フィリピンの恵まれない児童に学校を! 給食を! 教育こそ貧困の連鎖を断ち切る力になる

ボランティアの声2019年

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2019年2月3日~22日
  学校建設に参加したボランティアの声です


S.M.さん 南山大学2年
「私の大切な家族」

「アテー!」。今でも写真から聞こえてくる声。私のホームステイ先はお父さんとお母さん、小学校に通う2人の兄弟と3歳の妹の5人家族。見た目だけで昔やんちゃしてたんだなって分かるほどファンキーで、いい意味で異彩を放ってた両親は最初ちょっと怖かった、笑。しっかりしてて強気なお兄ちゃんと内気で甘えん坊な弟は1日何回喧嘩するのっていうぐらい元気で遊び盛り。そして1番下の妹はお母さんのイメージにぴったりのおてんば金髪少女。そんな賑やかでファンキーな家。家の中は子供達のおもちゃでいっぱい。柱にはたくさんのディズニープリンセスの人形、床いっぱいのキティちゃん、ドラゴンボールの大きなポスター。私のイメージしてたものとはだいぶ違ったのと同時にすごく懐かしかった。
 こんな家で始まったホームステイ生活。一人っ子の私は初日から大変なことばかり。一人っ子なんてひたすら1人で遊んでたから、「お姉ちゃん!」って寄ってきてくれるのがすごく新鮮だった。しかも3人。タガログ語で“お姉ちゃん”は“アテ”。初日の夜は散々「アテセリカ!」と呼ばれて疲れた。でも、お姉ちゃんって慕ってくれたのがすごく嬉しかった。が、翌朝はニワトリが鳴くのと同時に「アテセリカ!」の声で起こされた。まだ朝の4時半。結局寝れなくなって朝から外を走り回って、学校終わって帰った時にはもう疲れ切ってた。でも驚きは続いた。夕方になると近所の子供達がどんどん家に集まってくる、知らない子達が家の中に土足で入って来て、お父さんがスピーカーで爆音の音楽を流し始めると集まった子供達が一斉に踊り出した。一瞬で家の前が野外クラブになった。これが日常なのか特別なのか…。日常的にやってるようだったけどこれがフィリピン流の歓迎だったみたい。日本ではあり得ない。子供達の事だから2、3日ですぐ飽きるだろうと誰もが思っていたのに、これが1週間経っても変わらない。ましてや日が経つにつれて初対面の子供達が増えてより一層賑やかになった。本当に毎日ミッキーマウスになった気分。
 週末にはお母さんに頼んでデパートに連れて行ってもらった。初めて家族だけで出かけたけどこれがとても大変。私は手が2本しかないから3人兄妹のうち誰か1人は手を繋げない、そして基本誰か1人が泣いてるかどこかに行ってる状態。お母さんの気持ちがよーくわかった…。でも一緒にゲームセンターに行ったり、弟の大好きなジョリビーを食べたり本当の家族のようでとても楽しかった。
 学校に行く最後の日まで手を繋ぐ争いは無くならなかった。その時は弟と妹に譲ってあげるお兄ちゃんも、恋人並みに甘えてくる弟も、地味に1番強い権力を持つ妹も自分の横を歩いているのが当たり前になってた。最終日の朝、その日は初めて「アテセリカ!」と起こされなかった。どうしたのかと思って探すと家の外で泣いてた。その姿を見て私も涙が止まらない。その時不意に「もう二度と会えないのかもしれない」と思った。こんなに当たり前にいた家族なのにこんなに簡単に離れちゃうのかと思った。 言語も生活も全く違うのにこんなに離れられないとは思わなかった。世界の広さを実感した。ずっと私の大切な家族!!


S.I.さん 椙山女学園大学2年
「幸せとは」

 私はRASAの活動を通して、幸せのあり方について考える場面が多くありました。まず、学校建設ボランティアでは機械を使わないためすべてが手作業でした。日本では機械で作業が行われる為すばやく頑丈に出来上がりますが、手作業では不可能だと感じました。学校建設の手伝いをしてワーカーさんの大変さが分かりました。日本の真夏同様の気温で、日本よりも日差しが強い中で長時間作業し続けているのは本当にすごいと思います。私は短時間の作業で疲れてしまいました。現地のワーカーさんはすごかったですが、日本の技術がどれだけ進んでいるのかを実感することができました。それらを当たり前に利用できることは幸せなのだと思いました。
 また、数回日本語の授業を行って最も驚いたことは、フィリピンの子どもたちの勉強に対する意欲です。日本語は英語と違い日本でしか使うことができないのに興味津々に授業を聞いてくれて、覚えた言葉や単語をたくさん使ってくれました。中には積極的に、これは日本語でなんと言うのかと質問してくれる子もいました。勉強ができるということも幸せの一つだと感じました。
 さらに、15日間のホームステイを経験して毎日驚くことや初めての経験が多く、充実した生活をおくることができました。ホストブラザーは2歳と4歳の男の子でした。私は男兄弟がいないため、はじめは接し方が分かりませんでした。しかし毎日一緒に過ごしたことで「弟ができたらこんな感じかな」と思ったり、本当の弟ができたように感じてすごく嬉しく思うようになりました。放課後は近所の子達と暗くなるまで外で遊び、家でご飯をみんなで食べてホストマザーと色んな話をしました。私が話す英語を一生懸命理解しようとしてくれたおかげでたくさん話すことができました。ホストマザーが「私はあなたの母として、姉として、あなたの人生があなたにとって良いものになることを願っているし、自分を大切にしてほしい。」と最終日に言ってくれました。この言葉と経験をこれから大切にしたいし、この出会いを大切にしていきたいと思いました。フィリピンでの生活は決して裕福ではなく日本よりも不便なものでしたが、笑顔が溢れていて心の豊かさがありました。フィリピンでの生活を思い返しても笑顔が絶えない毎日だったなと思いました。便利な生活も幸せですが、外で友だちと走り回って遊んだり、近所を探検したり、たくさん色んな人と話すことが幸せだと感じることができました。心が満たされて充実した生活をおくることができたと思います。その反面、日本人に生まれて日本で生活ができて幸せだなと思いました。当たり前のこの生活を大切にし、出会った人たちに感謝してこれから生活していきたいと思います。
 最後になりましたが、典夫さん本田さんシーランドさん、たくさんのサポートありがとうございました。私にとって大変良い経験になりました。そして、一緒に参加したRASAメンバーみんなのおかげで楽しくて、参加してよかったと思えました。ありがとう!


N.K.さん 南山大学2年
「RASAが好き」

 今回フィリピンに行ったのは初めての海外渡航でした。今までなんとなく海外に行きたいって思っていたけど、なかなか行動が起こせなかったし、なんだかんだ海外行かずに大学生活終わるんだろうなーって思ってました。そんな中、RASAと出会ったのは自分の人生にとって大きな出来事でした。
初めて海外に行くってだけあって、自分の未熟さだったり、無知さだったりを知りたかったし、とにかく異言語異文化にコテンパンにされたいっていうドM精神はすごかったです。出発前はフィリピンでどんな生活が待っているのか、楽しみで仕方ありませんでした。
 でも、フィリピンに到着してからは衝撃の連続でした。初日に空港ついてからのバスも運転荒いし、車間距離って言葉知ってんのかって感じだったし、トランクに全然スーツケース入れてくれないし。お昼のジョリビーのオレンジジュースは甘すぎたし。初めての海外だったとはいえ、こんなにも違うのかと衝撃を受けたし、若干ホームステイが不安になってきてもいました。
 でも、フィリピンでは知らない人たちに積極的に声をかける事を目標にしてたから、拙い英語とタガログ語でたくさん話しかけました。そしたら、現地の人は皆めっちゃ優しくて、ホストファミリーは自分のことを本当の家族のように扱ってくれたし、子どもたちはめっちゃ遊んでくれるし、ゲイたちはめっちゃ面白かったし。セブンイレブンのレジの店員さんは一緒に写真撮ってくれたし、セブンの入り口のガードマンのおっちゃんも、外でご飯食べてる知らない人たちも一緒に写真撮ってくれたし。こんなフレンドリーで楽しくて、ハッピーなフィリピンの人たちと生活することが楽しくて仕方がなかったです。それこそ、フィリピンでの生活を通して、物質的な豊かさじゃなくて、心の豊かさ、人と人との繋がりこそ大切なんだと、テンプレのような感覚になりました。フィリピンに行ったことは、自分にとってプラスにしかなりませんでした。思い切って参加して本当に良かったです!
 でも、それ以上に、僕はRASAのメンバーに会えたことが一番幸せなことだと思いました。
実は最初RASAのメンバーと話すのが不安で仕方ありませんでした。むしろ、フィリピンでの生活よりも、皆と仲良くなれるのかが一番不安だったくらいでした。
研修会行ったら、当たり前だけど知らない顔ばっかりだし、櫻井しか話せるやついないし。サークルっていう集団に所属しているってだけで、なんだか怖い人っていうイメージ持ってたし、なんか知らんけどアドル勢めっちゃ怖かったし。かろうじて6班の子たちとは3回目の研修会までに仲良くなることができ、正直班で活動する事に関して不安要素はありませんでした。でも、フィリピン行く当日も空港でも現地でもメンバー全員を見渡して、「この子たちと仲良くなれんのかな」ってずっと不安でした。でも、話さなきゃ何ともならないし、頑張って皆と関わるようにしました。そしたらよ。なにこの意味分からないくらい楽しくておもしろくてクセの強い人たち。このメンバー最高じゃん。男子に関しては頭の悪い奴らしかおらんし。ずっとミリエンダゲームしてるし、それでバナナ6本食い出すし、意味の分からない色のパンケーキ食べさせられるし、ジュース一気飲みし出すし、ずっとドボンやってるやついるし、ずっとZARDの歌聴いてるやついるし、なんか急にでっかいバケツで風呂作るやついるし、それに一緒に入ったし、体調崩してバイクに乗り回されてぶっ倒れるやついるし、生命力弱くてずっと体調悪そうなやついるし。2週間半経ってみれば、RASAのメンバー全員のことが大好きになってました。
 フィリピンでの生活が楽しかったのは、現地の人たちの優しさがあったのも事実ですが、このメンバーとだからこそ、2週間半の生活を乗り越えられたと思っています。RASAメンバー大好きです!ありがとう!


M.K.さん 南山大学1年
「豊かさの定義とは」

 今回のフィリピンでのボランティアを通して、私が1番考えさせられ、印象に残ったことは「豊か」とは何かということです。正直私は、実際にフィリピンに行くまで、お金が無く貧しい生活を送っている、電気ガス水が整っていない、教育が成り立っていないなどの物質的・経済的な豊かさの問題についてしか意識していませんでした。その為、フィリピンの村に到着するまでは、この村の貧しい人々が少しでも豊かになるように、学校建設の作業や日本語教育の授業を頑張ろう、この村の人達に感謝されるようにボランティアの精神を持って働こう、と思っていました。けれど、マニラからパンディーの学校に観光バスが到着し、私達がバスから降りた時の村の方々や子どもたちのとても幸せそうな笑顔と私たちを歓迎してくれる勢いに圧倒され、「あれこの村貧しくないのかな、豊かなのかな?」と感じたのがRASAの活動の第一印象です。
 実際にホームステイしてみて、日本と違うなと感じたことが2つあります。まず1つは、人と人との繋がりです。家に帰ると、前の家のおばさんや近所の子ども達などが当たり前のように部屋に入ってきて、テレビを観たり、カラオケをしたりしています。家の外に1歩出るだけで、同じ集落の子どもたちが遊んでいたり踊ったりしています。私が日本で送っている生活では絶対にあり得ないことなのでとても新鮮でした。さらに、ご飯や薬も同じ集落同士で交換したり貸し借りしあったりして、協力して生活している光景が多くありました。このような人と人との繋がりがフィリピンの人達の心の豊かさを満たしているのだと思います。2つ目は、物質的な設備の充実度についてです。道は舗装されていなくてガタガタ、蛇口をひねっても水は出てこないのに、カラオケマシーンやネイルなどはあるという不思議な状況に疑問を持っていました。個人的な私有物を買う経済力はあっても、電気水ガス、道路建物など政府が関わる国家的規模の問題における国の経済力が不足しているのかなと感じました。
 豊かさの定義とは何か?について考えながら過ごしてきた18日間のRASAの活動で発見したことは、ひとりじゃないことが幸せであり、常に誰かといることで他人のことを思いやれるようになるということ。お金の豊かさではなく、心の豊かさが大切であり、物質的な豊かさと心の豊かさは比例しないこと。最終的に、豊かさとははっきりと定義出来るものではなく、活発なコミュニティが存在し、人と人との繋がりの中で自分がどのように幸せだと感じるかどうかだと思いました。フィリピンで過ごした18日間は毎日が新しい発見の連続で一生忘れられない経験になりました。RASAを通してパンディーに来れてよかったです。この経験を糧に、常に思いやりの気持ちを大切に、当たり前のことを当たり前だと思わず何事にも感謝して、これからもたくさんの人々と関わって自分自身の人間性を磨いていこうと思います。


S.N.さん 椙山女学園大学1年





S.Y.さん 南山大学2年
「RASA-Japanに参加して」

 フィリピンへのボランティア留学は私にとって初めての海外経験でした。フィリピンに行く前にRASAの先輩の話や映像などを見て漠然と水回りの心配や食事の心配、言葉は通じるだろうかと考えていました。しかし実際行ってみると自分が考えていた以上に異国での生活は過酷なもので、道路は整備されていなくて乗り物酔いをしたり、家に蛇口が一切なく井戸水で体を洗わないといけなかったり体調を崩したりもしました。今まで当たり前のようしてきた日本での生活がいかにすごいことなのかを実感し、そのありがたみが日ごとに大きくなっていった気がします。ホームステイが終盤に入りホストファミリーとの会話のなかで一番上のお姉さんが20歳になったら東京に出稼ぎに行くという話をしてくれました。理由を聞くと弟が学校に行くためのお金がないから賃金の高い東京に行くということでした。本来大学に行けるほど優秀な子が働かなければならないということを実際に聞きとても悲しくなったし東京は物価が高いから仕送りをしながら苦しい生活になるのではないかと心配もしました。今までほとんどお金の心配をせずに大学まで行くことができたことに感謝し一生懸命勉強しなければいけないという気持ちを改めて持つことができる体験でした。
 ホームステイ先での生活は辛いことばかりだったわけではなく、ホストファミリーとの日々の会話やボランティア活動など楽しいこともたくさんありました。なかでもRASAのメンバーでやったミリエンダゲームは毎日楽しかったし海水浴も最初はみんな入らないといっていたのに結局入って楽しんだり、RASAのメンバーとのフィリピンでの生活は本当に笑顔の絶えないものでした。
 今回のホームステイでフィリピンはたしかに日本に比べれば経済面やインフラ面などの豊かさはなかったですが常に楽しんで生活をしているという日本人にはない豊かさを持っていると感じました。日本人は豊かになったがために見栄を張ったり、周りと常に競争の意識があると思いますが、フィリピンの人たちは近所の家にたくさん人が集まって遊んだり、誕生日をみんなで祝ったり、本当に心が豊かなんだなと感じました。
 これから社会人になっていく中で少しでもフィリピンのような国の発展の手助けになるような仕事ができればいいなと思います。


C.H.さん 名古屋女子大学2年
「フィリピンでいっぱい学んだ18日間」

 私は、名古屋女子大学(以下名女と書きます)3人組のひとりとして参加しました。最初はほんの興味本位でした。うかうかしていたら、もう明日が旅立ちの日でした。名女3人組は仲良く電話をしながらやっと明日に迫った日本とのお別れにむけて準備をし始めました。虫やネズミ対策グッズのために薬局を駆け回りました。あっという間に出発の日で、不安すぎてずっと行きたくないと思っていました。そんなのひとりだけかと思っていたら、そこには名女のお友達がいました。現地についてバスに乗っても不安でした。でも、飛行機の中でRちゃんとした、フィリピン人と思われるCAさんの機内設備と非常機器の説明の動作に手品のミュージックをつける遊びが楽しくて楽しくて。そんなしょーもない遊びで過ごしていたらあっという間にフィリピンについてしまいました。入国審査の人が怖すぎて怯えました。日本を出たときはあんなに寒い2月だったのに、フィリピンに着いたら暑すぎました。バスに揺られてジョリビーで初めて食べたフィリピン食が個性的な味がしました。さらに揺られて到着した町は学校以外に大きい建物が見当たらない田舎町でした。ずっと不安だったけどホストマザーがすごく優しい人で、「ナナイ(お母さん)って呼んでね~」と言ってくれました。だから不安だったけどやっていけると思ったし、シャワーも蛇口すらないお風呂場でも初日から抵抗なくいけました。近所にRASAのメンバーもいて心強かったです。その日は疲れていたからすぐ寝ました。
 次の日は起きたら早起きしたつもりだったのに、もうご近所メンバーが起きていて、1時間半くらいゆっくり過ごしてからみんなで学校に行きました。作業は簡単だけどとにかく暑かったです。帰ってからの出来事がホームステイ生活のすべてを変えました。20人弱の近所の子供たちとバレーボールをしました。正直子どもたちの体力すごすぎました。ずっと元気1000%でした。この日から放課後は毎日近所の子供たちと遊びました。楽しいけど学校で作業するよりも疲れました。だけどそこで関わった子どもたちとの時間は、日本では絶対に味わうことのできない、楽しくて素直な時間でした。だからあの時は元気すぎー!と参っていたけど、日本に帰って、あの時間がどれだけ幸せでかけがえのないものだったか実感して、少し寂しくもなります。作業のように子どもたちに折り紙を折りまくったのもとてもいい思い出です。今は、あの時の嬉しそうな子どもたちの顔をもっとちゃんと見ておきたかったなという後悔すらあります。子どもたちは本当に無邪気で元気で、今思えば私のほうが遊んでもらっていました。
 日本語の授業は本当に多くの学びがありました。私は将来子どもに関わる仕事をしたいと思っていて、大学では小学校教諭になるための勉強をしているので、実際に子どもたちに対して1時間の授業が出来たことがすごくいい経験になりました。子どもの興味や集中力、どうやったら楽しく学べるかを考えて班で授業が出来て良かったです。自分も多くの学びがあっただけでなく、純粋に楽しかったです。子どもたちは家に帰ってからも、日本語の授業でしたことを嬉しそうに披露してくれました。一生懸命日本語で数字を数えたり、じゃんけんぽん!でじゃんけんしたり、寝起きでオハヨーとあいさつをしてくれたり。そうゆうことがすごくうれしかったです。
 休み時間はRちゃんやYと名女らしく歌ったり楽しいことをしたりして過ごしていました。特に楽しかったのはトトロです。本当にこの二人がいなかったらやっていけなかったと思います。二人とも、フィリピンでの生活を楽しくしてくれて、誘ってくれて、サラマッポー!一緒に行ったメンバーにもサラマッポー!そしてこんな見ず知らずの私を受け入れてくれたホストマザーをはじめとしたパンディの方々、素晴らしい経験をさせていただいたRASAに、、、サラマッポー!


N.H.さん 南山大学1年
「No title」

はじめの一週間は生活水準の違いに苦しみましたが、私を家族として受け入れてくれたLoterte ファミリーに救われました。この二週間で大切な家族と大切な友達と素晴らしい経験を得ることができました。ありがとう!!フィリピン


H.T.さん 南山大学2年
「RASAボランティアプログラムに参加して」

 私のRASAとの出会いは、高校三年生のときでした。南山大学の学部説明会に来た際、ロゴスセンターの前に貼ってあったRASAのボランティア募集のポスターを見て、「大学生になったらこういうのに参加してみたいな~」なんてことを思ったのを今でも覚えています。まさか3年後、本当に実現するとは…。自分でもびっくりしています。
思い焦がれ(?)、やっと参加できたこのプログラムでの2週間ちょっとは、自分にとって忘れられない時間になりました。ここからは、フィリピン到着から日本帰国までの私の心の変化を書いていこうと思います。
○フィリピン到着、ホームステイ先にて○
「えっ…シャワーじゃなくて水浴び…?トイレも流れない…(汗)(早くも心折れそう)」
↓↓↓
○翌日○
「待って食べる量多すぎ、ミリエンダ…」
↓↓↓
○3日後くらい、体調崩して○
「やばい…自分の家でゆっくり休みたい…帰りたい…」
↓↓↓
○体調よくなって数日後○
「あ、なんか水浴び余裕だわ。ミリエンダまだかな」
「子供たちかわいい、この子達と離れたくない」
↓↓↓
○パンディ最終日○
「いやだぁぁぁぁ帰りたくないぃぃぃ」
↓↓↓
○マニラ○
「都会…」(割愛)

 最初は不便な生活、フィリピンの文化に戸惑い、何度か日本に帰りたいと思いましたが、その生活にも慣れ、フィリピンの人たちの温かさに触れるうちにそんな気持ちはどこかにいってしまいました。むしろ帰りたくないと思うほど…!日本よりも不便だし貧しいけれど、楽しそうに過ごすフィリピンの人たちを見て、「幸せ、豊かさってなんだろう」と滞在中ずっと考え、自分のこれまでの人生観がかなり変わりました。素敵な出会い、そして自分を成長させてくれたこのプログラムに本当に感謝しています。ありがとうございました!
○おまけ 帰国後、バイト先にて○
「もう嫌だ…パンディに帰りたい…」


K.K.さん 椙山女学園大学2年
「フィリピンに行ってみての感想」

 今回のフィリピンでの生活やRASAの活動を通して、参加して心から良かったと思う。参加することをすごく迷い、タガログ語はわかんない、虫は出る、生活は日本と全く違うなど心配なことはたくさんあったが、帰るのが寂しくなるくらい楽しめた。
 フィリピンでの生活は驚きでいっぱいだった。まずは、初日のウェルカムパーティーでの歓迎ぶりだ。小学校にたくさんの人が集まっていて、手を振ってくれたり、笑ってくれたりして安心した。こんなに歓迎してくれたことはすごくうれしかったなと思う。日本との生活の違いに驚いたこともたくさんあった。行く前に話は聞いていたが実際に経験してみるのでは違うなと感じた。虫が普通にいる環境でゴキブリがでるんじゃないかという恐怖があって初日はなかなか眠れなかったし、寝ても何回も目が覚めてしまった。お風呂もトイレも実際に見たときは「まじか」と思った。お風呂も最初は水だったし、トイレも何が正解かわかんなかった。ご飯だって一日5食とは聞いていたが「まさか」と思っていて、でも実際に食べた量は1日5食だったし、その量が普通になっていった。行く前は食事が合わなくて痩せるかなと思っていたけど、全然そんなことなく美味しかったし、普通にたくさん食べていてびっくりした。不安しかなかった生活だけどあっという間に慣れて、その中でどういう風にすればいいかもわかってきた。日中は学校にほとんどいたが学校にも驚きはたくさんあった。門番がいるし親の送り迎えなどセキュリティーがしっかりしていた。学校は二部制で生徒がとても多かった。たくさんの驚きがあり、ここでしかできない体験をできたことは自分にとってプラスなことでよかったと思う。
 RASAとしての活動を通して、気づいたことがいくつかある。私たちが主にしたのは建設作業の手伝いと日本語授業である。たったわずかな期間でたったわずかなことかもしれないがボランティアとして協力できたことをうれしく思う。日本語の授業をしてみて子供たちがいかに勉強の意欲に溢れているか実感した。貧困などの理由で学びたくても学べない状況を変えるにはどうしたらいいのだろう、よりよい環境で学ぶには何が必要なんだろうと難しい問題ではあるが考えたし自分には何ができるのだろうかと思った。日本では当たり前のことを改めて考えることが出来た。
 今回一番に感じたのはフィリピンでの人との関りである。毎日たくさんの近所の人と挨拶したし、毎日たくさんの子どもと遊んだ。学校でも子供が溢れているし、家でも玄関がいつでも空いていて、たくさんの人が出入りしていた。みんなにとって私は初めて会った外国人なのにすごく優しいしすぐ友達になったいた。素敵な人たちに出会えてよかったしお別れがあんなにつらくなるなんて想像もしなかった。そしてなによりRASAメンバーがいたからこそ乗り越えられたと思う。知り合いは一人もいなかったけれどみんなと毎日過ごすのが当たり前になっていたし本当に楽しかった。日本での生活がつまらなく感じるくらいフィリピンの生活は濃くて充実していて思い出がたくさんできて幸せだなと感じている。


S.S.さん 南山大学2年
「Pandi」

 私にとって初めての海外だったので楽しみもありましたが不安の方が強かったです。初めて学校に行ったときたくさんの子供たちに圧倒されました。部屋に案内してもらう途中でたまたまマザーとすれ違ったとき名前を呼んでもらえて嬉しかったです。みんなとてもテンションが高くてにぎやかで楽しそうだと思いました。家に帰ってお土産を渡して部屋に入ろうとしたら巨大な蜘蛛がいたのでマザーに言ったら普通サイズと言われて部屋の中にそのまま逃げて行ってしまいました。学校までヘルメットなしでバイクに二人乗りすると言われたとき最初は怖いと思ったけど3回目ぐらいからは乗り方のコツを覚えて楽しくなり、バイクに乗ってお出かけするのが大好きになりました。学校から帰るとバイクでお出かけをしたり、近所の子供たちと遊んだりして過ごしました。近所の子供たちは「アテサワ」と呼んでくれるようになって嬉しかったです。学校から帰って近所の子供たちと遊ぶのを毎日楽しみにしていました。夜になって家でファミリーと会話をしたのですが私が英語を話せないので伝わりづらかったです。それでも、お土産で渡したお手玉で子供は遊んでくれていて、最初は全然出来ていなかったのに3日後には上手になっていて驚きました。たくさん話したいことはあるのに英語が話せないのがもどかしかったです。英語を話せたら良かったのにと強く思いました。最初の1週間はとても長く感じましたがそれからはあっという間でした。最初はお風呂もトイレも本当に嫌だったけれどだんだん慣れてきました。でも日本のご飯やお風呂、トイレが恋しかったです。夜中でもカラオケをしていたり、友達がほぼ毎日家に泊まっていたり日本では考えられないことばかりだったのでとても新鮮で楽しく思いました。ご近所づきあいを大切にして温かく日本人である私たちを向かい入れてくれていつも賑やかで楽しいPandiはとても素敵だと思いました。Pandiのみんなの笑顔はキラキラしていました。Pandiで過ごした期間は短かったけれど一生忘れない思い出になりました。


R.M.さん 名古屋女子大学2年
「Okairi!」

 私は、18日間も家を空けると言うことが無かった為、非常に不安ばかりだった。だけど、そんな不安をかき消すようなことがあの18日間には沢山あり、今思うと、フィリピンに行っていたのも、夢だったのかなって思う。初日、ホストファミリーと顔合わせで、ホストマザーの顔を見た時に不安が消えた。家に行って、姪と甥が緊張しながらも笑顔で出迎えてくれて、不安は消えた。家に入ると「Okairi!(おかえり)welcome Home!」と言う手書きの貼り紙を見て不安は消えた。しかしパンディーの生活は日本の生活とは大違い、浴槽もなければ、シャワーも無い、自動水洗トイレも無ければ、出る水も限られている。と言うように、水に関して慣れるのに時間がかかった。
 それでも、ホストファミリーを含め周りの人達と慣れるのは、秒だったと思う。フィリピンの人達は、明るくて元気でフレンドリーな人柄ばかりで、日本人の私は「Don’t be shy」ばかり言われていた。ご飯の量が多くて、「I’m full」って言うと「Don’t be shy」と言われた。英語で何と言えばいいか分からなくて、考えている時も「Don’t be shy」と言われた。事あるごとに「Don’t be shy 」と言われる日本人は、フィリピンの人にとったら、控えめで遠慮しているようにしか見え無いんだなと、照れてるようにしか見えないんだなと、思った。そんなフィリピンの人達に囲まれた2週間の生活を通して、少しは私のshyも少なくなってきたんでは無いかなっと思っている。2週間英語を伝える事しか出来い生活を通して、Yes とかNoを言うのも恥ずかしくなくなり、バイトの時に、外国人のお客様がいらっしゃっても、少しネイティブにYes とかNoが言えるようになった。しまいには「ありがとうございました〜」とお辞儀する時に「Thank you〜」とお辞儀した時は、少し調子に乗ったなって思ったけど、それだけ、英語にも慣れれたんだなとちょっとした成長を感じて、嬉しい。
 日本語の授業でも結局は英語が話せないと授業ができなくて、班の子に頼るしか無かった。もうちょっと自分の専攻を活かして頑張りたかったなあと感じている。しかし、黒板の前に立つ時の気持ちがよく分かったし、どこの国でどんな授業をしようが、子供たちにいかに興味を持ってもらえて、わかりやすく伝えていくことが何よりも大切だと感じた。子供たちがメモを取って、授業に前向きな姿勢を見れたことが、私は嬉しかった。自分の中で、子供たちのどんな姿が、やり甲斐を感じるかもわかったので、「授業」を経験できたことがとても嬉しかった。
 フィリピンは日本よりもいい所だと思う。人情味あふれる人柄の良さ、素直さ、Don’t be shyさ。海が綺麗で空も綺麗で。これを思い出してしまうとまたフィリピンに戻りたくなる。生活をさせてくれたホストファミリーと仲間達にはまた戻って顔を見せて、また一緒にダンスを踊ったり、バレーしたり、ポギーポギー言い合ったりしたい。またいつかみんなのところに戻ったら「Okairi!」って言ってもらえるといいな。


K.Y.さん 椙山女学園大学2年
「フィリピン生活で得たもの」

 フィリピンでの生活は、私にとって毎日があっという間でかけがえのない時間になった。毎日ホストファミリーや現地の子どもたちの笑顔に囲まれた楽しい生活の中で日本とは違った幸せな気持ちを感じることができた。
 フィリピンに行く初日、フィリピンはどんな国か、ホストファミリーはどんな人たちかとても楽しみな気持ちと不安な気持ちがあった。実際にフィリピンで生活をしてみると最初は日本での生活と比べてしまい不便さを感じることが多かった。例えば水道は蛇口がなく、トイレやお風呂はバケツに組まれた水を使うというものだ。ここで私は日本で当たり前だと思っていた生活は当たり前ではなかったのだと気づかされた。そして、水だけでなく害虫やねずみなど衛生面で大変だと感じることが多かった。私にとっては不便だと感じることが多い生活なのに、フィリピンの人たちはいつも笑顔で日本の人以上に幸せを感じているように見えた。初日にはわからなかったが、ホームステイをしてフィリピンの人たちと一緒に生活する中でどうして幸せそうな笑顔なのか知ることができた。それは、人と人との繋がりが強いからだ。日本では隣の家に住んでいる人が誰かも知らないくらいに人と人との繋がりは弱い。一方フィリピンは、隣に住んでいる人とは毎日絶対話をするし、もっと遠くに住んでいる人も一緒になって歌を歌ったりダンスをしたりすることもあった。毎日近所の人と顔を合わせみんなで楽しい事を一緒にしている様子を見たり、一緒に話したり歌ったりする中で人と人との繋がりの大切さを感じた。
 学校建設や日本語授業では、たくさんの子どもと関わることができ、様々なことを学ぶことができた。教えた日本語を使って話しかけてくれる子どもが多く授業をやってよかったとやりがいを感じた。子どもたちとの出来事の中で特に印象に残っていることは、「この学校でたくさん勉強していつか日本に行くね」と言ってくれたことだ。学校をつくることが誰かの役に立っているのだということをこの言葉で実感することができた。
 私がフィリピンで得たものは、日本とは違うフィリピンの人と人との繋がりの豊かさを感じたことと、日本の便利な生活への感謝する気持ちが芽生えたことだ。日本に住んでいると当たり前に1日1日がすぎていってしまい、便利さにも気づかなかった。しかし、不便な生活を送ることで日本の生活がとても便利で恵まれていると感じた。また、1日1日を大切にしようという気持ちや、当たり前のことに感謝しようという気持ちにもなることができた。日本でフィリピンのような強い人と人との繋がりをつくることは難しいかもしれないが、自分の周りの人を大切に思い、笑顔を大切にしていくことで人生をより豊かなものにできると感じた。18日間という短い期間の中でもフィリピンの良さも改めて日本の良さも感じることができた。現地に住む人たちや、一緒にボランティアをしたRASAのメンバーと出会うことができ、私にとって貴重な経験になったと思う。これからも誰かの役に立てることに取り組んでいけたらいいと感じた。


Y.Y.さん 椙山女学園大学2年
「貧しいけど豊か」

 あっという間の2週間と少しだった。行く前は、不安しかなかった。実際に現地について暖かい人たちに囲まれてある意味非現実的な時間を過ごせた。日本にいるときは日常的にたくさんのものに囲まれて、何かに特別困ることが基本ないから、何もありがたみとか感じなくて、その甘えた考えを変えてくれたいい経験だったと思う。マーケット行って、黙って手を出してお金をねだってくることやサリサリストアでつけ払いで買い物する姿は日本では見かけないし、想像もつかない。軽くカルチャーショックを受けたけど、それよりもショックだったのは子供が当たり前のように大人にはなれないことを知ったことだ。実際に身の回りでそのようなことが起きたことがなかったから大人になれるのは当たり前だと思っていた。しかし、ホストファミリーの末っ子が1歳になる前に病気で、しかも病院で入院ができないことから、どうしようもなくてそのまま亡くなったのを知って衝撃だった。お墓に連れて行ってくれてろうそくを立ててきたが、それの周りには想像より多くの小さい子たちのものがあってお菓子が供えられていた。そのお菓子も誰かが食べた形跡があって、いかに貧しいのか改めて思い知らされた気がして複雑な気持ちになった。そんなこともあったが、フィリピン人みんな明るくてノリがよくて何よりも優しくて本当に素敵な人たちだった。困っているときはお互いが助け合い、楽しむときはみんな全力で楽しむって素敵だ。私もそんな素敵な人になりたい。


S.O.さん 椙山女学園大学1年
「海外ボランティアの経験」

 フィリピンで過ごした18日間は、とても充実した濃い18日間でした。正直、行くまでも少し不安だったけど現地に到着してからの方が不安でした。生まれたときから豊かな日本で育ち、19歳で真逆の土地で生活できるのかとか、タガログ語で話してくるおじいちゃんとどうやってコミュニケーションをとればいいのかとか、初日と2日目は本当に心が折れるレベルでした。でも、18日間があっという間で今とても充実感を感じられているのは現地の人がみんな優しくて暖かくて、子どもたちも本当に可愛くて、出会った人たち皆がハッピーなオーラを持っていたからです。そして、この18日間を通して、フィリピンにあって日本にない、お金がなくても幸せだということを強く実感できました。
 RASAの活動としては学校建設のお手伝いと日本語の授業で、どちらも同じグループの人たちと協力して楽しかったし全く苦ではありませんでした。そして、日本語の授業で子どもたちの学習意欲に驚きました。私たちが前に紙を貼れば、すぐにノートを出してメモをする姿勢は日本の子どもよりもすごかったです。また、充実した18日間になった大きな要因はホームステイです。初日のフェアウェルパーティーでホストファミリーと顔合わせをして、それからずっとタガログ語みたいな英語で話しかけられて戸惑いでいっぱいだったけどすごく歓迎してくれました。ホストファミリーだけでなく近所の人たちや子どもたちも外に出れば声をかけてくれたり寄って来てくれたりして、日本ではありえないことばかりで驚きつつも私にとってそれが楽しみになっていました。そして、フィリピンでの生活に慣れてからは本当に毎日が楽しくて、日本の自分の生活を忘れかけるほどでした。家から1分で着く学校に9時に行って17時までRASAのみんなと作業とダンス練習をして、家に帰って子どもたちと暗くなるまで遊んで、ホストファミリーにいろんなことを教わって、また次の日みんなと話をして、のような毎日を過ごして本当に素敵な経験ができたと思います。
 たった3週間弱の生活だったのに最後はみんな泣いてお別れをしたのも今では良い思い出だけど、あの時はあと1週間ここに居たいと思うくらいホストファミリーや現地の人とお別れするのが寂しかったです。このRASAのボランティア活動で、お金がなくても幸せだという日本にはないものを感じることができ、かつフィリピンに少しでも貢献できたのは本当に価値のあることだと思います。一人では絶対に経験できないかったことをできたのはRASANのみんながいたからで、本当にRASAの活動に参加してよかったです。


A.K.さん 椙山女学園大学1年
「貴重な経験」

 私は、今までボランティア活動や、海外に行ったことがありませんでした。ですが、一度は経験したいと思っていたので、自分の時間が多くある大学生のうちにやっておきたいと思い今回の学校建設ボランティアに参加しました。やったことないことをやることは勇気がいりましたが、今までやっとことないことをしたのでとても新鮮でいい経験になりました。
 初めての海外で、英語は話せないけど、話せなくても携帯があるし、何とかなるだろうと思いつつも生活できるか不安でした。また、私のホストファミリーはおばあちゃん1人だけだったので2人きりという空間に耐えられるかという不安もありました。初日はあたたかく迎え入れてくれ安心しました。何となくおばあちゃんの言っていることが聞き取れたのでよかったのですが、私の英語力が全然なかったので聞かれたことに応えることができず相槌しかできませんでした。それでもおばあちゃんはずっと話しかけてくれて、嬉しい反面きついと思うようになってしまいました。ご飯の量は多く、普段からあまり食べないと言っているのにもっと食べて欲しいと言われるし、ゴキブリが上から降ってくるし、近所に日本人がいる気配がないし、今後生活していけるかとても不安になりました。家に帰らず、RASAのみんなと一緒にいたいと思うこともありました。
 そんな不安を抱いている中、おばあちゃんに朝ご飯を食べに行くと連れられ外に行くと、さわちゃんと遭遇し、近所に日本人がいることがわかりとても安心しました。さわちゃんと遭遇してからは一緒に帰ったり、バイクに乗せてもらったり、朝ご飯夜ご飯も一緒に食べたりと、一緒に行動することが多くなり不安が無くなりとても楽しかったです。近所の子供たちと一緒に写真を撮ったり、手遊びを教えてもらったりとたくさんいい思い出ができました。また、子供達だけでなく大人の人達からもたくさん声をかけてくれ、興味を持ってくれたり、タガログ語を教えてくれたりとても嬉しかったです。
 このボランティアに参加したことで、今の日本の暮らしがどれほど豊かなのか、便利なものに溢れているのか、いかに恵まれた生活を送っているのかを改めて知ることができました。普段の生活では、蛇口をひねれば水が出てきて、どれくらいの水を使っているのかわからないし気にすることもないけれど、フィリピンの生活で、お風呂やトイレで使うバケツに貯められた水が減っていくのを見ると自然とあまり使わないようにしなければならないと意識していて、日本では気にしないことを気にしていました。手紙を書くのにも普段なら何も書かれていないまっさらな紙に書くけれど、紙が無いのかまだ書けるからかわかりませんが、返却されたテスト用紙の何も書かれていない裏面に書いていて、何とも言えない気持ちになりました。しかし、フィリピンの生活は物がなくても人とのつながりが強く、家族であるないに限らず地域全体で助け合っていて日本にはない人のあたたかさを感じることができました。豊かな生活というのは便利なものが溢れていることだけではないのだなと思いました。色々大変なこともあったけれど、日本では絶対できない貴重な経験をすることができたので参加してよかったです。


S.N.さん 椙山女学園大学1年
「フィリピンでのホームステイ生活」

 18日間のフィリピンでの生活は初めて経験することばかりで毎日がわくわくする日々でした。しかし、初めは生活していけるか不安でした。ホストファミリーの家での初日は、今でも鮮明に印象に残っています。部屋にある窓は壊れていて閉めることができず、屋根と壁の間はあいているといった造りの部屋でした。寝る準備をしていると、急に3匹ゴキブリが入ってきました。さすがにこの状況じゃ寝れないし、自分でもどうにかすることもできないと思いホストファミリーを呼ぼうと思いました。1階に降りてファミリーの女の子に話しかけようとした時、その子の肩をゴキブリがはっていきました。その時に、ゴキブリがいることを驚くような所ではないのだなと日本とは違う環境にきたことを実感しました。他にも日本とは違うなと感じることがたくさんありました。家の中によく知らない人がいたり、夜遅くまで誕生日パーティーをしていて大きな音の音楽が流れていたりと日本ではないことなので驚きました。特に日本との違いで大変だったことは、お風呂とトイレです。温水シャワー、水洗トイレを使うことを当たり前として生活してきたので、慣れるのに時間がかかりました。
 しかし、実際振り返って思い出すと不安を上回る楽しい生活を送れたなと思います。なぜならフィリピンの人々がとても温かく迎えてくれたからです。ホストファミリーはもちろん、近所の人、小学校に集まる子供たち、ファミリーの親戚など多くの人に出会いました。そのみんながフレンドリーに話しかけてくれたりしてくれて、フィリピンの人の一員として迎えてくれました。言語の違いで戸惑うこともありましたが、タガログ語を教えてもらったり、日常の日本語を調べて頑張って話してくれたりしてくれました。また、近所の子供たちと遊ぶ時、一生懸命に英語で伝えようとしてくれたり、英語がまだ話せない小さい子は「Ate Shoko」と私を呼んでくれたりしてくれました。言語は違うけれど、お互いが分かりあいたいとする姿勢の大切さが感じられました。
 最初はフィリピンで生活するのは大変だと思いましたが、毎日笑顔で過ごし、エネルギーに満ちているフィリピンでの生活には日本では感じられないことがあり、多く気づかされることがありました。家族を大切にし、近所の人同士も家族の様に支えあうことや笑顔に溢れ、全力で生活することなどフィリピンの良さがたくさんありました。
 このRASAの活動に参加するかしないかで悩みましたが、こんな素敵な体験ができたので思い切って一歩踏み出せて本当に良かったです。RASAのメンバーにも助けられ、充実した生活を送れました。ありがとうございました!


N.A.さん 椙山女学園大学2年
「フィリピンで感じた本来の意味の『幸せ』とは」

 私は、中学生の頃から生徒会に務めそこでエコキャップ活動やプルトップ活動を通し、福祉関係に興味を持ち月日がたつごとに特に海外の途上国など貧困地への支援にいつか携わりたいと考えていた。大学生になり、初めてボランティアという形でフィリピンへ行き特に富裕層と貧困層の差に驚いた。都会だと思っていたマニラでも一歩外に出ると一転し、スモーキーマウンテン付近で暮らしている人々の生活を間近で見た時街全体の異臭とごみの散らかり様、人々の視線や顔つきなど写真で見るだけでは伝わらない生活の苦しさが重く伝わってきた。私たちが日々過ごしている日本は世界中の途上国から見たら比較的裕福であり、食事、資源、住居、福利厚生、学校の義務教育など最低限の生活は保障されている。私たちは普段この生活を当たり前と思っていたが、フィリピンのこの現状を目で見てさらなる支援が必要であると感じた。
 また、2週間私が暮らしたホームステイ先ではホストファミリーが笑顔で出迎えてくれ「のあ、あなたは私たちの家族よ」と毎日毎日言ってくれた。一回も嫌な顔せずいつも笑顔で一生懸命美味しいご飯やミリエンダを作ってくれ、本当の自分の子どもの様に私をこんなにも受け入れ最善を尽くしてくれたホストマザーにとても感謝している。また、毎朝5、6時に鶏の声もしくは爆音の音楽と子どもたちの歌で起き夜は眠るのが早く、食事は五食でお風呂も溜め水を手桶ですくって体にかけるという日本とは違う文化で初日は驚いたがすぐにその生活にも慣れることができた。また、そのような最低限の生活だからこそ見えてくる温かい人間性があった。特に温かいと感じたのは、皆愛情表現が多く家族に対する敬意をとても持っており、家族と多くの時間を共にしているからかお行儀が良く、一人一人とても個性がありトランスジェンダーなど多様性への理解もあり、とても優しく純粋な子が多いのはフィリピンの文化ならではのものだと感じた。小学校で日本語授業を行った際は分からない言語なのにメモを取りひたむきに頑張って覚えようとする姿がとても嬉しく、よりこの地域に学校を建てるということの大切さを感じた。このように、折り紙や日本語など何でも少し教えたら一生懸命頑張る姿を見て、子どもたちが持っている力はとても大きく、どのような形でも良いので最大限にその子どもたちが持っている力を発揮できるような場所を提供したいと感じた。また、ここの地域で過ごす人々と直接触れ合い話し合い、子どもは比較的タガログ語を話す子が多かったが言語が通じなくとも必死に伝えようとしてくれ容易にコミュニケーションができ友達も多くできた。その中でも一つだけ心がけていたのは笑顔でいることであり、そこから世界共通なのは言語ではなく笑顔だと強く感じた。
 さらに、私のホストファミリーが毎朝毎晩私に話してくれたことは全て覚えており「日本の大人たちは、仕事ばかりで子どもを構えない。そのため、比較的子どもが静かな子が多い」「時にはお金に困ることがあるが全然問題なくて私たちは幸せ」など、日本はとても裕福であるが日常でこんなにも家族と共に幸せを感じているフィリピンとの差は何だろうと考えさせられる機会にもなった。日本より医療や福利厚生や衛生面などは進んでおらず子どもの将来の為改善していかなければならないことは事実だが、実際足を踏み入れてみるとそこには何もないからこそ大切なものがあるとも感じた。それは、人間が本来持つ人間性や温かさであり、これは裕福な日本であるがゆえ欠けてしまっている部分でもあるため日々「幸せ」を感じることのできる国はとても感慨深いと感じた。初めてボランティアとして訪れたのが、RASAjapanを通じて行ったこの地域とこのホームステイ先で良かったと心から感じている。


M.M.さん 椙山女学園大学2年
「ボランティアを終えて」

 実際のフィリピンでの暮らしを体験しボランティアを終えて今思うことは、ホストファミリーに何かできる事、そしてその地域の人に対してできる事を考えると、最終的にRASAとしてボランティアをすることで、少しでも助けになる事が出来てうれしく思いました。
ホストファミリーの変更から始まったフィリピンでの生活は、正直とてもきつく、日本に帰るまでの日数を数え憂鬱になることが何度もあった。ホストファミリーはとても親切で不自由なく生活させてくれたが、日本との環境の差は大きく、変化にはついていけず初めの2,3日の心の負担は多かったように思う。残りの日数への不安な気持ちと今までに体験したことのない空間での生活にわくわく感を感じました。朝起きた時、にわとりの鳴き声と近所のカラオケの音を聞いたときは、自分がフィリピンにいるんだということを実感しました。
 そんな中、私がホームシックにならなかったのは本当にホストファミリーのおかげです。お互い英語が得意ではないのでジェスチャーと単語の会話になることが多かった。しかし、ホストファミリーのママは私が不安に思っていることに一生懸命答えてくれた。お姉ちゃんは私が伝え方を迷っているときに焦らず真剣に聞いてくれるし、弟はシャイな性格だったが後半になるにつれてとても仲良くする事ができた。この人としてとても大切にしてくれる所、家族としての優しさを与えてくれる所がとっても嬉しかった。なので、とても安心したし、もっと話してみんなの事をもっと知りたいと思った。一緒にご飯食べたり一緒に暮らすことがとても楽しかった。近所の子供たちも、人見知りというのを知らないくらいどんどん近寄ってきてくれたし、話しかけてきてくれた。日本について聞いてきたり、遊びに誘ってくれたり遊びに誘ったりすることが日常で日本にはない光景に驚いたが心が穏やかになった。そんな子供たちはみんなとってもかわいくて毎日のみんなとの遊びの時間は楽しかったです。日本と環境が全く違う中、生活が楽しいといえるのは、この日本人にはないフィリピン人の距離感とみんなの優しさのおかげだと感じました。私は、そんなホストファミリーや地域の家族みんなが大好きです。
 そんなホストファミリーや地域のみんなとのお別れはとてもつらかった。このみんなに何かできないか、私の滞在中、ずっと風邪をひいていたママにも何かできないかといろいろ考えた。でも、学生の私には出来ることが少なくママに対しても心配することしかできなかった。最終的にはRASAのボランティアをすることが地域全体のためになるのかなと改めて思いました。実際の生活を見て、よりボランティアをして、学校建設に関われてよかったなと感じました。


Y.M.さん 名古屋女子大学2年
「RASAの活動に参加して感じたこと」

 初めての海外が今回の海外ボランティアでした。空港からバスに乗り、周りの景色が田舎っぽくなってパンディーに近づくにつれ、「外国人怖そうだし、英語しゃべれないけど大丈夫かな?」と、不安が大きくなるばかりでした。しかし、パンディーの人たちは私たちが到着するとびっくりするほど盛大に迎え入れてくれ、とても安心したのを覚えています。
 私は、18日間日本とは違う生活を楽しみ、ホストファミリーや現地の人たちとのふれあいから、様々なことを学ぶことが出来ました。
フィリピンでの生活は、毎日賑やかで新鮮でした。お金や物が十分になくても、人との繋がりを大切にしながら楽しそうに暮らしていて、本当に素敵なところだなと思いました。毎日、かわいい子供たちと遊んだり、明るいホストファミリーたちとコニュニケーションをとったりしてとても幸せでした。
 学校建設ボランティアをはじめ、日本語の授業、ダンス練習、ホームステイなど、たった18日間で本当にたくさんの経験をしました。その中でも、特に私が頑張りたいと決めていたのが「日本語の授業」です。私は将来小学校の教師として働きたいと思っていて、フィリピンの子供たちに授業をするという貴重な体験をとおして、これから自分の成長につなげることができたらと思い臨みました。班のみんなと協力して授業の準備をするのは楽しく、意見を出し合って改善した授業がうまくいったときは、とても嬉しかったです。
子供たちの前に立って、英語で説明をするのは、想像以上に難しかったし緊張しました。けれど、子供たちの授業に対する意欲やノリの良さに助けられました。授業をやったクラスの子供たちが、私の姿見つけるたびに教えた日本語とジェスチャーを何度もやって見せてくれるようになり、感激しました。
 そして、子供たちとふれあいながら、フィリピンの教育問題を肌で感じてきました。フィリピンの子供たちの多くは、大人になると田舎を離れ、都心の方に働きに出るそうです。生活していくため、家族を養うためには、仕事を見つけなければならない。その仕事を見つけるために必要となるのが、読み・書き・計算ができること。こういった小学校での学習は、将来幸せに暮らしたり、夢を叶えたりするためにすごく大切なことだと知りました。彼らが普段勉強している教室は、狭く、机もなく、とても整っているとは言えない学習環境でした。それでも、一生懸命に学ぼうとする子供たちの姿をみて、この子たちが思う存分勉強や、やりたいことができたらどんなにいいかと思いました。そう思ったとき、私たちが学校建設のボランティアをしていることは、ちゃんと意味のあるものだったのだと実感しました。フィリピンの教育環境をより良くするために、ほんの僅かだけど、貢献できたことを誇りに思いました。
 最後に、この18日間でのたくさんの経験や出会い、お世話になったホストファミリーや一緒に遊んだ子供たちとの思い出は、一生の宝物です。


S.I.さん 南山大学2年
「RASAでの経験」

 僕はフィリピンに行くまでは、海外にも行ったことがなかったので、ホストファミリーや子供たちとうまくコミュニケーションをとれるかなど不安な部分がたくさんありました。
 しかし、いざ学校建設現場に着くとたくさんの地元の子供たちが笑顔でお出迎えしてくれたので不安も和らぎ、ボランティアに参加してよかったと思えました。ホストファミリーとの生活は、最初は緊張したけどだんだん打ち解けてきて子供と毎日のようにオセロやトランプといったいろんな遊びをしたり、カラオケをしたりしてとても楽しかったです。ただ、生活面でゴキブリがとたんを歩く音や鶏が早朝から鳴き出すという日常に慣れるまでは少し大変でした。学校建設の作業はスコップで砂を運んだり、ブロックを運んだりと大変な作業もあったけれども、みんなと協力して時には音楽をかけながら作業したので楽しく最後までやりきれました。ただ、休憩の間のミリエンダはきつかったです。また、休憩の間トイレに行く途中などに子供たちがこんにちはと日本語で話しかけて来てくれることがあったことは印象に残っていて、うれしかったです。学校の子供たちやホストファミリーの人達はは笑顔が絶えないそんな人達ばかりで、生活が貧しい家庭もあるけれども日本の幸せとなんら変わりのない楽しい生活を送っているということをホームステイをして感じることができました。フィリピンでの経験は貴重なもので良い思い出にもなりましたし、子供たちが学校により行けるように学校建設作業を行えて良かったです。


T.A.さん 南山大学2年
「RASAに参加して」

 はじめはRASAでフィリピンに行くことについてあまり乗り気ではなかったです。サークルの先輩にRASAに誘われました。写真を見せられましたが、家の外観、道とかトイレだったり、文化の違いや経済の豊かさの違いがこんなにあるなんて思ってもみなかったです。日本の生活に慣れてしまっているからこそいい体験ができると思いました。しかし、海外は初体験だったので不安しかなかったです。海外行くのにも用意で何がいるかわからなかったし、RASAの冊子には持ち物が書いてありますが不安はあったし、はしかが流行していたので病気にかからないかという不安もあったしとにかくいろいろな不安がありました。不安がある中フィリピンにいく当日。初の海外という緊張感と不安がありました。そして飛行機に乗り、約5時間かけてフィリピンに向かいました。飛行機の中で、弁当が配られました。日本の弁当かフィリピンの弁当がありましたが、日本の弁当を選びました。あまりおいしくはなかったです。そして、フィリピン着きました。着いたときは日本の寒さが嘘のようなくらい暑かったです。海外に着いたとそこではじめて実感が湧きました。
 パンディにバスで向かうこと3時間。まず、驚いたのは交通量が多いこととクラクションをめちゃくちゃ鳴らすことでした。日本では考えられないことばかりで途中昼休憩でよったジョリビーというファストフード店での物価の安さにも驚きました。ハンバーガーが一個20円という安さ。さらに、ジュースはすごく甘くて今考えるとフィリピン人に歯がない理由がよくわかる気がします。道端にはストリートチルドレン。バスの窓をたたいてモノやお金をねだっていました。あれは日本の豊かさに感謝しなければならない瞬間でした。そしてパンディに着くと、盛大に歓迎してくれておもてなしだけで日本人が愛されていると感じました。その後、ホームステイ先の家族発表が行われ、家に案内してくれました。案内してくれているとき、荷物も全部持ってくれました。道も整備されていないガタガタな道が多かったので慎重に手をつなぎながら案内してくれました。その気遣いだけでパンディの人たちの人間性の豊かさを知ることができました。二日目から学校建設の作業が始まり、一日合計で2時間ぐらい働きました。気温30度近い日が毎日続き、汗が止まりませんでした。作業が終わると一時間フェアウルパーティーで踊る「U,S,A」の練習をみっちりしました。終わると毎日家族が迎えに来てくれて、帰った後も子供たちに外で遊ぼうと言われ暗くなるまでずっと遊んでいました。すごく疲れましたが、今ではすごくいい思い出です。近所との付き合いがすごく多く、家にいることのほうが少なかったです。日本では近所付き合いなんかちょっとしかしないし、今ではスマホを触ることが当り前、家にいることが大半です。経済は豊かでも人間性の豊かさが欠けている。しかし、パンディの人たちは生活が貧しくても笑顔にあふれており、毎日が楽しそうでした。そんな村に行けたらこそいい経験ができたと思ったし、また行きたいと思えました。日本も人間性豊かになってほしいと思います。


A.H.さん 椙山女学園大学1年
「私にできることとは」

 フィリピン滞在初日サンアントニオ小学校に到着したとき、大勢の子供たちと現地の人たちから大きな歓声を受けた。国民性の温かさ、豊かさに圧倒され、非常に驚いたことを鮮明に覚えている。同時に現地の生活の実態を詳しく知らない私がこれほどの期待と喜びに応えることができるのかと不安になった。生活は日本と異なることが多くはじめのほうは戸惑う場面もあった。水洗トイレやシャワーなどはなく、水は貴重で、私のあたりまえの価値観が覆された。食事は冷蔵庫を使用せずに保存が利く米が多く、タンパク質などの肉や魚や卵は少なかった。私のホストファミリーの家庭では朝食に卵2つを私含めて5人で分ける形であった。まだ成長期の子どもが3人もいるのに栄養が足りていなく衝撃を受けた。また、食べ物を保存するという概念は無く、その日のうちに食べきるか、余ったら近所で分け合っていた。ものがないからこそ人と人とが関わりを持ち、助け合いが生まれるのだと感じた。ホストファミリーはいつでも私に優しくしてくれた。思っていることをうまく伝えられないでいると「恥ずかしがらないで、大丈夫よ」とゆっくり話を聞いてくれた。ホストファミリーと一緒に食卓を囲みながらお互いの国について話をする時間がとても楽しく、異文化を共有し合った。生活は日本と比べると裕福とは言えないが明るく、笑顔であふれた環境にあった。栄養が十分でないからか、現地の子どもたちはとても体が小さかった。子どもたちと過ごした時間は思い出深く心に残っている。習ったばかりの英語を使って、一生懸命に現地の遊びのルールを説明してくれたり、英語が話せない子は僕を見てというようにお手本を見せてくれた。言葉や宗教、文化、環境が異なっていてもみんなが笑う時は一緒で、それを通じ友情が芽生えたことは今まで経験したことがなく、心に深く刻まれた。子どもたちは積極的に私と関わろうとしてくれた。その姿勢が今でも忘れることなく思い出となり私に元気を与えてくれている。
 日本のような便利さにあふれた生活の中では人と人が関係を築くことなく孤立してしまい、自分の頭で考えるということをしなくなってしまう。ものがないからこそ、その部分を補うために助け合い、協力し、どうすれば良いか考える。本当の意味での楽しさとは人と関わりながらその中で自分を確立させていくことだと感じた。また教室や教材の不足で行き届いた教育が受けられない環境下にも関わらず、子どもたちの学ぼうとする姿勢に心を打たれた。お腹いっぱいに食べられない子や、みんなと同じように勉強がしたくても学校に行けない子どもたちのためにできることは限られると思うが、この現状を伝えることが私の役割だと考える。実際に現地に行って見たことや感じたこと、気づいたことをより多くの人の心に響くように伝え、ラサの参加者が増えることや寄付に繋がることを望む。この目標を持ち、より一層これからのラサの活動に携わっていきたい。最後にフィリピンの慣れない環境で濃い18日間を過ごせたのはラサのみんなのおかげだ。個性豊かなメンバーみんなに感謝の気持ちを伝えたい。これからも良い関係を築き互いに高め合っていくことを望む。


A.A.さん 南山大学1年
「フィリピンでのこと」

 私がRASAのボランティア活動に参加しようと思ったのは、決して「フィリピンの人を助けたい」とか「世界の人々の現状を肌で感じたい」とかいう大それた理由ではない。外国語学部にいるのに一度も海外に行ったことがなかった自分が、少し恥ずかしかったからだ。高校時代、イギリスに二週間の短期留学に行ったクラスメイトは帰ってきてこういった。「海外行くとまじで価値観変わるよ!一回みんな行ったほうがいいって!」この言葉が、どこかに引っかかっていたのも、私をフィリピンへと連れ出してくれた要素の一つだろう。
 現地に着いたときから、私の中の常識は音を立てて崩れ始めた。初めて見た右側通行の道路と左ハンドルの車、止むことのないクラクション、すれすれに通るトラックと、道行く車に何かを売っている子供たち。噂には聞いていたけど、実際に見てみるととても衝撃だったし、日本を出たのだということを改めて実感した。そして私たちがホームステイをする地域、パンディーに到着したとき、その驚きは頂点に達した。バスから降りる前の時点で、子供たちが手を振ってくる。日本ではテーマパークでしか見られない光景だろう。ホストマザーの家に向かう時にはもう夜になっていたが、その暗さも日本とは段違いだった。食事は、お米に助けられたものの、ラーメンとお米とパン、というように平気で炭水化物ばかりを並べるし、飲み物も甘くて、これが2週間続くとどうなってしまうのだろうと不安になった。お風呂も冷たい水が大きな樽にためてあるだけ。家の門も軽くしか閉まらないし、家族以外の人が平気で家に入ってくる。日本に帰りたい、という思いがものすごく高まった。
 二日目、慣れない環境に緊張していた私を、ホストマザーは玄関先まで連れ出してくれた。突然やってきた見慣れない日本人に、近所の人たちはどんどん話しかけてくれる。英語を話せない人も多いのでジェスチャーを使ったり、google翻訳を使って慣れない日本語で話してくれたり。私はとても人見知りだから、あまり話も膨らまなくて満足に話ができなかったのはちょっと悔しいけれど、うれしい出来事だった。
 そこからの二週間はほんとうに長いようで短くて、いつのまにか集落中の子供たちの名前を憶えて、なかよくなって、いろんな人の家に勝手に出入りして、お風呂の冷たさも感じなくなって、座っていたら子供たちが膝の上に座ってきて、曲が流れたら踊りだし、集落のホストマザーのみんなが、私たちを自分の子供のように接してくれた。集落中が家族のようだった。私の家にいた子供は私以上の人見知りだったけど、最後の日に部屋まできてくれて、膝の上に乗ってくれたときには涙が出そうだった。みんなとのお別れは悲しすぎて泣きすぎて、涙が枯れるのではないかと思ったほどだ。
 そんなこんなで私のフィリピンでの生活はあっという間に過ぎていった。初めての海外にしては強烈すぎて、たくさんのカルチャーショックで、絶対に忘れられない思い出になるだろう。今度は私が周りにいるまだ海外に行ったことない子に伝える番だ。
「海外、フィリピンに行くとまじで価値観変わるよ!一回みんな行ったほうがいいって!」


R.O.さん 南山大学2年
「フィリピンでのボランティアを通して」

 はじめにフィリピンという国のイメージとして、私自身の中であまり、裕福でなく、綺麗なイメージではないという印象が強かった。そんな中、私がフィリピンでのボランティアに参加したいと思ったきっかけは、サークルの先輩からの勧めもあり、また、人生に一度は海外でのボランティア経験も必要だと思ったからである。ところが、フィリピンでのボランティア活動は想像していた数倍も過酷だった。
 気温は30度近く、お風呂場とトイレは同じ場所で、シャワーもなくバケツに水をためてから使用する形で、トイレにはトイレットペーパーがないことが多く、また、水洗式ではなく、私自身慣れるまでの時間はかなりの抵抗があった。家でも、お部屋は電気が二つしかなく、リビング一つに寝場所は一つしかなく、子供たちが地面にシーツ一枚を引いて寝る光景を目の当たりにした。また、子供たちは学校に行くことができない子も多く、中には煙草を吸っている子供も少なくなかった。
 食文化に関しては、おかずに対する米の割合が高く、全体的に味は日本食に比べ甘めであった。飲料水は購入した水しか飲めず、水道水は井戸から引いた水であるため衛生面的に飲むことは現地の人もできない環境だった。購入したミネラルウォーターしか飲むことができない生活を通して、日々の生活の水のありがたみを知ることができた。しかし、どの食べ物も食べられないことはなく、日本と違った料理を堪能することができ、貴重な体験であったと思う。学校建設面では、RASAのメンバーで協力し、現地の子供たちや、人々に感謝でき、とても満足感を得ることができた。
 私がフィリピンでのボランティア生活を通じて特に感じたことは、日本のありがたみである。私自身がどれだけ豊かな国に生まれどれほど豊かな生活を送っていたかを再認識させられるいい15日間であった。フィリピンの子供たちや現地の人々は、日本と比べるとはるかに貧しいと言えるが、その貧しさを乗り越えるような日本人にはない優しさ、心の温かさ、豊かさ等の人柄を持っていると思えた。フィリピンでは日本より地域間での協調性があり、人々も初対面の人にも心を開いて優しく接してくれるなどといった人間としての豊かさは日本が見習うべきであると思った。
 また、フィリピンでのホームステイ先の家族は、私はこの先日本に行くこともできないから日本人のイメージは全てあなたのイメージと言われ、心が痛くなったとともに、日本人についてどのようなイメージを持ったか気になった。また、このような生活が当たり前だと思って生活しているフィリピンの方がいるという現状に目をつぶらなければいけない自分がいるということがとても悔しかった。慣れない生活で、つらいと思ったこともあり、体調を崩す日もあったけれども、15日の日々はあっという間に過ぎ去り、日々フィリピンでの生活に慣れることができた。私が15日間乗り越えることができたのは、一番にホームステイ先の家族、RASAのメンバーのおかげであると思う。また、機会があれば行きたいと思える体験になった。


J.O.さん 南山大学2年
「刺激的な3週間」

 日本を飛び立つまでフィリピンでの生活に期待と不安を背負っていました。ホームステイの中でファミリーとうまくやっていけるのか、言語の壁や文化の違いに混乱しないのか、期待よりも不安の方が多く抱えていました。自らこのボランティア活動に参加する意思を無駄にしないよう、3週間を過ごそうと挑みました。
 私はフィリピンに到着してから驚きの連続でした。バスに乗っていても外からお金を要求してくる人がいたり、運転が荒かったり、日本では考えられないことばかりでした。到着して早々このような光景が広がり、不安がより増していきました。しかし、その数時間後に私たちがホームステイするパンディという地域に到着し、この不安が一気に吹っ飛びました。私たちはボランティア先の学校でバスから降り、私は自分が嵐のメンバーの一員になったかのような出迎えぶりにとても驚きました。小さい子供からお祖母ちゃん世代まで地域の人たちが大勢、私たちを受け入れてくれました。その日からホームステイが始まりました。初日から私たちを歓迎してくれるパーティ騒ぎが始まり、楽しい毎日が始まりました。
 それから私のボランティア活動の始まりで、生涯忘れることのない一生の経験になりました。ボランティアでは、砂ふるい・ペンキ塗り・セメントバケツリレーといった軽い作業から重労働まであり、みんなで楽しく毎日のボランティアをすることができました。他にも、日本語授業を班に分かれて3回行い、日本の挨拶や数字を教えました。それを使って、ゲームをやり、国境を越えても笑顔は万国共通だと実感しました。合間の時間は学校の児童たちと遊び、一緒に楽しみました。朝から夜までで三食と2回のミリエンダと言われる間食を私たちは毎日経験しました。毎日お腹いっぱいでお腹が空く感覚が珍しいぐらい食べました。休日にはパンディの商店街やショッピングモール、アマナウォーターパークなど連れて行ってくれました。移動は全部バイクで、道路に出ればバイクばかりで日本では見られない光景でした。お風呂は体に水をかけるだけで最初は抵抗がありましたが、これは毎日夏のフィリピンにとって湯舟が必要ないと分かり、文化の違いを実感しました。
 この3週間のホームステイは私の大きな経験となり、日本にいるだけでは絶対に知ることのできない状況や文化を自分の目で見ることができてよかったです。また行く機会があれば行きたいと強く思っています。


A.T.さん 椙山女学園大学1年
「18日間のフィリピン生活」

 新たな交流をしたい、海外の文化を知りたいと思い参加した学校建設ボランティア。知らない環境での生活に緊張もあったけれど、今ではRASA JAPANの一員として活動出来ることがとても貴重な経験だと感じています。
 フィリピンでの生活が始まり、道にゴミがたくさん落ちてることやお風呂がないことなど生活環境に初めは抵抗を感じましたが、それと同時に日本での生活がどれだけ便利なものなのか考えさせられました。衛生面や設備面では日本と比較すると生活において不便な点がたくさんありましたが、フィリピンの人たちはそれらの要素を取り消してくれる暖かさや明るさを持っていました。初めて会う私たちに壁を作らず笑顔で話しかけてきてくれること、カラオケやダンスで私たちを楽しませてくれること、食事や体調を気遣ってくれることなどフィリピンの人たちのお陰で、私が想像していた以上にフィリピンの生活に自然と慣れることができました。日本では時間を気にしたり、周りの目を気にしたりと社会の状況に馴染むことが大変だと感じることがあるけれど、フィリピンの人たちは自分たちの感情を素直に出し一日一日を悔いなく過ごしているように思います。人と人との繋がりを尊重し、お互いに助け合い、自分自身の幸せをみんなで共有できることはフィリピンの人たちの心の豊かさだと思います。当たり前のように過ごせる毎日は、私と関わってくれる周りの人たちの存在があってこその時間なのだと実感しました。幸せな生活とはどのようなものなのか、言葉で全てを表すことはできないけれど、日本とフィリピンの違いから目には見えない大切にすべきことを学ぶことができたと思います。今後は、フィリピンでの経験やフィリピンの人たちの存在を心に留め笑顔の絶えない毎日を過ごしたいと思います。そして、フィリピンの人たちがしてくれたように私も周りの人を大切にし、自分自身の幸せを多くの人と共有できる存在になりたいと思います。
 学校建設のお手伝い、日本語の授業、ホームステイなど私たちと過ごした時間が、フィリピンの人々にとって幸せな毎日を生きるための力に少しでもなれたら嬉しいなと思います。かけがえのない時間と共に多くのことを教えてくれたフィリピンの人々、18日間を充実したものにしてくれたRASAメンバーに感謝です。


M.N.さん 南山大学2年
「フィリピンの思い出」

 初めてのホームステイで、言葉が通じずわがままばかりいってしまい、ホストファミリーにはたくさん迷惑をかけてしまったなと思いますが、いつも優しく接してくれて感謝でいっぱいです。初日からゴキブリが何匹も出て、即母親にラインして泣きつきました。ゴキブリが出るたびに大声で叫んでホストファミリーに退治してもらっていたけど、5日間くらいは、物音がするたびにゴキブリが近くにいそうで怖くて、本当に寝ることができなくてつらかったです。でも、だんだん慣れてきて寝られるようになったし、子どもたちにからかわれても流せるくらいにはなりました。近くにRASAのメンバーが何人もいたので、毎日だれかの家の前で集まって、ダンスしたり、歌ったり、子どもたちに折り紙を教えたり、たくさん遊んですごしたことが一番の思い出になりました。バレンタインのイベントとかバースデーパーティーとかの盛り上がりがすごかったし、楽しかった。学校がない日は、RASAのメンバーで集まってだらだら話したり、プールに連れてってくれたり全部が新鮮な生活だったなと思います。フィリピンの人たちは、いつ寝ているのかわからないくらい早起きだし、遅く寝ているのにとても元気でびっくり。にわとりの鳴き声すごいし、犬いっぱいいるし、急にひよこ飼いだすし、外からカギをかけれるようにするために家の壁壊しちゃうし、驚きしかなかった生活が少し恋しいです。子どもたちは年齢や性別関係なく、みんななかよしで、おもちゃやゲームなどもないけど、いつでも楽しく遊んでいて幸せについて考えさせられました。便利な生活に慣れてしまっていて不便なこともあったけど、日本にはないこともたくさん経験できて、心の豊かさとか人の温かさとかを感じることができてよかった。子どもは苦手だったけど、たくさんの子が「みき!」って呼んでくれてかわいくて幸せだった!最後の日の朝、離れたくなくて涙が止まらなかったし、いつか会いに行けたらいいなって思いました。
 ボランティア活動については、学校建設に貢献できたのかはあまり実感できなかったけど、みんなと協力してできてよかったし、日本語授業は、スムーズにいかないことのほうが多かったけど、子どもたちが名前や日本の挨拶を覚えてくれて、貴重な経験ができてよかったです。少しでも役に立てたならうれしいし、学校の完成を見れたらいいな。
そして、みんなで行った海がやっぱり一番楽しかった!ボートで行った場所がすごくきれいだったし、話したことない子とも話せて、鬼ごっこはめちゃ疲れたけどみんなでまたやりたい!
 一人で参加したので、行く前はとても不安でしたが、RASAのメンバーと数日間過ごして仲良くなることができたので、慣れないフィリピンでの生活を楽しむことができました。振り返ってみると、ハプニングもたくさんあったし、少し体調を崩すことはあったけど、みんな優しくて楽しい思い出ばかりで勇気を出して参加して本当によかった。
みんな仲良くしてくれてありがとう!!忘れられない思い出になりました。


J.W.さん 南山大学1年
「今回のスタディツアーで感じたこと」

 今回自分がこの RASA のスタディツアーに参加した動機は、自分のサークルの先輩が以前参加していて誘われたこと、自分自身大学で教職課程を履修していて将来の夢の為に、自分の中のホスピタリティーが少しでも養えたらと思ったこと、主にこの二つである。
 親の収入や地域によって学力に差がでてしまうことなどの学力の格差は正直日本にも存在する。これが海外規模だと、どのように違いがでてくるのか。それが疑問だった。結論から言うと正直良く分からなかった。我々はホームステイをするという事で予めホストファミリーにお金を一日一定額払っている。それに、我々日本人がいる状態だから、現地の人も我々日本人をもてなす為に全力を注いで、沢山の手の込んだ料理を出しただろう。だから、実際普段のフィリピン人の生活を直接見た訳ではない。フィリピンの人達は生活水準が低くて食べることすらままならないと言っていたが、あまり自分は実感出来なかった部分がある。更に、スモーキーマウンテンもごみが既に撤去されていた状態であった為あまり実感出来なかった。
 ただ、分かった事も少しはあった。まずは、水回りが不便であったこと、教会に行ったとき必死に物乞いをしていた人もいたこと、夫が都会に出稼ぎに行っているから、ずっと妻と小さい子供で暮らしている家庭もあった。そういった家庭は結構数が多かったので、自分の胸が痛んだ。更に、ある家庭はフィリピンでは賃金が安いから将来は日本で働きたいと言っている家庭もいた。日本でも外国人労働者が低賃金で異常に働かされていて問題となっている事例があるので、お世辞にも日本は最高だから是非来てくださいとは言えなかった。自分はもし日本に来たいなら、日本語を勉強して何かしらの専門知識を習得する必要があると答えた。この自分の回答が正しかったかは分からないが、いずれ答えを見つけられたらと思う。
 勿論楽しいこともあった。折り紙を作ってあげたら、凄い喜んでくれて飾ってくれた。一緒に夢中になってサッカーをしたり、鬼ごっこをしたり、皆でダンスを踊ったりして遊んだ。
 そして、ホームステイ最終日には涙を流してくれて、別れを惜しんでくれた。何よりもフィリピンの人達は日本人よりもお互い協力し合って生活していた。そして、フィリピンに来てくれて有難うとも言ってくれた。その言葉だけでも、自分に何かしら出来たことはあったんだなと感じた。今回のスタディツアーは自分の中では成功だと思っている。帰国後反省会で本当の幸せとは何かという問いがあったが、それが分かれば苦労しない。生涯かけて自分が探さなければいけない問題だとあの問いに答えた。
 この一回だけでは、今の国際問題を把握しきることは不可能だ。今後色んな経験を通して、点と点だった知識と経験が線になればいいなと思っている。RASA のスタッフの方々、今回一緒にこのツアーに参加したメンバーの方々、今回は本当に有難うございました。


Y.H.さん 南山大学2年
「フィリピンに赴いて」

 私は海外に行ってみたい・大学生のうちに何かボランティアがしたい・なぜ学校建設が必要とされているのかを現地に行って知りたいという思いから、フィリピンの学校建設ボランティアに参加しました。フィリピンのパンディで2週間学校建設ボランティアを行い、多くの事を実感し、考えさせました。中でも主に3つの事が印象に残っています。
 一つ目は、想像しているよりも多くの子供が学校に行けてなったということです。私たちは小学校の中で校舎を増設する作業に携わっていましたが、小学校の門や柵の外には一日中多くの子供がおり、中に入ることが出来ずにいました。また、私のホームステイ先に遊びにきた子供たちにふとどこら辺に住んでいるか聞いたところ、「家はない」と苦笑いしながら答え、気軽に質問したことがとても申し訳なくなりました。戦争が終結して経済が発展しても地方には経済発展が反映されていないことがはっきりとわかりました。家がない・学校に行けないなど貧困からくる問題を解決するためには、子供のころの学校に行き教育を受け生活する術を正しく身に付けることが最重要だと思いました。そのため学校建設はとても必要であり早急に行わなければいけないと思いました。我々日本人は、募金で資金援助を貧困の国に対して行っているが、実際に現状を見て何をするべきを考えることも重要だと思いました。
 二つ目は、言語の壁が大きかったということです。大学までに授業で英語を勉強してきてある程度英語で会話できると思っていましたが、フィリピンで実際に英語で会話してもあまり通じずコミュニケーションで苦労しました。一方、フィリピンの小学生・中学生は英語をすらすら話していました。2週間の滞在から、日本人の英語は文法や分の構成を気にし過ぎていて何を伝えたいのかが分かりにくい話し方だと思いました。フィリピンの子供たちの英語は、文法は間違っていても伝えたいことははっきりとわかりました。海外へ行き、日本人の英語力の低さを実感すると同時に、社会人になるまでに英語をもっと真剣に学ぼうと思いました。
 三つ目は、価値観の違いを実感しました。日本人は、モノをたくさん持っていたりお金持ちであるなどのモノが豊かであればあるほど幸せと感じ、私もそのように考えていました。フィリピンでは、シャワーがない・水洗トイレがないなど我々の観点では生活に支障をきたすような家に住んでいました。しかし、私のホストファミリーは近くに住んでいる人たちと協力し合い幸せそうに暮らしていました。このことから、国・地域によって幸せの感じ方は異なり我々日本人の考え方を押し付けてはいけないと思いました。また、フィリピンでは人のつながりを大切にしていて、このことは見習うべきと思いました。
 私は建設に関する知識や技術は持っておらずあまり力にならないのではないかと学校建設ボランティアに行く前は思っていました。しかし、重要なのは現地に赴いて実情を体験して何をするべきを考え、そのことをより多くの人に伝えることだとわかりました。貧困を解消するための学校建設は個人ではできないため、多くの人に学校建設の必要性を説明し規模を大きくすることが重要だと思いました。貧困のために何かしたいけど力になれないかもと思っている人は、難しいことを考えずにまず海外に行って現状をみることが重要だと今回のボランティアで実感しました。私はこれから、この2週間のボランティアで学んだことを広めていきたいと思います。


M.N.さん 南山大学2年
「フィリピンでの活動を通じて感じたこと」

 18日間のフィリピンでのRASAの活動を通じて、多くのことを学ぶことができた。フィリピンでの生活で最も印象に残っていることは、日本人とフィリピン人との価値観や考え方の違いである。フィリピン人は、ゴミを道端に捨てることにあまり抵抗がなく、道路にゴミがあふれていることに、とても驚いた。また日本人に比べて、時間にかなりルーズだと思った。このような価値観の違いが生まれてしまうのは、当然のことなので、異なる価値観を受け入れる必要がある。そのためには、物事をさまざまな角度から考えることや、自分の考えに固執しないことが大切だと思った。
 フィリピンの小学校で日本語の授業を行ってみて、子供たちが授業を真剣に受けてくれたことが、とてもうれしかった。またフィリピンの子供たちの授業に真剣に取り組む姿勢を見習いたいと思った。子供たちはとても明るく、たくさん遊べて楽しかった。子供たちとは言葉の壁をあまり感じなかった。タガログ語は分からないが、タガログ語しか話せない子供とも心は通じ合っている気がしてうれしかった。子供とコミュニケーションをとるときに、言葉はそれほど重要ではないと思った。
 フィリピンで過ごす中で、「豊かさ」とは何かを考えされた。私のホームステイ先では、両親と5人の子供は、居間に段ボールとレジャーシートを敷き、その上で寝ていた。また食事をしていたのは、机の上ではなく居間の床であった。このような暮らしは、日本人からすれば、かなり貧しいと感じるが、ホストファミリーは、明るく、幸せそうだった。フィリピンは、日本よりも経済的に貧しいが、日本人に比べて、フィリピン人は心が豊かであると感じた。フィリピン人は貧しい暮らしの中でも、幸せを見出していた。本当の幸せとは、経済的な豊かさではなく、心の豊かさであると思った。
 フィリピンでのホームステイやボランティア活動を通じて、日本とは異なる文化を体験することができてよかった。フィリピンに行くまでは、フィリピンなどの発展途上国の現状を、あまり詳しくは知らなかったが、実際にフィリピンで生活してみて、発展途上国の貧しさを肌で感じることができてよかった。また日本で当たり前だと思っていたことは、世界からみれば、全く当たり前のことではなく、日本はとても恵まれていることを実感した。世界に目を向けられるようになり、自分の視野を広げることができた。フィリピンでの学校建設活動は、ほんの少ししか力になれなかったかもしれないが、少しでもフィリピンのために活動できてよかった。RASAの活動を通して、異文化を体験し、さまざまな人と出会うことで、自分を成長させることができたと思う。また発展途上国の現状や自分の将来についてより深く考えるきっかけになってよかった。今回のフィリピンでの経験を将来に活かしていきたい。


M.U.さん 南山大学1年
「本当の幸せ」

 もともと外国に興味があり、今までたくさんの海外旅行を経験してきて、新しい地に行くたびに新しい出会いがあり、日本とは違う文化に圧倒され、言語が違っても多くの人とコミュニケーションを取れる楽しさを知りました。しかし今回の目的は旅行ではなくボランティア、海外に行くと言っても今までとは大きく異なる形としての出発でした。
 聞きなれないタガログ語、ひねっても水の出ない蛇口、お風呂の時は必ずいる5匹以上のゴキブリ、毎日苦しめられた1日5食の生活。思い返してみると、慣れない環境で不便なことばかりの生活だったはずです。しかし、私の中のフィリピンで過ごした18日間は「幸せ」以外のどんな言葉にも変えることができないくらい、幸せでいっぱいな毎日でした。暑い中での学校建設作業もRASAのメンバーがいたから一緒に乗り越えることができたし、家に帰ると近所の子供達が一斉に寄ってきてものすごい力でハグをしてくれて、夜は家族みんなで寝転がってテレビを見て、時には大人の方たちと英語で談笑をすることもありました。やっていけるかなと不安に思ったことはあったけど、初日から最終日まで帰りたいという気持ちには1回もなりませんでした。それは全部フィリピンの人たちの心の温かさのおかげであり、子どもたちの元気と笑顔には不思議なくらい助けられました。子どもたちは本当に心が綺麗で素直、人懐っこく、笑顔がキラキラと輝いていました。日本は経済的にも発展しているため、最近では多くの子どもたちがゲーム機を持って遊んでいる姿が想像しやすいと思います。しかしフィリピンでは物資的な豊かさが劣っているため、道具を使って遊ぶというよりも、じゃんけんをして楽しんでいる子どもたちを多く見かけました。こんなにずっとしていて飽きないのかなと思うくらい長時間同じ遊びをしていて、それでもずっと笑顔が絶えない姿、物がなくても心の底から笑っている彼らを見て、身体中がほっこりした気持ちになりました。もちろん世界的に見たらフィリピンは貧しい国であり、私も実際に生活してみて、日本では当たり前である衛生面や物資的な豊かさが存在しない現実を目の当たりにしました。支援を必要としているからこそ他国からのボランティア活動も存在していると思います。でも、日本には絶対存在しない、貧しいからこその「心の豊かさ」がフィリピンにはあって、それがフィリピンの良い部分であり、消えてほしくないと思いました。より良い生活を求めているからボランティア活動があって、私自身も少しでも役に立ちたいという思いで参加したけれど、このままでもいいんじゃないかなと思ってしまうくらいの日本にはない笑顔と温かさが確かに存在してました。
 毎日ホストファミリーや近所の子どもたちと生活している中で日本では感じられない近所づきあいの濃密さを肌で感じることができ、毎日たくさんの子どもたちに囲まれて、歌って踊って、嬉しい言葉のシャワーをたくさん浴びて、その一瞬一瞬が全て忘れられない思い出です。フィリピンは、生きているということを実感させてくれる国であり、今回のプログラムで感じたことは、ボランティアは「してあげるもの」ではなく「させていただくもの」だということです。真の幸せに向き合うことができたこの経験と、出会えた全ての方々に感謝の気持ちでいっぱいです。また絶対に戻りたいと思える素敵な国でした。


Y.I.さん 南山大学2年
「海外ボランティアを経験して」

 現在日本とフィリピンの間にはとても大きな貧富の格差があり、貧しい生活を日々送っている。そんな中、フィリピンの田舎町パンディで約3週間の海外ボランティアに参加しようと思った理由は、「現地でしかわからないことがある」とか「異国の文化に触れてみたい」のような立派な理由ではない。参加を決めた本当の理由は、海外ボランティアに行く半年前に短期留学の機会を得たのに行かなかったため、その代わりに参加したというのが本当の理由である。
 ここからは実際にフィリピンで過ごした生活などで感じたことを述べていく。自分は海外でホームステイをするという経験は始めてでフィリピンに対してきれいなイメージがなかったため、生活していけるのかが一番の不安であった。学校でホストファミリーと対面して家に行くと、自分の部屋はベッドと荷物を置くスペースしかないし、トイレを流す水と風呂で頭にかける水が同じだし最初はとても抵抗があり慣れるのが大変だった。また、フィリピン人とは英語で会話をしながら生活をしなければならなかったが、初日の出会ってすぐから自分の英語力不足を補うようにフィリピン人が必死に理解しようとして伝えてくれる姿勢にはとても優しさを感じた。2日目から学校建設のボランティアが始まり仕事内容は砂ふるいとペンキ塗りをメインにおこなった。作業はとても地味であんまり仕事をしている感じがしなかったが、自分たちがペンキを塗ったものが骨組みに使用されたり、現地のワーカーが自分たちのふるった砂からセメントを作りワーカーと一緒にバケツリレーで運んだりしているにつれ、ボランティアをしているという実感が湧いてきてみんなで協力して一つのものを作り上げていくということの楽しさを感じることができた。そんなボランティアの間に現地の子供たちに簡単な日本語授業も行った。もし自分だったら日常で使わない外国語の授業があってもメモはしないが、現地の子供たちは熱心にメモを取るというような何事にも積極的に取り組む姿勢があり自分も学ぶべきだと考えさせられた。また、子供たちとは学校が終わった後も夜遅くまで遊んでいて、近所の子供たちと遊ぶ機会はあってもそのまま近所の子供たちと食事を共にするという光景は日本では有り得ないため、フィリピンの人たちは近所の付き合いが盛んで周りとの助け合いによって成り立っていると感じた。このようなところから、日本人と比べてフィリピン人に心の豊かさが生まれ経済的な貧しさを感じさせないくらい幸せそうに暮らしているのだと思った。
 上記のように、フィリピンで18日間生活して日本にいては絶対に感じることのないことを感じ、自分がどれほど恵まれた環境で生活できているかということが海外ボランティアに参加して改めて実感させられた。ボランティアを通じて気づかされたことで、これからも自分の中で一生残るものとなると思う。このような良い経験をさせてくれたRASA-JAPANに感謝したい。


R.H.さん 愛知大学1年
「RASA-JAPANの活動について」

 RASAJAPANの活動、主にフィリピン滞在中に感じたことについて書き記したいと思います。私にとって初めてとなる海外渡航が人生の糧になったか、帰国してすぐ実感し得ませんでしたが、今となってははっきり首を縦に振ることができます。それは決して異国の文化に触れたからだとか、ホストファミリーの暖かみに触れたからだとか、発展途上国を知ったからだと大別できるものでなく、大きく心に残り、抽象的に成長を感じられるものだったと言えるでしょう。しかし、その中でも具体的に強く感じたものとして挙げられるものを書き記します。
 それは、発展途上国としての貧困です。それは空港を出てすぐのことです。信号待ちの僕らが乗っているバスに、日銭を求めて窓ガラスをノックする、汚れたタンクトップのほとんど歯のない男を見たときです。彼に家はあるのか、家族はいるのかと考えていました。スモーキーマウンテンを訪れたときもそうでした。過去の遺物として扱われていますが、いまでも近くのバラック小屋にたくさんの貧しい人がすんでいます。そのときも彼らの生活が非常に気になりました。フィリピン滞在中の二週間弱でたくさんの金銭的に貧しい人を見ました、そして彼らの生活を杞憂しました。実際、杞憂すること以外その場でできることは何も無いのです、お金を渡しても彼らは明日も別のバスの窓ガラスをノックしていることでしょう、意味が無いとは言いませんが限界があります、しかし、実に杞憂することが何よりも大切なことなのです。人は身近な人をより大切にして、疎遠、または無関係な人間を煩雑に扱う傾向があります。自分の周囲のコミュティーを守り、自分を安全にする、本能的なものですが、これが貧富の差を拡大させる要因の一つになります。国の仲介、国が富んでいる国や人から税としてお金を回す、これが最善の策ですが、私たちにもできることがあります。それは身近な人を増やすことです、身近とまでいかなくとも、存在に触れ少し関心を持つだけでもいいのです。話を聞くだけ、雑誌で目にとまるだけ、この文章にも意味は宿ります。しかし実際に触れることに勝るものはないので、触れた人が少しでも発信していくべきなのです。この方法に限界はありません。そしてさらなるコミュティーの拡大を望みます。
人は常に新しい経験を得て成長するもので、日本から離れることで、異なる感性、感覚を経験することができました。異なる方向性の価値観というものは、良くも悪くも慣性とぶつかり吸収されるのだと思います。その場を頂けたことに感謝しています。藤井夫妻をはじめ、RASAJAPANの方々今期のリーダー、サブリーダー、メンバーとパンディ地区の人々、両親、祖母に感謝しています。


T.S.さん 南山大学2年
「RASA-JAPANでフィリピンに行って」

 まず、はじめに言いたいことは、RASAに出会えて、RASAに入って、RASAのみんなとフィリピンに行けてよかったということです。こう思えているのも、スタッフの方々とメンバーのみんなのおかげです。本当にありがとうございました。
 フィリピンでの生活はとても楽しく、貴重な時間でした。だけど、初めてホストファミリー対面したとき、実は気まずかったです。仲良くなれるのか不安しかなかったからです。だけど、家について、僕が緊張しているなかお母さんとお父さんの苦手な英語でたくさん話しかけてくれる様子や、たくさん気遣いをくれる様子にそんな心配いらないと気づきました。今では第二の母と父と思っています。我が家の子供たちや近所の子供たちと毎日遊んだことも今では一日一日がかけがえのない思い出です。本当にいつぶりにこんなに笑って過ごしたのだろうかと思うくらい、ずっと笑っていました。こんなにも僕を幸せにしてくれたみんなの笑顔を絶対に忘れません。あと近所にRASAのメンバーがいたのですが、そのみんながいたから毎日の作業後の時間もお出かけもいい思い出になりました。直接言うのは恥ずかしいのでここに書いておきます。ありがとう。
 フィリピンにいる間、たくさんのことを考えさせられました。十分とは言えないインフラ・衛生面、ボロボロの服を着て物乞いをしてくる子供を初めとして現実を突きつけられました。自分がいかに恵まれた環境にいて、無知でおこがましい奴であるかを思い知らされました。でも同時に本当の豊かさや幸せについて少しかもしれないけど知れた気がします。これを忘れずこの先の人生歩んでいきたいです。
 僕は昨年の学校建設ボランティアにも参加させてもらったので今年は二回目でした。しかし、今年は昨年とは違い学生リーダーという立場をもらいました。実は、行く前のしばらくの期間ずっと緊張をしていました。歴代のリーダーの方々のようにできるか。みんなが今回のボランティア活動を楽しめるようにできるか。スタッフの方々の期待に沿えるだろうか。もちろん楽しみにしていた気持ちはありますが、いろんなことに不安になりながら出発日を迎えたのを覚えています。しかし、登校初日にそんな不安は吹き飛びました。みんながいろんなことに協力的に動いてくれ、何よりフィリピンでの生活を楽しんでいる姿をたくさん見たからです。こんなメンバーなら絶対に今回のボランティア活動は成功すると思いました。今年は作業がたくさんあってダンスも練習して忙しい活動のなか、サブリーダーのYをはじめとして、こんなリーダーを支えてくれたみんなには感謝しかありません。本当にありがとう!また、2019年RASA-JAPANの学校建設ボランティア事業に参加できて本当によかったです。感謝ばっかりですが、本当にありがとうございました。


The End

 

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