそれを体験することができ、他にはない貴重な時間を過ごすことができました。


M.A.さん 
「ボランティアから得る報酬と意義―RASAの活動を通じて―」

 現代社会では、人・物・金・情報・サービスなどが国境を越えて全球的・脱国家的に広がっている。これに伴い、国内のみならず、国境を超えたボランティアが普及している。例えば、開発途上国に学校建設、孤児院の子供とダンスを通じて交流するボランティアなど、多岐に渡る。これらは、能動的にかつ肌で感じながら異文化を学ぶことを可能にし、国際社会に大いなる寄与をするといえよう。RASAによるフィリピンの貧困層の人々を支援する活動はこうした国際ボランティアの一つである。ここでは、RASAの活動を主軸としてボランティアから得る報酬と意義について考察していきたい。
 そもそもボランティアとは、「志願者や奉仕者という意味を持つ言葉」と定義されている。つまり、己の意志に基づき、他社や社会に対して奉仕する行為である。
 ボランティアから得る報酬は二つあると考える。
 第一に、自己の中で社会問題を顕在化することができる。現代では新聞やテレビといったマスメディアが信頼を失っている。その背景には、インターネットの発展がある。これによって、ネット上では新聞やテレビが報じていないニュースが浮き彫りになる。もちろん玉石混淆の情報が蔓延している中、ネットによって明らかになった社会問題も少なくない。しかし、こうした情報は信憑性が高くないのが現状である。これに対して、ボランティアでは社会の実情を肌で感じ取ることができると共に、自己の中でこうした問題を考える契機になりうる。
 第二に、自分らしさを見つけることができる。国際ボランティアでは、異なる価値観や言語を持つ人間との協力が必要とされる。これを通じて、管見にとらわれることなく物事を俯瞰してみる能力や、確固たる自我を得ることができる。世界経済が飛躍を遂げている現代では、自己が他の何者でもないオリジナリティな人間であることがますます必要であろう。
 しかしながら、ボランティアを利己的な手段としている者もいる。例えば、就職活動において有利な立場を得るため参加する学生が存在する。確かに、ボランティア活動は主体性や協調制、行動力などといった人間力を培うため、自己PRの足しになるのかもしれない。だが、それは副産物にすぎずボランティアを始める一義的な目的にはなりえないのである。
 先述したように、ボランティアとは、あくまで“己の意思に基づいた無償の奉仕”である。この意義を重んじた上で参加するべきである。また、開発途上国の人々に対する痛みの共有・心の共有は重要であるが、彼らを”一人の人間“として見做すことが必要であると考える。何故なら、開発途上国の人々=”貧困で可哀想な人間“という先入観を抱くことは、彼らに対して無礼な行為であるからだ。したがって、彼らを同じ人間と見做した上で、心に寄り添いながらボランティアに参加することが肝要であろう。


M.A.さん 
「出逢い」

 2018年度の給食支援活動のボランティアに続き、二度目の参加。今回の目的の一つでもあった現地の人たちと再会できたことに嬉しさ、喜びを感じた。普段はSNSで連絡をとっていたものの、直接会えるというのは格段に違った。私が今回の活動を通して感じたことや学んだことは二つある。
 一つ目は、「本当の幸せ・豊かさ」とは何かを今一度考えさせられたことだ。そこには沢山の人と交流したことが私にとって大きな影響を与えたと思う。フィリピンの多くの地域では日本のように物に溢れ、インフラが整備された環境とは正反対の場所が広がっている。しかしフィリピンの人々は思いやりの心を持った温かさ、笑顔が輝いていた。私が滞在中、出逢った家族について紹介したい。まず今回お世話になったホームステイ先の家族。英語が話せられないお父さんは私にご飯が口に合うか、お腹空いていないか一生懸命ボディーランゲージで毎回コミュニケーションをとってくれた。お母さんはハロハロが食べたい、湖に行きたいなど色んな私のわがままなお願いに文句一つ言わず笑顔で聞き入れてくれた。子どもたち二人は一緒に遊びに誘ってくれ、学校に行く前や寝る前までもずっと遊んでくれた。そして、昨年お世話になったホームステイ先の家族と再会した。一年前と比べて家の一部を工事していたり自動車を買っていたり変化も見られたが、懐かしい風景にどこか安心するような気がし、フィリピンに帰ってきたと感じた。思い出話に花を咲かせ、近況報告し合い、家族って温かい大切な存在だとも感じた。改めて家族を大事にすること、お金では買えない心の豊かさ、無償の愛を感じ充実した9日間を過ごすことができた。
 二つ目は「食」の大切さだ。昨年RASAの給食支援を受けていた二人の子に出逢った。二人共6年生になったものの給食支援の対象に選ばれず、そのうちの一人の子は「今日はご飯を食べていない」と話した。また空のお弁当箱を持って校庭を走っている子どもたちの姿を見た時、心が痛んだ。現実は想像以上に違い、私はボランティアとして来ているのに何もしてあげられない自分がいた。食べることは生きること。誰もがお腹いっぱい食べられる世界になってほしいと願う。
 私は正直フィリピンに行くまで、先入観でその国を見ていた部分があった。しかし実際は情に厚く、大変な環境下でも笑顔な方が多かった。情報だけに惑わされず実際自分の目で見て経験することの重要性を知った。フィリピンに限らず、もっとたくさんの国や場所に足を運び、自分の知らない世界を見てみたい。新しいことにも挑戦していきたい。フィリピンの人々と出逢えたことは私の人生の中で忘れることはできない記憶だ。また家族に会いに行きたい。RASAのボランティア活動に参加してよかった。ありがとうございました。


A.A.さん 

 私たちを笑顔で元気よく迎えてくれる子どもたちに私がたくさんの言葉では表せないほどのものを貰うことができた。
私たちのする授業を真剣に聞いてくれて、沢山たのしそうに話をしてくれて、、
日本にいたら気づけなかった何気ない当たり前のことに感謝する気持ちを思い出し、考え直すことが出来た。


O.A.さん 
「新たな経験」

 初めに、なぜ私がこのプログラムに参加したかというと授業で恵まれない子供たちや貧困の地域についての話を聞いているうちに興味、関心が湧き私にもなにかできることがないかなと思い、今回のプログラムに参加しました。
 この夏に過ごした9日間は今までにない体験ができ、感じたことのない感情がたくさん出てきました。まず、現地へ着くと日本とは異なる外観で、ホストファミリーの生活を見ていると電気やガスなどを頼るというよりは手作業で洗濯機すらも見当たらず、また交通も近くに駅やバス停はなく、トライシクルという簡易タクシーを使い移動することに驚きました。ガリガリになった野良犬がたくさんいることも特徴的です。そして、私のホストファミリーには子供はいません。そのためホストの家の近くで遊んでいた子供たちに声をかけて日本の遊びを教えました。始めは突然異国から来た私たちに戸惑い、心をあまり開いてくれませんでしたが時間が解決してくれ1日で顔を覚えてくれ、2日目には名前を覚え呼んでくれてすっかりと懐いてくれました。母国語が違えば、お互い英語を流暢に話せれるわけでもないのによくコミュニケーションが取れたなと思います。また彼らには協調性がとてもあり、遊んでいる最中に景品でお菓子をあげると独り占めするのではなく分け合いながら食べていました。フィリピンの人たちは助け合いながら生活をすると聞いていましたが、こういったなにげないところから出ているのだなと感じました。そして私たちが行った地域は観光客が来る地域ではないのですれ違う人からとても注目を浴びますが、私たちが挨拶をするととても気持ちよく笑顔で返してくれ、人種について差別的に見るのではなく暖かい国と思いました。現地の学校へ行くと、給食支援で食べられる子供たちは栄養失調で選抜された僅かな人数しか食べることができないと聞き、驚きました。日本の子供たちにとって栄養失調という言葉はあまり馴染みがない感覚でおり、フィリピンではとても多いことに圧倒されました。また給食支援されている子どもたちの中で、家の近くで遊んでいた子供たちがいたので少し同情してしまいました。あんなに元気に外で遊んでいるのに十分な食事の量を与えられることができないと思うと心が痛くなります。しかし現地の子どもたちはそういったことを全く感じさせずに常に元気で、遊ぶ時も授業を受ける時も何事にも一生懸命で反対に私たちが勇気づけられることばかりでした。
 今回の9日間を通して、ホームステイや日本語授業など今までにない経験ができ、充実した生活がおくれました。また日本と比較してしまうと生活水準は低く、便利性は欠けますが日本で生活していて当たり前と思っていることはそうではなく、違った視点から価値観をみることができ、視野が広まりました。最後の子供たちとのお別れはお互い大号泣でここまで思い出深くなるとは思わなかったです。この子たちの笑顔を忘れずに、そしてよりよい生活になるよう願っています。


K.H.さん 

 初めての不フィリピン、初めてのRASA-Japanでの活動から3年の年月を経た今年8月、私は2度目のフィリピンを訪れました。3年も経てば1年生は4年生になり、その間に私も色々な経験を重ねてきました。それでも、フィリピンでのボランティア体験は私の大学生活の原点でもあり、何か決断するときや物事を判断する際の軸としていつもどこかに、フィリピンでの経験があったと思います。初心に戻るためにも、私は2度目のfeeding programに参加しました。
 前回と同様に、ボランティアに参加しながらも、何もできない歯痒さとは常に隣り合わせでした。給食に使う食材を刻み、出来上がった食事を配膳する。誰にでもできる、とても簡単な作業です。給食が終われば子供たちと交流し、日本語の簡単な授業を行う。ホストファミリーと家に帰っても、ファミリーの寝床を奪い、逆に迷惑になっているのではないかという気にさえなります。しかし、自分一人の力の無力さを自覚しても、今の自分にできることを精一杯やることが大切だと私は思いました。
 前回と今回の活動を比べると、いくつか変わったことがあるのに気付きました。例えば、給食を食べに来る児童が、以前のボランティアの時より一回り大きくなった気がするし、道路も以前はもっと整備が全くされていなかったのに、少しマシになりました。私たちボランティアの活動も、依然としてVIP待遇感は否めないものの、掃除や日本語の授業など、活動が広がりました。少しずつだけど、色々な人達の力でできることが増えていっています。そして変わらないこともあります。疲れていても私たちをたちまち笑顔にしてくれる子供たちのエネルギーや、フィリピンの人々の心の温もり、キラキラと鮮やかに際立つ風景など。そこには日本のような物質的な豊かさはないかもしれないけど、たしかに豊かさに溢れていました。
 私たちがなんの疑問も浮かべず享受する生活が決して当たり前でなんてないことを、改めて実感しました。そんな彼らに対して自分一人が出来ることなんてたかが知れているかもしれない。私一人が足掻いたところでなんの意味もなさないかもしれない。それでも水面に石も投げればどんな小さな小石でも、やがて大きな波紋をつくる。1人の行動はちっぽけでも、それに共感し人が集まってみんなで変えようとすれば、時間はかかっても必ず変えることができると私は思う。私はたとえ自分のすることがどんなに意味が無い小さな行動でも、フィリピンの現状に疑問を呈し今よりさらに良くなるよう、石を投げ入れる行為をやめずに続けたい。
 最後になりましたが、今回のボランティアに当たって、私たちの活動を支えてくれた藤井さん、RASAの方々、ホストファミリーやフィリピンの皆さん、それから一緒にボランティアを行ったみんな、ありがとうございました。みんなでフィリピンに行けて本当に良かったです。

PAGETOP
Copyright(c)2018 RASA Japan All Rights Reserved.