2018年2月4日~21日
学校建設に参加したボランティアの声です
M.A.さん 南山大学3年
「RASAボランティア活動」
私はもともと東南アジアの文化や生活に興味があり、実際に現地に行って自分の目で見て現地の人と生活を共にすることで東南アジアの文化を肌で感じてみたいという思いがあり今回参加しました。正直、フィリピンに対して衛生面などあまり良いイメージは持ってなく不安だらけでした。でも実際に行ってみてもちろん苦労することもあったけれど、行く前に自分が持っていたフィリピンのイメージは大きく変わりました。
日本は食べ物やお金などに困ることはそう無いと思います。たくさんの便利なものに囲まれなに不自由のない生活をしています。私はそんな日本の生活が1番幸せだと思っていました。でもフィリピンに行ってお金や物には変えられない幸せがあることに気づかされました。フィリピンの生活は日本と比べたら決して裕福な生活とは言えないけれど、たくさんの笑顔と優しさで溢れていることを実感しました。私はそんなフィリピンの生活や人の暖かさに感動し、日本での生活よりもずっとずっと魅力的に感じました。日本にいたら気づかなかった大切なことにフィリピンで生活したことで気づくことができました。
約2週間という短い時間だったけれど毎日が充実していて、大変なこともあったけど人の暖かさに救われた毎日でした。貴重な体験をすることができ、最高の仲間に出会えてRASA に参加して良かったと心から思います。
U.O.さん 南山大学3年
「18日間のフィリピン生活」
私にとって RASAとしてフィリピンで活動した約2週間は今までの人生の中で一番刺激的で学ぶことも多く濃いものでした。そんな約2週間のフィリピン生活のなかで特に印象 的だったことは3つあります。
1つ目は、10時と3時に必ず来るミリエンダ!フィリピン2日目にして一番カルチャーショックを受けました・・・。ただでさえご飯の量が多いのに、それと同じくらいの量が10時と3時にくるのでかなりきつかったのを覚えてます(笑)おかげで日本に帰ってからもしばらくは3食では物足りませんでした。
2つ目は、お風呂とトイレです。トイレは桶にくんである水をスコップにくんで流して、お風呂は真水を浴びました。最初は、不慣れでなかなか流せなかったトイレも、3日も経てば慣れてすぐ流せるようになりました。慣れってすごいなぁと身を持って感じました!
最後はフィリピン生活で一番お世話になったホストファミリーです。家族思いでいつも忙しいのに私をいろんなところに連れて行ってくれた優しいクヤ、私を本当の娘みたいに可愛がってくれて、ちょっと心配症だけど優しいアテ、お姉ちゃん気質でしっかりもので韓国が大好きなフェイス、歌とダンスが大好きで、踊るぽんぽこりんを完全にマスターし てたジャンジャン!本当に優しくて自分よりも他人のことを思いやれる素敵な人たちで、ホストファミリーから学んだことが一番多い気がします。ホストファミリーとの生活で一 番印象的だったのが、自分の家のご飯を、近所にいるホームレスの人に渡していたことです。自分の生活を守るのに精一杯なのに、そんな時でさえ他人のことを思いやれるホスト ファミリーを見て、本当に自分が恥ずかしくなり、また自分も心から他人を思いやれるようになりたいと思いました。
約2週間のフィリピン生活を経て強く感じたのは、お金やモノについては日本が圧倒的に裕福だけど、心の豊かさという点ではフィリピンが勝っているのではないかということです。日本に帰ってくると、便利なものがそろっていて生活もしやすいけど、とても窮屈で時間にも追われていて、たまにフィリピンのあののんびりとしていて開放的だった時間が恋しくなります。
この18日間の活動で得たものは本当に大切で、この先もずっと心にしまっておきたいと思います。RASAで関わってくれた全ての人にありがとうございました。
S.I.さん 南山大学
「RASAに参加して」
僕がRASAの活動に参加しようと思った最初の動機は、困っている人の役に立ちたいというような大それたものではなかった。それまでの惰性で過ごしてきた大学生活の中で、何か自分に「刺激」を与えてくれるものがないかと探していた時に、たまたまRASAという団体に興味を持った。RASAの海外でホームステイをしながらボランティアをするという活動に「刺激」を感じたことから活動への参加を決めた。
このRASAのボランティアでフィリピンへ行ったことが、僕にとって初めて日本から外に出る機会であったので、現地に着くまではフィリピンについて何もかもがわからないことだらけで、生活習慣や環境についてもイメージすることが難しい状況であった。なので、実際に現地に着くまでは自分の中での期待と不安が半々という状況であった。
フィリピンに着き、ホームステイ先に泊まった最初の数日は、不安に感じていた大部分が予想していた通りだった。料理やトイレ、風呂などが日本の環境とはかけ離れていて、正直その時点では、「なんとかして三週間耐えなければ」という考えしか浮かばなかった。
しかし、ホストファミリーやその近所の人々が完璧な意思疎通ができないながらも、積極的にコミュニケーションをとろうとしてくれたり、毎日退屈しないように遊びに誘ってくれたりしたおかげで、徐々に生活に慣れていくことができた。また、近所に住んでいた「ジャパニーズストリート」のみんなにもいろいろな面で助けられた。
そのような中で、この三週間でフィリピンという異国に「家族」や「友達」と呼べる人ができ、日本ではできないような経験が毎日できたことは自分にとってかけがえのないものになったのは間違いなく、当初の自分の目的は達成することができた。
しかし、実際に現地の人々と関わり仲を深めていく中で、自分が彼らにとって役に立てているのか疑問に思う気持ちもあった。今も自分がフィリピンでボランティアをしたことで彼らの生活が豊かになったという実感があると胸を張っては言えない。
N.I.さん 椙山女学園大学1年
「フィリピンの魅力」
フィリピンは貧しい国だと聞いていました。確かに日本に比べると豊かではないと思います。トイレや風呂、建物を見て実感しました。トイレや風呂は本当にひどくて驚きを隠せず帰りたいとばかり思っていました。
私たちがホームステイした家は、そこまで貧しくはなかったようですが、友達の話では近所にいわゆるストリートチルドレンと呼ばれる子供達もいたそうです。
最初は言葉がなかなか通じなくて慣れない生活に不安ばかりでしたが、それ以上にパンディという町は魅力だらけでした。まず、近所同士がとても仲がいい、あたたかいこと。日本は近所づきあいが希薄なんだということを実感しました。隣の家のご飯をみんなで食べたり、毎日近所で集まって外で遊んだり、日本ではそういうことはあまりないし、スマホばかりいじっているイメージで私自身もスマホがない生活なんてできないと思っていました。フィリピンでそれ以上に大切なものがあることを思い知らされたような感じがしました。ただ、何をするにも近所の人の目があるので、プライバシーはないんだということを実感しました、たまには一人の時間が欲しいと思ってる人もきっといると思うのでそこらへんはデメリットなのかなと思いました。
また、フィリピンの人たちはみんなフレンドリーでした。日本人によく見られる人見知りというのが全然なかった気がします。好奇心旺盛な子が多かったです。日本のことにとても興味を持ってくれて聴き上手な子が多かったです。また、ジョークも大好きで一回面白いと思ったら永遠とそれを言われ続けます。割とストレートに物事を伝えてくれる点はわかりやすくて親しみやすかったです。みんなに対してbeautifulとか可愛い!と言っていたのでその点は気を使ってくれていたのかなと思いました。
時間にルーズすぎるのも、ごみを平気で道端に捨てるのも日本のような真面目すぎる国では考えられないことでした。
ダメなところもあるけれど、とても自由で毎日笑顔で楽しく生きているフィリピン人、フィリピンという国はとても素晴らしい国だと思いました。
経済的にも豊かになっていけるように私たち日本人ができることがあればRASAの活動以外でも積極的に活動していきたいです。
R.I.さん
「RASAでの体験」
今回のRASAの活動では、私にとって初めての経験をたくさん行いました。まず、私は海外に行くことが今回で初めてでした。そのため、初海外にとても緊張をしていました。また、ホームステイということも不安でいっぱいでした。他にも、私は英語があまり得意ではないため、一人でホームステイをうまく行えるかどうかも不安でした。そんな私がRASAの活動を行おうと決めた理由は、新しいことに挑戦してみたいという好奇心や、同世代のいろんな人と関わりたい、誰かの役に立てることを行いたい、自分を成長させたいなどがあります。
実際にフィリピンに到着すると、日本との違いにとても驚きました。到着して一番驚いたことはトイレです。日本のトイレが綺麗で清潔であることが改めて分かりました。また、お風呂にもとても驚きました。日本との環境の違いが特に表れていたと感じました。
学校に到着すると、フィリピンの人たちが歓迎してくれたことはとても覚えています。日本人をとても受け入れてくれてとても嬉しかったです。私のホストファミリーもとても歓迎してくれました。フィリピンの子供たちはフレンドリーに私たちに接してくれました。日本語の授業では一生懸命に日本語を勉強していたことが心に残っています。しかし、フィリピンの子供の中にはお金がないため学校に通えない子供がいます。貧富の差が大きいと改めて感じました。近所の子供たちもフレンドリーに接してくれました。毎日家に帰ると子供たちが出迎えをしてくれて一緒に様々な遊びをしました。ビンゴなど、フィリピンの遊びを教えてくれて楽しい毎日を過ごすことができました。日本人をとても歓迎してくれたため、活動に参加して良かったと思いました。
私達が今回ホームステイを行った地域はまだ恵まれていましたが、フィリピンには昔ゴミ山と呼ばれていた場所に住んでいた人などやはり貧富の差が大きいと感じました。また、とても不衛生であると思いました。ごみの分別が行われていないことや、道端にゴミが捨ててあったためです。ごみの分別を行うだけでよりよい街になるのではないかと思いました。
日本よりもフィリピンの人たちは人との繋がりが深いと思いました。近所同士や家族同士の中が良いと思いました。
私にとってとても濃くてあっという間の約2週間となりました。様々な経験ができ私の成長につながったと思います。
A.U.さん 南山大学2年
「初めての海外とそこで得たもの」
私がラサに参加しようと思った理由は、時期が春休みで授業に影響がなかったことと、期間が短く海外初体験の自分にもちょうど良いと考えたからです。英語もあまり得意でなく、また他に知っている人もいない中での参加だったために出発する前の不安な気持ちは尽きませんでした。実際にフィリピンに到着したあとは、気候・食べ物・生活環境など普段の日本との生活とあまりに違い過ぎたため、これから先うまくやっていける気がしないと思ってしまいました。特に、トイレは自分で流す・シャワーがないということに関してはなかなか受け入れがたく、とても辛い思いをしました。しかし最初はかなり抵抗を持っていたものの、ここでやっていくしかないのだと発想を変えられるようになり、2週目にはこうした環境の変化にも慣れていきました。
ホストファミリーとの生活については、意思疎通がうまくいかないこともあったけれど、私のために食事や洗濯をしてくれたりいろいろな場所へ連れていってくれたので嬉しかったです。また体調が悪いときには自分の家族のように心配してくれたので、ホストファミリーの優しさを感じました。近所で小さい子が遊んでいるのをみると、言語や遊びは違えど日本とあまり変わりない風景だなと感じました。
またフィリピンに着いてからメンバーの子と話せるようになり、一緒にトランプをしたりゲームができて楽しかったです。他の家族の家に行ってみて、同じ地域でも違うような暮らしがありその家それぞれの特徴があるのだなと思いました。違う家の子と交流したり出かけることもあり、楽しかったです。
フィリピンでの生活はとても短い期間ではあったけれど、初めての海外生活の私には文化や風習の違いを体感するには良い時間でした。日本に帰ってから、今までなんとも思わなかったいつもの暮らしはとても恵まれておりありがたいものであると実感しました。この体験は、私のもつ常識を変える良い機会であったように思います。
H.O.さん 名古屋市立大学経済学部 2年
「感想文」
最近、アルバイト先でレジをしている際に、フィリピンと書いてあるパスポートを持ったお客さんが来ました。テンションが上がり、お釣りを渡すときに「サラマ」と言いましたが、フィリピン人は何事もなかったかのようにお金を財布に入れました。声が届かなかったのか発音が悪すぎたのかわかりませんが、反応が全くなかったのは、とても寂しく、恥ずかしかったです。(笑)フィリピンから帰ってきてから、フィリピンという文字を見るだけで、過剰に反応している自分がいます。日本のカラオケバトルの番組に出ていたフィリピンの少女はとても美人で、つい凝視してしまいました。
この二つの出来事について、今、ここに記している時に、フィリピンのブラカンで出会った人々との会話をふと思い出しました。当たり前のように、フィリピン人が日本に来て買い物をしたり、活動をしたりすることを受け入れていましたが、私が現地で出会った人々は、日本に来たくても、パスポートを取得するお金や、十分な旅費がないと言っていました。
パスポートに関しての話も含め、日本人の私から見て、ブラカンの人々の生活水準はとても低いものでした。家が狭いことや、水道をひねっても水が出ない時があること、バケツの水を使ってトイレを流すこと、シャワーがないため水で体を洗ったことなど、日本で生活している時は一度も体験したことがないことを現地では体験しました。同じフィリピンでも、ブラカンから車で数時間行ったところにあるマニラは、同じ国とは思えないほど発展していました。3日間滞在しましたが、日本に近い生活環境がありました。
フィリピンは発展途上国といわれていますが、マニラは十分に発展していると思います。その勢いで、これから、周辺地域もどんどん開発されていくと思います。
ブラカンの街の様子や生活様式にも変化が起きるかもしれません。それについては、現地の人々の暮らしが豊かになるならば、とても良いことだと思います。しかし、私はブラカンの人々の心は一生変わってほしくないです。私がブラカンで出会った人々は、明るく優しく楽しい人々でした。いつも歌って踊ってみんなで楽しい生活をしている印象が残っています。
一方、発展していたマニラではたくさんの人がいましたが、楽しそうな様子はありませんでした。
便利な暮らしと引き換えに,心のゆとりや周りの人々との時間を大切にできなくなることはとても悲しいことだと思います。数年、または数十年後ブラカンの街は開発によって変化があるかもしれません。
しかし、外部の変化はあれども、心は変わらず明るく楽しいブラカンの人々に会いに、いつかもう一度フィリピンに行きたいと思います。
A.K.さん 椙山女学園大学1年
「はじめての海外ボランティア&ホームステイ」
ボランティアとして学校を建てる作業は少なかったが、ホームステイや子供たちに日本語の授業をし、毎日子供たちと遊んでたくさんのことを学んだ。まず、フィリピンの人々は元気で優しい???と感じた。
2月なのにフィリピンは暑かった?その中でも子供たちは外で元気に遊んだり、いたずらしていて、「日本と離れているのに子供たちは変わらないな」と感じた。
また、自分のおかしやアクセサリーを分けてくれたりして、優しいと思った。
私の家の周りにはすごく子供たちがいて、学校の後には毎日いろいろな遊びをした。子供たちは英語で遊びのルールを教えてくれた。一つの遊びが終ると「疲れた?」と聞いてくれたり、水を持ってきてくれたりした。
私の家のお父さんは日本の文化なども知っていて、「日本ではこれを使うでしょ」と言って箸を買ってきてくれたり、トイレットペーパーも買ってきてくれた。家族で出掛けた時には、いろいろなものを食べさせてくれたり、「家族へのお土産」と言ってたくさんのお菓子をくれた。
ご飯は、味付けの濃いものや薄いものがあったけど、ほとんどの料理が美味しかった。ミリエンダがご飯の間にあるから「おなかすいた」と思う時間がそんなに無くて、幸せだった??
フィリピンの人たちは、みんな優しくて家族愛もすごい。子供たちには、この気持ちを忘れないで元気に成長してほしいし、これからも幸せに過ごしてほしい?
A.Y.さん 椙山女学園大学2年
「フィリピンで」
「参加動機」
日本は豊かで、ほとんどの人が衣食住に困らずに生活を送ることが出来ている。しかし、日本のような豊かな国は少数であり、世界にはまだまだ貧しい国が存在する。そこで、大学生のうちにそのような国の現状を肌で感じ、発展途上国の子ども達の力に少しでもなりたい一心でRASAのボランティアに参加した。
「フィリピンに行く前と行った後のイメージの変化」
フィリピンに行く前、私は フィリピンに対して治安が悪い、貧困、衛生面が不安というようなイメージを持っていた。
しかし、実際に行ってみると現地の人々の優しさや思いやり、子ども達の明るい笑顔がフィリピンにはあり、確かに治安や貧困、衛生面の問題は現地には存在するものの、それ以上に日本人にはないものをフィリピンの人々は持っており、日が経つにつれてフィリピンでの生活が自分にとって新鮮で、幸せなものへと変化して行った。
「フィリピンの生活から考えたこと」
私は、大学で日本人は「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業の考えを昔から持っており、ジェンダーの面よりそのような考えは良くないとされ、男女平等に対する意識が人々に浸透して行ったことを学んだ。
そこで、フィリピンの生活を振り返った時、この性別役割分業がフィリピンでは 現在の日本よりも未だに存在することを感じた。
父親は、出稼ぎであったり田舎から都心部まで働きに行く日々を過ごしている一方で母親は家事全般をやりこなし、家を守る役目を果たしているように私は感じた。
「まとめ」
はじめに述べたように、私は、ボランティアをして少しでも力になりたいという理由だけでRASAに参加したため、フィリピンに行き、何か得たいというような気持ちは無かった。しかし、振り返ってみると、子ども達の笑顔、ステイ先の家族や近所の方々の優しさにとても勇気付けられ、新鮮な気持ちを持つことができ、私たちが、ただボランティアをするだけでなく、私たち自身も得るものがたくさんあったと感じた。
また、ジェンダーの面などの大学で学んだ領域からもボランティアを通して気付くことがあり、学びをも深めることができ良かったと感じた。今後もボランティアを通して他国の人々と関わっていきたいと改めて考えた。
M.Mさん 椙山女学園大学2年
「フィリピンのボランティアへ行って感じたこと」
日本とフィリピンでは、文化や生活が違い戸惑うことがあったが、2週間を通して様々なことを体験することができました。文化では、カトリックを信仰する人が多く日本は自由だと答えると、とても驚いていました。また、フィリピンの人たちはとても明るくいつも、にこにこしていていつの間にか、私のほうまで笑顔になっていた。家族をとても大切にしていて是非私も見習おうと思いました。他にも近所同士が仲良く日本と違うなと感じました。生活習慣では一日5食食べる習慣があり終わる頃には胃袋が大きくなっていたし、お風呂はシャワーもなくお湯もなく水で最初は苦労したのも、今ではいい思い出です。慣れるまで大変で日本に帰りたいと思った事があったが日がたつごとに、子供たちの笑顔とフィリピンの人たちの温かさに触れることができ最後には、まだフィリピンに居たいと思った。ボランティアを通し、豊かさや貧しさを考えることができた。それと同時にこちらが元気づけられたと思う瞬間があった。たとえば、「ありがとう」というたった一言。「来てくれてありがとう」というときの笑顔。誰かのために、何かのために力を使っているつもりでも、実は自分が何かを受け取っていました。そのたった一言は、役に立つ喜びを感じることができました。ボランティアは「してあげるもの」ではなく「させていただくものだ」という事を色々な活動を通して感じました。RASAの活動だけではなく、他にも色々なボランティア活動に誠意をいれてきたいです。
M.H.さん 椙山大学3年
「RASAの活動を通して」
今回はじめて海外ボランティアに参加して人間関係、生活環境、食事の面に対しての不安が大きかったが、自分が思っていた以上にその不安はすぐになくなりました。英語も大して喋れるわけではないので「どうなるんだろう」と不安だったけどホストファミリーがわかりやすい英語で話しかけてくれたおかげでなんとなくですが会話を成り立たせることができました。他にも、今回のRASAの活動を通じて友達になった子が通訳をしてくれたおかげでより具体的に意思疎通をすることができました。自分のホストファミリーだけに限らず近所の子供たちとも仲良くすることができ、日本の子供達とはまた違い、年齢関係なくみんなで元気よく外で遊んでいる姿は日本ではなかなか見ない光景だなと思いました。他にもフィリピンの子供達は何事にも一生懸命取り組む姿はとても印象的でした。例えば勉強の面で言えば日本語の授業をした際に一生懸命ノートにひらがなを書き写す姿は印象的でした。生活環境も日本とは異なり、トイレとお風呂は、日本とは大きく違い最初は驚きました。他にも日本では交通手段として車が主流なのに対し、フィリピンではバイクが主流であるところや、朝から近所の目を気にすることなく爆音で音楽を流すところや時間にルーズなところは日本とはまた違う生活環境でした。食事の面に関しては、思っていた以上に食事の量と回数が多かったです。お昼ご飯とおやつはわざわざ学校まで届けてくれるところ点も日本とは異なるところだなと思いました。日本とは異なる文化を実際に体験したことで価値観が広がり楽しく過ごすことができました。今回楽しくRASAの活動に参加できたのは班のメンバー、RASAの活動を通じてできた友達のおかげだと思っています。新しいことをすればまた新しい出会いがあることを今回改めて痛感することができました。他にも日本に帰って来たとき、改めて日本がとても恵まれた環境にあるということが本当によくわかりました。今回RASAの活動に参加したことで様々なことを学ぶことができ、また一つ自分が成長できたのではないかなと思います。
N.K.さん 南山大学2年
「RASAの活動に参加して」
フィリピンでの18日間はとても良い経験になりました。自分でこの活動に参加すると決めましたにも関わらず、参加すると決めてからは不安や緊張しかありませんでした。私が一番不安だったのはホームステイでした。今回が初めてのホームステイで、私は英語が十分に話せないので、ホストファミリーとコミュニケーションがちゃんととれるかとても不安でした。しかし、ホストファミリーは笑顔で迎えてくれ、私の拙い英語を理解しようとしてくれました。また、時には辞書を使うなどし、ホストファミリーとのコミュニケーションではほとんど困ることはありませんでした。
学校建設の作業はバケツリレーや砂ふるいをしました。暑い中での作業だったので短時間でも疲れを感じました。新校舎建設に少しでも役に立てていると思うと嬉しかったです。学校での日本語の授業は充実した時を過ごすことが出来ました。子ども達は積極的に日本語の授業に参加してくれて嬉しく思う一方、教室の前に立ち子ども達をまとめることの難しさを改めて感じました。
フィリピンでは様々な思い出ができましたが、その中でも私の一番の思い出はホストファミリーの子どもや近所の子ども達と折り紙をしたり、フィリピンの遊びを一緒にしたことです。折り紙にとても興味を持ってくれて楽しそうに遊んでくれたので嬉しかったです。子どもたちと遊んでいて、言葉が通じなくても、コミュニケーションが取れることを感じました。日本にいてはできない経験だったと思います。
あれだけ不安だったフィリピンの18日間はあっという間に終わってしまいました。もちろん、楽しかったことばかりではありませんでしたが、すべてが良い思い出です。出発前は想像もできませんでしたが、ホストファミリーとの別れはとても悲しく、寂しい気持ちになりました。別れが悲しくなるほど良い時間を過ごすことができたのだと思います。フィリピンでは貴重な経験が沢山できました。RASAの活動に参加して本当に良かったと思います。
Y.K. さん 椙山女学園大学 2年
「フィリピンでの生活で学んだこと」
私にとって初めての海外で初めてのホームステイだった。行く前は楽しみより不安が募り、前日の夜は眠れなかった。しかし実際着いてみると、みんなが楽しそうに話している様子や、街中の様子を見てワクワクしてきた。いよいよファミリーと対面のパーティでは、ホストマザーも私も緊張でお互い口数は少なかったけど、家に着くと自然と会話ができたし、その日ホストファザーからは「話す時いつも笑顔で良いね」と言われた。他にも、子供がmaganda,poggyなど頻繁に言ってくれて、日本ではないような待遇に驚きつつ嬉しく思った。思った事を口に出して伝えるのが上手で、人を喜ばせるようとする気持ちが強いため、近所間での関わりが深く良いものになるんだなと感じた。
生活の中で1番気になった事は、歌やパーティが生活に不可欠だということだった。私のホストの家にはTVと音楽プレーヤーやカラオケマイクなどがあり、貧しさは感じられなかった。一方トイレやお風呂はバケツの水を使うおなじみのスタイルで少し不便に感じた。他にも、部屋中にある隙間からは虫が常に入って来るためその都度驚いていた。こんなにも改善すべきところがあるのになぜ先に娯楽にお金を使うのだろうと疑問だった。他のメンバーからも同じように思ったと聞き、やはり置かれた生活状況の違いなのだと実感した。きっと、裕福とは言えない暮らしの中で楽しみを持つことで生きがいとなるからではないかと考えた。音楽を日常としている陽気な地域性もまた私の生活とは違う面白い点だと思う。
楽しいだけではなく、ストリートチルドレンやスモーキーマウンテンなど初めて目の当たりにした状況から考えさせられることが沢山あった。どうしたらこんな状況を改善できるのか考えてはみても、自分はこの国の為に何もできていないという無力感もあった。課題の多いフィリピンの現実を知れたのは良い経験だった。
参加後心残りだったのは、建設作業に携わった時間よりも、休憩が長くあまりボランティアをした気になれなかったことだ。逆に、ホストやその他の人々が私たちを楽しませてくれたり世話してくれて、逆ボランティアされた気分だった。私に関わってくれたフィリピンの方々に心から感謝している。
なんでもないような日常でも、ホストファミリーや近所の人々と笑って過ごせたことで充実していた。変わらない日常でも生きてる内に楽しまなければ勿体ないと思えるきっかけとなった。
Y.K.さん 南山大学2年
「フィリピンでの思い出」
私はフィリピンにボランティア活動を約三週間行きました。ボランティア活動は学校建設や日本語の授業を行った。活動内容の説明はみんな同じになりそうなので、私はフィリピンで起こったこと、私のホストファミリーについて述べていきたいと思う。
フィリピンに着いて初日の夜、ホストファミリーでもない人とカラオケをした。みんなノリが良くて楽しかった。日本の有名な曲があるから歌ってよと言われて流された曲がBicycleだ。そう、全然知らない曲だ。結局そこにいる彼らがすべて歌いきった。あともう一曲だけ有名な曲があるからといって流した。またBicycleだ。そしてまた彼らが歌いきる。私の番は回ってこない。でもこんなくだりを初日から騒ぎながらやったのがすごく楽しかった。
次は私のホストファミリーを紹介したい。お母さんとおばあちゃんと女の子の子供が二人のファミリーであった。お母さんはお母さんといっても20歳で同い年であった。だからアテと呼んだ。アテは料理がクレイジーである。いつもフライパンに大量の油を注ぎ、そこに肉や魚を突っ込む。火が通ったらそのままお皿に盛りつけて完成だ。とてもシンプルだ。たぶん彼女は得意料理はなに?と聞かれたら真っ先に素揚げと答えるだろう。でもそんなアテはいつも午前と午後であるミリエンダでコーラを毎回支給してくれるから大好きだ。おばあちゃんはタガログ語しかしゃべれなくて全然コミュニケーションがとれなかった。よく話しかけてくれるが、全く理解できないのでいつも「I see」と答えていた。この返答もおばあちゃんには理解できていないだろう。でも私がいつも「you are maganda」というと笑ってくれる。Magandaという言葉が唯一のコミュニケーションのツールであった。そのコミュニケーションで笑ってくれたり、いつも私の帰りを待ってくれてる彼女は愛おしくて可愛い。二人の子供はアシュレイアとジャマイカという。二人とは最初私が怖がられていたせいかあまり仲良くなれなかった。しかし、トランプや外で遊んでいくうちによく話したり、くっついてくるようになった。外で遊んだり違う家で遊んだ後、毎日のようにアシュレイアとジャマイカとトランプをした。だいだいババ抜きをしていていつも私が勝っていた。二人はどうしても勝ちたいと思ったかわからないが次第にイカサマをするようになった。私の手札をのぞきみるのだ。そんな彼女たちに言っておきたいことがある。イカサマはだめだ。私の周りのホストファミリーにはたくさんのギャンブラー(ヒカキン、斎藤、匂坂のホストマザーたち)がいる。だからいずれアシュレイアとジャマイカもギャンブルにはまるかもしれない。イカサマは、ばれたときがいちばんやばい。だから今度フィリピンに戻って注意しておきたい。でも三人でやるトランプは結果盛り上がってみんな笑っていて楽しかった。
フィリピンでの経験は毎日が刺激的で濃いものであった。ボランティア活動や遊び、文化体験すべて総じて最高に楽しかった。またあの楽しい時間にもどりたい。そしてこんな楽しい思い出をまたどこかで作りたい。
T.K.さん 南山大学3年
「題名:salamat」
とても文章で書き表せない貴重な体験でした。どんな体験か気になる人はぜひ活動に参加してみてください!
T.K. 椙山女学園大学3年
「フィリピンで学んだこと」
私は2月4日から2月21日まで、フィリピンのパンディのブラカンというところに滞在していました。目的はボランティアで、学校建設の手伝いをすることです。私が行った学校はパンディレジデンス小学校でした。パンディはマニラよりも北にあり、何時間もバスに揺られてようやくたどり着きました。田舎な地域で周囲にはたくさんの犬、猫、鳥が放し飼いにされていて、道路にはたくさんの糞が落ちていて回収されずに放置されていました。停止線は、誰も止まらないので盛り上がっていました。魚などのなまものも冷やさずに売られていて来た日は大丈夫かなと不安に思いました。また、フィリピン人はみんな夜は早く寝て朝の5時から活動しだします。朝起きるとたくさんの子供達が朝からランニングをしていて、家の中にいるよりも外でみんなで遊ぶのが好きでまるで昔の日本のような生活をおくっている印象を受けました。日曜日になると、沢山の人が外でカラオケをしていました。日本だと、外にでて近所の人とカラオケをするということをしないので大変驚きました。
パンディについた日は本当に緊張したり、生活様式の違いに驚いたりして思ったようにしゃべれませんでした。生活に慣れてくるとホストマザーや近所の人が私の名前を呼んでくれたので安心して話しかけたりふざけることができました。私のホストマザー優しく明るく、いつも私を喜ばせようと何か買ってくれたり、いい思い出を作ってあげようと海で遠くのほうまでボートに乗せて行ってくれたり、朝早くから起きて朝ご飯を作ってくれたりする人でした。友達のベベは毎日のように私のところに来てくれて私をおんぶしてくれたり、ご飯を一緒に食べたり、サッカーしてあそんでくれたりしてくれました。近所の人たちは皆優しくて、プレゼントをくれたり、ネイルを塗ってくれたりしてくれました。そして、私がフィリピンで特に珍しい経験をさせてもらったなと思うのがありに全身噛まれた時に自然療法で治してもらったことです。自然療法とはキリスト教の牧師さんが、ろうをハートの形に溶かしてもらってデコボコ具合で何が原因か当てるそうです。私の場合は内なるモンスターが暴れていたそうです。全身に塩をぬられ、暖かいお湯と石鹸で洗い、朝起きたらお祈りをしました。お祓いをしてもらったり沢山の人に薬を塗ってもらったりして治してもらいました。
フィリピンでは沢山の経験をさせてもらいました。ホストマザーをはじめ、近所の人、学校の先生、沢山の人に出会い日本では絶対できないようなことをさせてもらいました。案外、英語が喋れなくても大丈夫だろうなと思っていたのですが、いざフィリピンに行ってみるとこんなにも英語が話せなくてもどかしい気持ちになりました。もっといろんなことについて話してみたかったです。これから英語の勉強も頑張りたいなと思いました。すべてが日本と違い、すべての常識を覆す、温かい心であふれているフィリピンが大好きです。また、行きたいなと思いました。
T.T.さん 南山大学2年
「フィリピンボランティアを通じて」
私がRASAの学校建築ボランティアに参加した理由は大学生活の長期休みを利用して何か新しいことや挑戦をしてみたいという単純な考えでした。半分勢いで参加を決めましたが、この勢いのおかげで私は沢山のことを学び、貴重な異文化体験ができました。また、この機会がなければ知り合うことのなかった人と出会い一緒に活動ができたことも、この活動の参加してよかったなと思うことの一つです。まず、フィリピンの生活で驚いたことは、生活面の不自由さです。シャワーがない、水が出ない、そんな日本での生活では考えられない日常を目の当たりにしました。日本では感じている当たり前の生活が、当たり前ではない人がいるのだと肌で実感しました。その一方で、ホストファミリーや子供たちと触れ合う中で、最近の日本では感じられない近所づきあいの濃密さやにも驚きました。たった2週間ほどのホームステイ中でさえも近所の子供たちの誕生日パーティーに何回も訪れたり、知らない子供が家に勝手に入ってきても当たり前のように生活をしていたりと、近所のつながりの強さを感じました。また、私が出会ったフィリピンの人たちはみんな笑顔だったのが印象的でした。ホームステイ先の家族も、日本語授業をした子供たちも暖かく私たち日本人を迎えてくれました。建築作業から帰ってくると近所のみんなが出迎えてくれて、毎日子供たちと疲れるまで遊んだのもいい思い出です。近所の子供たちやホストファミリーのおかげで、不安だった気持ちもすぐになくなり、帰るころには寂しいと感じるほど大好きな場所になっていました。しかしみんな笑顔で生活しているけれど現実的には、病気の子供を治す治療費が足りないなど、このままの生活を送ることができる保証のない生活をしている人がほとんどです。実際に、私のホストファミリーの赤ちゃんは成長が普通よりも遅く、定期的にマニラの病院に通わなければならず、必要なお金がたくさんあると聞かされました。しかし両親は仕事をしておらず、そのお金を払うのでさえも苦しい現状でした。そんな現実を知って、何か力になりたい、私にできることはなんだろうと考えさせられました。正直今もその答えは出ていませんが、実際に足を運んで、自分の目で現実を見た経験は私にとって貴重な財産になると感じています。フィリピンでの生活は不慣れなことも多く、日本語授業など大変なことも多かったけれど、それを乗り越えていい経験にできたのもRASAのメンバーがいてくれたからです。素敵な仲間と出会えて、貴重な経験ができて、半ば勢いで参加したこのボランティアは私にとってとても濃く忘れられない活動になりました。
S.T.さん 南山大学2年
「フィリピンで学んだこと」
フィリピンについてすぐの時点で私は日本との豊かさの違い、衛生面の違いに驚いたとともに、不安を感じました。
文化が大きく違うということを重々承知の上で覚悟を決めて行ったつもりだったはずなのに、やはり日本に住みなれていると、感覚が狂うものだと思いました。
学校に着くと、多くの子供達が嬉しそうに手を振ってくれて、まるで芸能人になったようでした。こんなにも自分が歓迎されることはないので、涙が出そうでした。とてもいい国の子供達だと感じました。そのあとホストファミリーと初対面するとお互いに言語の壁が大きく、会話を交わす回数が少なく、すごくもどかしい思いをしました。家に着いてからも、自分の居場所を探すのに必死で、その日はすぐに部屋に行きました。ホストファミリーも気を使ってくれたのだと思いました。2日目からゴキブリと戦う日々が続き、夜中に自分の部屋にゴキブリが出て、逃げた先の廊下にもネズミかと思うくらい大きなゴキブリが2匹いた時には、流石に帰りたくなり、涙が止まらないほどでした。それでも、学校に行けば楽しそうに遊んでくれる子供達や、一緒に頑張っているRASAのメンバーがいて、自分が帰りたいと一瞬でも思ったことを恥ずかしく思いました。
それから毎日、家に帰れば家の前に15人以上の子供達が私の帰りを待っていてくれて、私を見つけた途端に走って駆け寄ってきてくれました。日本は子供達が家の中にこもってゲームをしているせいか、外で子供と触れ合う機会も滅多になく、家族同士のネットワークが非常に気楽に感じます。フィリピンでは家にかぎをかけることもなくお互いの家族の間に壁がないように感じました。そんなとこからもフィリピンの人達がフレンドリーで温かい意味がわかります。
日本で携帯ばかり見ている私たちでさえも、フィリピンに行けば携帯を見る暇もないくらい子供達と遊んで、フィリピンの人達と片言の言語で話し合って、とても貴重な経験をしたと感じています。
たかが18日間のホームステイでも、あんなにも別れが寂しいものだと思ってもいなくて、最終日一人で家族の前で泣く羽目になるとは思いませんでした。
家族が誰も泣いてくれなくて、少しさみしい思いをしたけれど、別れの日ホストマザーが目の前で泣いてくれた時はさすがに涙が止まりませんでした。あんなに泣きたくないといって別れの直前まで笑顔で振舞っていたホストマザーの涙か今でも忘れられません。お別れをした後に、ホストマザーから 6歳のジュエルが自分の部屋にこもってずっと泣いて出てこない、おじいちゃんもずっと泣いているよ というメールが来て、あんなにも元気そうだったジュエルと、お別れがあっさりとしていたおじいちゃんが泣いているという事実がとても嬉しくもあり、悲しかったです。
H.T.さん 南山大学3年
「RASAに参加して」
ラサに参加して実際に現地に行くまでは、治安が悪いんじゃないか、ホストファミリーと仲良くなれるかなどたくさんの不安がありました。しかしパンディに着きバスから降りると、現地の子供たちが学校の窓などから笑顔で迎えてくれて少し緊張がとれました。現地の子供たちはとても元気でずっと遊んでいるのに疲れが見えずこちらが疲れてしまいました。人懐っこい子が多く、私たち日本人に興味津々で外にいるだけで子供たちが集まってきて、毎日日が暮れるまで外で遊んでおり、とても楽しい時間でした。学校にいる時ホストマザーがミリエンダ(おやつ)を持ってきてくれるのですが、量が多すぎて毎日ミリエンダの時間が恐怖でした。学校建設の作業は砂ふるいやバケツリレーなど簡単なもので、もう少し重労働かと思っていたので少し物足りなく感じました。休憩時間にはボランティア同士で交流を深めることができ、またフェアウェルパーティーのダンス練習をするなど、とても楽しくいい思い出になりました。学校建設の合間に日本語の授業をしたのですが、クラスの子供たちが皆真剣に授業を受けていて、フィリピンの子供たちと日本の子供たちの教育に対する価値観の違いがみられました。フィリピンの人たちはフレンドリーで見ず知らずの私にもとても良くしてくれ本当の家族の様に接してくれました。土日にはモールや川などに連れてってくれたり、パーティーを開いてくれたりと色々な体験ができ、フィリピン人の生活を垣間見れました。スモーキーマウンテンの教会で話を聞き、その暮らしを自分の目で見たことで現地の人の貧しさを実感しました。ボランティアに参加してフィリピンでホームステイをしたことで様々な経験ができ、貧困などについて色々考えさせられた18日間でした。
Y.Yさん 椙山女学園大学2年
「2018年春」
私は今回RASAの活動に参加して、フィリピンの生活に関わる良い点と悪い点、RASAのボランティア団体としての良い点と悪い点について気づいたことがあるのでまとめてみました。
フィリピンの良い点
・近所づきあいが深く、お互い支え合って生活している
自分の子供の面倒を近所の人に見てもらうのは当たり前。物の貸し借りも頻繁に行う。
・友達は家族同然の扱いになる
友達の家で食事をし、家事を手伝うなど本当の家族のように接する。
・笑顔が絶えない
見知らぬ人でも笑顔を向けてくれる。小さなことでも皆で笑い合える。
・様々なことに関して自由
日本が窮屈な国だと思うほど、良い意味で神経質でない広い心を持った国民性。
フィリピンの悪い点
・大体の事に関してルーズ
待ち合わせの時間に遅れるのが当たり前、約束したことをすぐに変えるなど。
・法が機能していない
交通ルールは無視。警察がいないところではバイクを無免許ノーヘルメットで運転するなど。
・雇用環境の悪さ
毎日一生懸命働いても低い給料しかもらえない。故に子供を学校に通わせられない。その子供も良い仕事には就けないというサイクル。
・衛生面への関心が薄い
汚いものを触った後でも手を洗わず、そのまま食事をする。水回りが特に汚く、清潔でない。
・栄養の知識がない
「何が体に良いか」ではなく「何を食べたいか」だけ考えて食事をしている。栄養が激しく偏っている。
RASAの良い点
・ホームステイができて、フィリピンの生活を知れる
・日本のいろんな友達が出来る
・フィリピンでもう一つの家族ができる
・自分を見つめ直せる
・自分が成長できる機会を沢山貰える
RASAの悪い点
・帰国後RASA・フィリピンシックになる
2回目の参加でしたが、前回とは違う事を感じ、悩むことができました。かけがえのない経験が出来たことに感謝します。ありがとうございました。
Y.Y.さん 椙山女学園大学 1年
「良き体験。」
きっとフィリピンの生活で感じたことは皆たぶん変わらないので
簡潔に書かせていただきます。
「RASAに参加してよかった。」
心からそう思える18日間でした。
ミリエンダーとか水回りの衛生面とか買い物とか
日本と違いすぎてとまどいしかなかったけど、
毎日が新鮮でいろんな発見ばかりで、
日本にいたらできないことを体験することができ、楽しかったです。
なんとなくノリで決まったダンスリーダーも
やってなかったらここまでいろんな方と話す機会もなかったし、
きっと人見知りも克服できず無口のままだったかもしれないと思うと
誘ってくれた方には感謝しかないです。
全く英語もしゃべれず、ジェスチャーだけ上達して
感覚的にボランティアというよりも旅行的な感じで
役に立ったとか全く感じないけれど
ほんとうに楽しかったなとしみじみ感じます。
みんなありがとう!
このメンバーで行けてよかったです!
感謝!
Y.Oさん 南山大学2年
「フィリピンボランティア」
私はフィリピンに行く前、とても不安な気持ちでいっぱいでした。例えば、ホームステイ先、シャワーやトイレ、食あたりなど色々なことを考えていました。自分が生まれ育った日本があまりにも豊かで、生活がしやすいのでこの生活に慣れている自分はフィリピンで2週間暮らしていけるのなと思いました。
フィリピンのお風呂はやっぱりお湯ではなく水で、蛇口から出るのではなく樽にあってそこから桶で自分の体にかけるというスタイルでした。最初は冷たくていやだなと思ったけど、日がたつにつれて慣れてきました。食事もどれも美味しくて1日の楽しみとなっていました。もう一つ楽しみなのが学校が終わった後、近所の子と遊ぶことです。フィリピンの子どもたちはとても人懐っこくすぐに友達になれました。言葉の壁があったとしても人は仲良くなれるということがこの経験を通してよくわかりました。とにかく笑顔で接していればいつの間にか人見知りの私でも打ち解けることができるということを彼らから学びました。子どもたちだけでなく大人もフレンドリーで近所の人たちだけでなく地区全体の人と知り合いなのかと思うくらい誰とでも分け隔てなく接してとてもフレンドリーでした。私がお腹をこわして学校に来れなかったとき、そのことが知れ渡っていたみたいで治っていつものように子供たちと遊んでいたら友達のお母さんが出てきて「かな、大丈夫だった?」と言ってくれました。フィリピンのネットワークはすごいと思いました。また、生活水準が低くても人とのつながりが強ければ幸せだということも知りました。
もしこの活動に参加しなかったらテレビやネットでの情報でしかフィリピンという国を知りませんでした。マイナスイメージが強い国ですが、プラスの面も多くありました。人とのかかわりあい方を教えてもらい、美味しい食事と最高の笑顔をもらえました。この経験は私の最高の思い出になりました。また、フィリピンに行き、ママや子どもたちに会いに行き恩返しがしたいです。
M.S.さん 椙山女学園大学4年
『 最も印象に残ったできごと… 』
私のタタイは笑顔の素敵なとてもやさしい方だった。
だけど、その日学校に迎えにきてくれた時は、無表情だった。
帰り支度が遅かったから?
手術したところが痛むのか?
私のせいだったらどうしよう…
帰り道必死でぐるぐる考えていた。
近所に住んでいるまいの家に行った時その謎が解けた。
理由は『お金がないこと』が原因だった。
タタイは手術したばかりで、働いていない。勤めていた会社もクビになり無職。
ナナイはカエラ(娘)が時々心臓が痛くなるから傍を離れられなく仕事をしていない。
その時、RASAのお金のみで生活していたそうだった。
お金がない。
そのせいで、私を他の子のように遊びに行かせてあげられない。
それが辛くて、タタイとナナイは悲しんでいたのだった…
その後、ナナイに泣きながらSorry、 I love you と何度も言われた。
私もつられて泣いてしまった。
少しの間しか一緒にいないのにこんなに他人のことを大切に思える心の純情さに感動した。
あぁ、ありがたいな、と思った。
それと同時に「嫌だな。」と思った。
私のせいで悲しい思いをしてほしくなかった。
今回私がRASAに参加した目的の一つに、
『途上国の人を対象に仕事をするにあたり、その人たちを知りたい』という思いがあった。
このできごとから、フィリピンの人たちの良さをさらに知ることができ、
なお一層、私にできることは全てしてあげたいと強く思うことができた。
A.S.さん 南山大学 1年
「フィリピンから学んだこと」
18日間の学校建設ボランティアを通して日本で普通に生活していては絶対に出来ない貴重な経験をたくさんすることが出来た。フィリピンと日本との文化の違いに最初は戸惑うことも多かったが途中からは順応することが出来た。特に日本との違いに驚いたことはトイレやお風呂などの水回りである。日本では水洗トイレ、温水のシャワーや湯船が当たり前であっため、フィリピンのトイレやお風呂を経験してみていかに日本が恵まれた環境なのかを再認識させられた。また生徒数が多いため小学校が2部制であったり筆記用具が十分にないなど様々な面でフィリピンは日本人から見ると貧しい国かもしれない。首都のマニラでは日本などの先進国にもあるような大きなショッピングモールがあったりスマートフォンを持っている人が多くいる。しかしその一方でショッピングモールを出てすぐのところにストリートチルドレンやその日の暮らしさえも厳しい人がおり貧富の格差が激しい国にだということを実感した。しかし現地の人々はいつも笑顔で困った時はお互いに助け合うなど日本にはない人と人との強いつながりがあった。ホストファミリーや近所の人はいつも私のことを気にかけてくれとても思い出に残っている。特に近所の子供たちはいつもフレンドリーに話しかけてくれ、フィリピンの遊びを一緒にやったりバスケをするなどとても多くの楽しい時間を過ごすことができた。私は今まで海外に行ったことがなく出発前は不安なことが多かったが滞在していた間は楽しく刺激的な毎日でフィリピンでの18日間は普通の旅行では決して体験することのできない忘れられない思い出にすることが出来た。
Salamat Philippines
T.A.さん 南山大学3年
『常夏』
2月4日、朝7時30分中部国際空港にボランティア団体RASAが集結した。みんなの顔は不安と期待が入り混じっているようにも見えた。のちにこの不安は一切なくなることとなる。飛行機に乗っていた約3時間、友達と談笑していたためまるで2分のように感じた。きっと皆そうであろう。もしかすると1分と答えるものもいるかもしれない。そしてフィリピンのマニラにつき外に出た瞬間、奴は現れた。常夏だ。この時日本では大寒波が襲いかかり天手古舞になっていた。そんなことはさておき、ここからフィリピンでの学校建設ボランティアが始まった。
M.Sさん 椙山女学園大学2年
「フィリピンとの縁」
私の妹の友達はフィリピンとのハーフそして私の兄はRASAのボランティアに参加して以来4回もフィリピンに行っています。これはフィリピンと縁がある私もフィリピンに行かないといけないと思い参加しました。また、一度鹿児島の離島で町おこしのボランティアを行った際に国内と国外のボランティアの違いは何があるのだろうと思ったのも今回参加した理由です。
フィリピンに着陸するとき上空からフィリピンの街並みが窓見えたとき、高い建物はあまりなく家が密集して沢山あるという印象を受けました。Pandiに向かうバスの車内から外を見たとき道は全然整備されてなく信号もマニラを抜けてしまうとなくなってしまう。また、家の作りも木やコンクリートで出来ていて地震があればすぐ壊れてしまいそうな作りで驚きました。
Pandi に着き盛大に迎えられわくわくした気持ちと緊張、不安がありました。また、私は英語がとても苦手でホストファミリーとコミュニケーションを取れるのかとても不安でした。しかし、ホストファミリーはとても優しく英語が苦手な私に対して日本語を調べ話してくれまた簡単な英語で話してくれました。私自身も日が経つごとに何を伝えたいのかわかるようになり私も伝えたいことが言えるようになりました。私のホストマザーはとてもパワフルで初日に渡した服が少し破れて返ってきたときは驚きました。
学校では、子どもたちは元気がありよく笑う子が多いなという印象でした。授業を行った際覚えがすごく早かったです。もっと勉強する環境があればいいのにと思いました。
建設の方では、正直貢献できたのかわかりませんがどのような感じに作業を行っているかはわかることが出来たのでよかったです。
今回ボランティアに参加してフィリピン人の心の暖かさ、フィリピンの現状を実際に感じることが出来ました。しかし、お金があることに越したことはないとは思いますがお金がないから不幸ということではないと感じました。
また必ずフィリピンに行こうと思います。このボランティアに参加することが出来てよかったです。
R.S.さん 椙山女学園大学3年
「RASA-Japan活動報告 (in Pandi)」
大学に入学する以前から海外ボランティア活動に参加するのは決めていた。そして、3年次の春休みやっと時間でき、参加することができた。私は大学入学以後国際交流する機会を自ら増やす努力をしていたこともあり、どんな国でも行けば生きていけると考えていた。しかし、この考え方は正しいようで間違いであった。今回が私にとって初の新興国での生活だったのだが先進国とは違う幸せのあり方を感じる一方現地での現実を知った。幸せのあり方は、人それぞれでもちろん家族との時間だったり収入を得た時などはもちろん幸せだが、お昼からお酒を飲み家族や近所の人たちとカラオケをするの日常茶飯事のこと。ほとんど全ての家にカラオケがあり、驚いた。お金をかけるところが価値観によってこんなにも違うのかと思い知らされた。また、基本的に皆お金は持っていない。それでも、自分の夜ご飯を買うためのお金で私にフライドポテトを買ってくれる子がいたり、アイスの棒でアルバムを作ってくれたり、お金がないから本物のお花は買えないけどと色紙でブーケを作ってくれたりととても心温まる贈り物をしてくれる子どもたちは本当に多い。また、シャイの子も中にはいるが基本的にみんなフレンドリーで興味津々に近づいて来る。現代の日本では子どもたちは室内でゲームをしている子も多いがフィリピンではほとんどの子が道で遊び皆が兄弟のように仲良しであった。また、子どもたちだけでなく、どこまでが親戚でどこまでが近所の人たちなのか分からないくらい皆がフレンドリーで初めは本当に混乱した。しかし、パンディーで出会った人はほとんどが貧困で実際には苦しんでいるのかもしれない。だけど私は日本で暮らしているより充実した生活ができたと思う。衛生面や日本と比べたら至らないところは数知れないがそこにはそこの幸せがあり、私自身も幸せを感じたし成長できたと思う。これからも、サポートは続けていくしパンディーで出会った人たちが少しでもいい環境で暮らすことができるようにみんななで励みたい。
K.O.さん 南山大学 2年
「2回目のフィリピン」
僕は去年の夏にフィーディングプログラムに参加して、とても充実した良い経験ができたので、今回の学校建設のプログラムにも参加した。活動内容、地域、RASAメンバーの人数、そして自分の立場、どれも前回とは全く違うので、不安があった。
初日、活動場所の学校に着いた時には日が暮れていた。しかし子供たちは、大きな歓声で僕たちを出迎えてくれた。それは僕たちの疲れを忘れさせるくらいに嬉しかった。夏に訪れた地域と同じように、ここの地域の人々も心温かい人なんだなと不安が少し消えた。
学校建設作業は、予定していた計画と大きく違っていたため、1週間目は主に日本語の授業を子供たちに教えることになった。子供たちが日本語をちゃんと理解してくれて、楽しんで授業を受けてもらえるように工夫した。最初の方は子供たちに英語の説明が上手く伝わらなかったりして、苦労した。しかし、授業をしていくにつれて、どうしたら子供たちが、理解してくれるかが分かり、みんな授業に積極的に参加してくれて楽しんでくれたので、僕たちもすごく嬉しかった。全部の授業を終えたら、建設作業が、始まった。建設作業は地味なものが多かったが、辛い作業もあった。しかしみんなが協力してお互いを気遣いあえたたので、そこまで辛いと感じなかった。
ホストファミリーとの生活は、僕をいつも気にかけてくれたので、とても暮らしやすかった。マザーは肌の弱い僕のためにパウダーなどを買ってきてくれたりして本当の息子のように心配してくれた。ホストの息子のダニエルは最初はシャイだったが、だんだんと懐いてくれて毎日手を繋いで学校に送ってくれた。ホストの娘のダニエラはとても明るくて、踊ったり歌ったりしていつもみんなを笑顔にしてくれた。僕はこんなにも明るく愛のあるホストファミリーに出会えて本当に嬉しかった。別れの時は本当に悲しかったけど、また会いに行きたい!と思った。今回も本当に良い経験ができ、これから1年間の活動も頑張って行こうと思った。
R.O.さん 南山大学2年
「RASAの活動に参加して」
私はフィリピンに行くにあたって不安でいっぱいだった。言語もホームステイ生活も二週間過ごすのは辛くなるのではないかと。しかし初日、長い道のりの末たどり着いたブラカンでその不安は和らいた。辺りは暗くなっていたのに学校ではたくさんの子どもたちと私たちのホストが待ってくれていた。そして花道を作ってくれて歌やダンスでもてなしてくれた。その後、家に帰ると近所の人も待っていてくれてとても嬉しかったのを覚えている。ブラカンの人々は本当に優しい人ばかりだった。私はあまり英語が得意じゃなくて単語で会話をすることが多かったが、みんな一生懸命理解しようとしてくれて、その気持ちがとても嬉しかった。子ども達もみんな人懐っこくて、たくさん一緒に遊んでくれて名前を覚えてくれた。この優しい大人たちに育てられた子どもたちだから、みんな同じように将来優しい大人になっていくのだなと思った。そして大人になった子供たちにまた会いに行きたい。ブラカンへ行って案外貧しくないじゃんと最初は思ったが、ちゃんと見てみると学校に行ってない子どもたちもいるし、このRASAのお金で生活している家庭もあると聞いた。しかしブラカンの人々は毎日笑顔で笑いが絶えない。辛いこともあるのだろうけど、それよりも今を楽しく生きることを大切にしているように感じた。また二週間ですごく感じたのが人と人とのつながりが密だということだ。私の洗濯物が向かいのお家に干されていたり、夜はお喋りしに集まったり、私の送り迎えを近所の人がしてくれたりもした。また朝起きると近所の人が来てホストの家で寝出すこともあった。そんな光景を見ていると、日本でいろいろ考える人園関係の悩みとかもとっても小さなものに感じて、日本もこのような文化だったらもっと素敵なのにと感じてしまった。またブラカンでもう一つ素敵だと思ったのが、イベント事を全力でやるところだ。誰かのお祝い事は近所の人が集まってみんなでお祝いしたり、期間中にバレンタインが重なったが、ホストや子どもたちがお花や手紙を私たちにくれたりもした。日本は忙しいことを言い訳にしてなおざりになってしまうこともあるが、その機会に日々の感謝を伝えられることもあるし、人間関係を良好に保つ方法の一つにもなりえると感じた。またボランティアについて、私は建設作業が全然えらくなくて、少し物足りないと感じていた。しかし、本田さんと話をする機会があって、ボランティアはWINWINという言葉がとても心に響いた。自分の中では貧しい人々のために何かやってあげたいという気持ちが大きかったが、それは恩着せがましいことに気づいた。だからブラカンの人々のように自然な助け合いがボランティアだと感じた。ここには書ききれないけれど、フィリピンに滞在した二週間で様々なことを感じ、体験できました。私はこの貴重な経験ができて幸せです。そしてフィリピンの人々に出会えて幸せでした。
H.T.さん 南山大学 2年
「フィリピンでの思い出」
18日間のフィリピンでの生活は、私にとってかけがえのない思い出や家族、仲間を与えてくれたました。最初は慣れない環境に戸惑い辛く感じることもありましたが、時間が経つにつれ日本とは違った環境を楽しもうとする余裕が出てきて、毎日たくさんの刺激的な体験をすることができました。放し飼いにされている犬、ゴキブリへの恐怖、真夜中に聴こえてくるカラオケの音、仲良くなった子供たちの笑顔、満腹なのに出てくる大量のミリエンダなど、今ではとても懐かしく、フィリピンに戻りたい気持ちでいっぱいです。
フィリピンに行く前、私はどうしたらより充実した18日間にすることができるか考えていました。「せっかく行くなら色々なことを吸収していきたい。」そんなことを想いながら私は、積極的にボランティア活動に参加し、積極的に現地の人と関わり、積極的に見たもの聞いたものに関して考えていく、といったように積極性を大切にしていくことを決めました。今振り返ってみると、タガログ語を覚えて現地の人と仲良くなったり、多くの子供たちと関わったりなど納得できる部分もありましたが、うまくいかなかった部分もあり、その1つの要因として語学力不足が挙げられように思います。もっと英語を上手く話せていたら、子供たちへの授業も分かりやすく楽しくできたのではないか、家族との関わりをより密にすることができたのではないかと思い、自分の気持ちを表現したりコミュニケーションをとるための最小限の言葉は、フィリピンに行く前に身につけておくべきだったなと反省しています。
ボランティア活動に関していうと、少し複雑な気持ちが残ります。私たちがボランティア活動をすることで、現地の方の仕事を奪ってしまうことにも繋がると聞いたとき、この活動の意味は何であるのか疑問に思い、心苦しくもありました。日本で老人ホームや障害者センターでボランティア活動をするとき、施設の方にとって本当に意味のあることなのか、分からなくなることもあります。ボランティア活動をするにあたって、私たちは困っている人が本当に必要としていることは何なのか、しっかりと考える必要があるのだと改めて学ぶことができました。
フィリピンは発展途上国で貧しいところはあるけれど、とても素敵な国だと思います。貧しいからこそ支え合って生きていこうという気持ち、大変さに負けず楽しく生きていこうという気持ちがよりいっそう強いのかもしれません。イベント事を大切にするのもフィリピンの良いところで、バレンタインデーにはたくさんの赤いバラの花や可愛いメッセージカードのやりとりがあったり、夜になると部屋を飾り付けして近所の人と一緒にパーティーをしたりしていて、心がとても温かくなりました。日本にもこのくらい人生を楽しもうとする人が増えればいいのにと思い、少し羨ましくもありました。
最後に、私を受け入れてくれた家族に心から感謝したいです。私のホストマザーは毎朝髪をアレンジしてくれたり、「エクスペリエンス」と言いながら、本当に色々な体験をさせてくれました。すごくすごく優しくて、面白くて、自慢の家族です。いつか必ず、家族に会いにフィリピンに行きたいと思います。
S.N.さん 南山大学3年
「ゲイとゴキブリと野良犬と」
フィリピンは総じて楽しかった。けど、ボランティア2日目まではマジで帰りたいと思っていた。寝てたら頭の上でゴキブリが動いてるし、虫たくさんいるし、飯はまずいし、犬は臭いし、近くに日本人はいないし、ゲイにモテるし、本当にfeel so bad でした。
けど3日目あたりからすべてに慣れてきましたね。あれ?飯上手くね??とか、あれ??野良犬かわいくね??とか、あれ??ゲイも悪くないな??って感じで。そのあとは人生で一番濃い時間を過ごせました。
フィリピン人は日本人が好きなのか、韓国人に見える人が好きなのかよくわからん。けど、みんな「ショーン、ショーン!!」って呼んでくれて笑顔でこっちに来てくれる瞬間は「これが海外ボランティアってやつかあああ」って感じで、スターになったような気分で最高でした。その子供たちもまあかわいい。大人の人たちにはあのかわいさがない。いつどこで、あのかわいさを失っていくのだろうと疑問に思った。
より個人的なことを述べると、近所のゆうこは最高でした。あいつのおかげで本当に楽しく過ごせた。近所は偉大なり。あと3班もよかった。他の班だと結構バラバラになっている班もあったけど、3班はみんなで仲良く過ごせたと思う。
ホストファミリーもホントに良い家でした。最終日1日前に打ち明かされた話が感動的でした。どういう話かというと、うちのホストファミリーは学校の人とコネがあって、どの日本人が自分の家に来るか選べたそうです。そこで、みんなの写真を見て、この仲野駿を選んでくれたそうです。理由はフィーリングだそうです。雰囲気だとかそういうのが良かったらしい。で、最後に、駿を選んだことは間違ってなかったと言ってくれました。そんな風に言われたら、誰でも泣いてしまうよ、、、って思ってたら、ゲイたちが騒ぎ出し、いい雰囲気が台無しに。ゲイってすごいなと思いました。
きっと一生忘れない思い出になりました。みんなには感謝です。フィリピンっていう国が素晴らしいことはもちろん、このメンバーで行けたのがすごくよかったかなって思ってます。フィリピンで一回も嫌な思いもせず、楽しくやれたのはみんなのおかげです。
あざっした!
Y.T.さん 椙山女学園大学1年
「本当の幸せ」
まず初めに、私がRASAのフィリピンボランティアに参加しようと思った理由は、異国の生活・文化を体験したかったから。もともと異文化に興味があったため、今の学部を選んだ。参加のきっかけを作ってくれたのは、ボランティア活動に実際に参加した先輩方だった。学校の説明会で話を聞き、伝統のある活動だったため信頼できると思い活動に参加した。フィリピンでの生活は毎日が初めて見るもの・経験することであふれていた。1日目、活動場所の小学校に着くとたくさんの人が集まってくれて、子どもたちの歌とダンスで私たちをあたたかく迎えてくれた。その後ホストファミリーと顔合わせをしてホームステイ先に。ホストファミリーと何を話したらいいかわからなかったし、ホームステイ先には日本人がいないため、孤独と不安でいっぱいだった。何より、トイレとお風呂がつらかった。建設作業も思うように進まず、何しにフィリピンまで来たんだろうと思い、日本に帰りたくてしょうがなかった。しかし、3日目が過ぎた頃くらいから気持ちにかなりの変化があった。ホストファミリーとの会話も楽しくなってきた。日本では聞けない話を聞くことができたり、逆に日本についてもたくさん話した。ただ、フィリピンに行く前にもっと現地について調べておけばもっといろいろなことに気づけたのではないかと思う。また、日を重ねるごとに日本人ボランティア同士の距離も縮まってきた。私は、フィリピンへ一緒に行った日本人ボランティアの中で知り合いはいなかった。それでも、毎日顔を合わせるうちに自分でも信じられないくらいに仲良くなっていった。1人で参加するため、締切りぎりぎりまで迷っていたが、参加して本当に良かったと思う。現地の人たちは本当に話すことが好きだし、人とのつながりがとても厚い。子どもたちは元気で人懐っこく、遊ぶことが大好き。フィリピンで生活して思ったことは笑顔であふれているということ。特に私が驚いたのは、時間を守らなくても機嫌が悪くなる人や怒る人がいないということ。日本ではありえないことであるが、これがフィリピンでの価値観。日本がおかしいのかと思うくらいだが、どちらが正しいということはないんだなと思った。私たちが過ごした地域は毎日蛇口をひねれば水が出るわけではなく、必要最低限の生活を送っている気もしたが、娯楽には力を入れている印象。日本人は将来を見据えて毎日を過ごしているように見えるが、フィリピンでの人たちはその日その日を楽しんで過ごしているように見えた。これが、心の豊かさにつながっているのだろう。幸せを感じるとき、何を大切にするかは1人1人違うということを学ぶことができた。フィリピンボランティアに参加したことで異文化を学べたと同時に、日本の良さにも気づくことができた。この活動に参加して思ったことは、自分から行動することが大切であるということ。私はなるべく多くのことを吸収しようと積極的に現地の人と話した。日本と違って他国では自分の意見ははっきり言わないと通じないため、こうしたいとホストファミリーに思ったことをきちんと話した。この18日間でかなり成長できた。たくさんの出会いと貴重な経験に感謝でいっぱい。
A.D.さん 椙山女学園大学2年
「RASAの活動に参加して」
フィリピンに着いてからは、驚きと戸惑い、不安と覚悟の連続だった。空港を出て、意外と過ごしやすい気候に驚き、バスに乗る前に車酔いの覚悟、ジョリビーに行ってハンバーガーやポテトと一緒にパスタがあるのに驚いて、ドリンクの氷が溶けてお腹を壊すことを覚悟した。空が暗くなり、ホストファミリーの人たちと会う前のパーティーを見ながらの不安になり、なるようになれと覚悟を決めた。ホストの家に行く途中は野良犬の多さに驚き、日本語の通じる仲間との別れに不安を抱き、家に着くと初めて会う人なのに言葉が通じず、日本とは違う形の家、話しかけてくれる言葉がタガログ語な子供たち、文化が違い、体験したことのない水回り、慣れない環境にいることへの不安と戸惑いを感じてはいたが、それを上回る謎の覚悟と自信、長距離移動の疲れのおかげで1日目は乗り切れた。しかし、2日目と3日目は残りの日数の長さに絶望した。決して、嫌なことしんどいこと辛いことばかりではなかったのだが、漠然とした不安が付いて回って、楽じゃなかったことは覚えている。初めてのことだらけで困ったこともたくさんあったし、訳のわからないことも、理解に苦しむことも沢山あった。でも、最初の1日目も2日目も込みで全て楽しかったと今になったら自信を持って言える。人間、逞しいもので氷が溶けたくらいじゃお腹も壊さないし、気合いがあればタガログ語だろうと英語だろうと日本語だろうとなんとかなる、ハンバーガーと一緒にパスタがあっても普通になるし、トイレが流れなくても流す術を身につける、風呂がなくても水があれば問題なしだ。車に酔っても、病気になっても、虫に噛まれてもどうにもならないが、思い出になる。この18日間をRASAに参加してフィリピンで過ごすことができて本当によかった。
フィリピンという国は、本当に素敵な国で、穏やかで優しく愉快な人の住むところだった。日本では見ることのできない現実とともに人の暖かさを感じることができた。今の日本では、あまり短かに感じるものではないだろう。彼らは、人を頼ること、頼られること、信用すること等、日本で暮らしていたら当たり前にできないことを、あまりにも当たり前にする。同じ地区にすむ人はみんな友達、誕生日パーティーは盛大に、夜しか閉まらない家のドア、いつでも笑顔で迎え入れてくれる近所の家庭、知らない人なのに挨拶してくれたりと、すごく穏やかで優しいところだった。疲れていたり、元気がなかったら、楽しみなさいと何人の人に言われたか分からない。みんなが笑顔で全てを楽しむ愉快な場所でもあった。
海に行ったり、子ども達と遊んだり、授業をしたり、お祭りに行ったり、パーティーに行ったり、公園に行ったり、友達とホテルで過ごした2日間もそうだ。フィリピンには最高の思い出が沢山ある。もし、また機会があるなら、私はフィリピンを覗きに行きたいと思う。
K.Y.さん 南山大学2年
「一生の宝物」
私は学校で配られていたチラシを受け取り、フィリピンでのこの活動に興味を抱きました。今まで海外ボランティアに参加してみたい気持ちはありましたが、実際に行くとなると異国の地で暮らす恐怖心や不安があり、一歩踏み出す勇気がありませんでした。また、初めての海外だったこともあり、何度も行くのをやめておこうと思いました。しかし、心のどこかでフィリピンのことがひっかかっていました。今行かなかったら後悔するだろうと思い、思い切って参加することにしました。フィリピンでのボランティア活動を終えた今、心の底から参加してよかったと思っており、今すぐにでもフィリピンに戻りたいです。
フィリピンのニノイ・アキノ国際空港に到着した際、「あぁもう引き返せないんだな」と思ったのが正直な気持ちでした。ホストファミリーが怖かったらどうしよう、現地の食べ物が合わなかったらどうしよう、治安が悪かったらどうしようなどという不安な気持ちが拭えないままバスに乗り込み、パンディレジデンス小学校に到着しました。到着すると、学校の子供達や先生、ホストファミリー達が笑顔と拍手で迎えてくれ、とても温かく、嬉しくて涙が出そうになったのを覚えています。ホストファミリーと対面した時も、笑顔で迎えてくれ、とても優しく、一気に不安が解けました。フィリピンでの生活は、トイレもお風呂も桶に溜めてある水で流したりなど、生活が豊かとは言えず貧しいと思う所もありましたが、私が今言いたいことは、貧しさなんて関係なかったということです。フィリピンにいた時、暮らしにくくて日本に帰りたいと思ったことは一度もありませんでした。それは、 確実にフィリピンの人達の人柄のおかげでした。ホストファミリー、近所の人まで皆が温かかったです。私が蕁麻疹になった時も皆が心配してくれ、パソコンで調べてくれたり、大丈夫だよと声を掛けてくれたりしました。私が学校に行けず家にいると、学校が午後からある子供達が来てくれて話し相手になってくれ、たくさん笑わせてくれました。現地の人の温かさに本当に感謝しています。また、フィリピンではご飯の量も多く、ミリエンダも1日2回あり、四六時中食べているような状態でしたが、ホストマザーの作る料理はどれも美味しくて幸せでした。フィリピンでの生活を通じて、日本と異なると思ったことは、近所同士の繋がりやネットワークが広いということです。むしろ家にいることの方が少ないと思ったぐらいで、交流を大切にしていました。子供達もずっと外で遊んでおり、私が学校から帰ったら数人の子供達が家の前で迎えてくれ、毎日一緒に遊びました。フィリピンの遊びを教えてくれたり、日本の遊びにもとても興味を持ってくれました。皆本当に人懐っこく、”アテ”と呼んでくれて、元気一杯で優しく、子供達と遊ぶと心が洗われました。学校に行く時は、隣の家のお父さんのバイクの後ろに乗せてもらったりもしました。休日は、近所の人が集まって道端でカラオケをやっていたり、何かのお祝いで近所の人が集まって道端でパーティーをしたりしていました。このようなことは、近所同士の繋がりが濃くなくては成し得ないことであり、情報化社会でコミュニケーションが不足しがちな日本に大切なことだと思いました。フィリピンで、日本では経験できない、様々な良い体験をさせてもらいました。ボランティアが目的でしたが、私の方がフィリピンで多くのことを学びました。確かにフィリピンは、生活が豊かとは言えませんが、心が豊かであったことは自信を持って言えます。人間に大切なのは、心の豊かさや、人と人との繋がりであると感じました。そして、フィリピンの人達と接して、私も心が広くて温かい人になりたいと強く思いました。18日間のこの経験は、全てが宝物で、一生忘れません。
Y.N.さん椙山女学園大学3年
「RASAボランティア活動報告」
そして、フィリピンに到着してまず思ったのは、暑いということと少し異臭がするなということでした。私は、今回のプログラムを就活だけの為に参加したので、初めからやる気がなく、より帰りたくなっていました。
学校に到着すると、私の気持ちとは裏腹に多くのフィリピン人が笑顔で出迎えてくれました。結構時間がかかったと思うけれど、地域の人や子供まで誰一人文句を言わず、笑顔で歓迎してくれました。素直に嬉しくて、ちょっとだけ頑張ろうかなという気持ちが湧き上がってきました。
これからお世話になるホストファミリーの家に入ると、娘2人と近所の子と愛人らしき人が待っていました。トイレは手動でエアコンもなく、部屋はあるものの、薄い木の壁でほぼ筒抜けだし、スーツケースを開けばドアは締まりません。おまけに虫が大量にいて、先行きが不安になりました。私は初日、水道が出なかったので、水桶の水を使いました。酸っぱい味がしました。
虫やバイクの音でなかなか寝付けないまま、翌日、学校へ行く3時間前くらいに起きました。というのも目の前の家が鶏を飼っていて、その声で起きてしまいました。
学校では日本人は大人気で、多くの子どもたちからサインを求められたり手を振られたりしました。有名人になった気分でした。学校が終わって家に帰る間だけでも皆が手を振ってくれました。言葉を話せなくても通じ会えるとはこのことなのだと思いました。
家に帰ると、ホストマザーは常にホストファミリーと一緒に何処かへ連れて行こうとして楽しませてくれました。外食や遊園地も楽しかったけれど、新鮮で面白かったのは、レズビアンたちが集まるパーティーに参加したことです。同い年くらいの子がたくさんいたけれど、レズビアンでもゲイでも関係なく仲良くしているところが印象的でした。日本は先進国だけれど、性同一性障害に対する考え方が乏しい国なのだなと思い知らされました。
後半になると虫に免疫が付き、トイレに現れても冷静でいられる能力を手に入れました。ただ、布団に見えない虫がいるようで、体中が痒く、赤くなっていました。また、学校終わってから近所の子どもたちと遊ぶことが日課となりました。毎日の疲労が半端ではないけど楽しかったです。
フィリピンと聞いて日本よりはるかに生活水準の低くて不便と思っていたけれど、今回のボランティアを通して、本当に幸せなのはどっちなのだろうと考えさせられました。不便ながらも、家族や近所との繋がりが強く、笑顔の絶えないフィリピン生活を経験して、一概には言えないけれど、もう少し居てもいいなと思う自分がいました。
M.U.さん 南山大学3年
My host family is like a real family in Philippines.
私がフィリピンで過ごした18日間は、とても刺激的な毎日でした。そしてたった18日間で様々な感情になった経験を初めてしました。今まで海外に来たら楽しい感情にしかならないのに、トイレやお風呂の汚さ、食事、ゴキブリの頻出度、この生活を受け入れるのには時間がかかると思ったし、この生活で2週間もつのか心配になりました。しかし、毎日学校で子供たちの笑顔を見たり、建設や日本語の授業をやったりしていくうちに自分がやっていることにやりがいを感じ、フィリピンでの毎日が楽しくて仕方なくなっていきました。たくさんの人に支えられて2週間無事に過ごすことができましたが、私が一番感謝しているのは、ホストファミリーです。ホストファミリーは私にいろいろな経験をさせてくれ、多くのことを教えてくれました。私の英語は片言すぎる英語だったし、意味が少ししか分からなくても、お互い話し続けて、お兄ちゃんやお姉ちゃんとは夜の2時まで話したこともありました。毎日ホストファミリーとたくさん話をしてきましたが、思い出すと涙が出そうになる忘れられない1日があります。それは、ホストファミリーと過ごす最後の週末に何をするか話していたときです。ホストが「美穂はキリンが好きだから、マニラの動物園にキリンを見に行く?」と提案をしてくれて、正直とても嬉しかったけど、私はお金のことが気になりました。「行くなら誰と行くの?」と聞いたら、「ママと美穂と近所に住んでいる仲良しの家族だよ。」と答えました。私はホストファミリー全員で過ごすことが大好きだったので、最後の週末は遠くに行ったり、特別なことをしたりしなくていいから家族のみんなと過ごしたいことを伝えました。これを伝えているときになぜか泣けてきてしまって、ホストママも私の気持ちを聞いて「家族みんなと過ごしたいと言ってくれてとても嬉しい。実は私の家族は他のホストファミリーよりも貧しくて、それを美穂が気にしてるんじゃないか、何か思われたり、嫌な思いしてるんじゃないかって思ってて、一生懸命ご飯作ったり、フルーツを買ったりしてたのよ」って涙目で言ってくれました。このときに遊園地に行ったときの裏話も話してくれました。ホストが遊具の安全性を心配してて本当は沢山乗らせてあげたいけど、美穂に何かあったら責任がとれないからって1回目は何も乗らずに帰りました。正直、遊園地に行っただけでもすごく楽しかったけど、この話を聞いた仕事の関係で週末しか帰ってこれないホストブラザーのルイが「僕がバイクで連れていくし、乗り物も全部僕が一緒に乗るよ」とママを説得して連れってくれていたそうです。この2つの話を聞いて、いろいろな感情になってたくさん泣いてしまったけど、ホストがどれだけ私のことを大切に思ってくれているか分かり嬉しかったし、私はホストと過ごす時間が大好きで、ホストといるときが一番笑顔になれて楽しいと改めて思うことができました。最後の日に、ホストファミリーは「美穂は初日全然笑わなかったけど、今はたくさん笑いうようになったね」言いました。ホストのことが大好きになれてよかったし、こんな私を受け入れてくれたホストファミリーに感謝の気持ちでいっぱいです。フィリピンでの生活を通して、物やお金がなくてもこんなに楽しく笑って過ごすことができるし、結局は人との関わりが幸せに繋がっていくんだと気づくことができました。フィリピンでの素敵な出会いと経験は私の一生の宝物です!!
R.H.さん 南山大学2年
「2回目のフィリピン」
僕は去年と今年でフィリピンに一ヶ月以上滞在したことになりました。去年で、もう日常生活や文化などもなんとなく分かっていたので、今回はもっとローカルな部分に触れてみたいという気持ちで行きました。実際、初日から心は割りと余裕だったし、去年より広い視野で見ることができたかなと思います。去年はうまくいかなかったコミュニケーションも、今年は比較的できたということも良かったです。あと、日本語の授業の時、授業の内容がかぶらないようにシフトを組んだり、建設作業の時、なるべくいろんな人と関われるように班の組み合わせを変えたりと、去年こうした方がいいと感じたことを実行できたことが今年の良かった点の1つです。ただ最も後悔しているのは建設作業そのものです。これは僕自身も初めての体験で、いまいち何をすれば良いのか分かっていなかったということもありますが、スタッフだけでなくもっと自分も中心に入っていけばよかったと思っています。スタッフが疲れているなら、そこに変わって僕が入って作業を続けるとか、、何のためにトライアスロンをやっているのか!!今そう思っています。そうしていれば今回のボランティアがもっとボランティアらしくなっていたのではないかと後悔しています。
このような気持ちもありますが、間違いなく言えるのは楽しかったし、行ってよかったなということです。人狼も強くなることができました。ホストファミリーといろいろな話をしたり、近所の子供たちと遊んだり、日本人メンバーとたくさん話したり、ゲームをしたりと、本当に楽しかったです。なにより、あの苦のミリエンダを楽しいものに変えるミリエンダゲームはすこし感心しました(笑)本当にみんなのおかげで充実した18日間を過ごすことができました。ほんとうにありがとう!!!
M.M.さん 南山大学2年
「フィリピンでの18日間」
フィリピンでの18日間は、私にとってかけがえのない大切な思い出となった。ボランティア活動にはもともと興味はあったがやったことはなかった。授業前のプレゼンを聞いてよりボランティアに対する興味は増したが、海外ボランティアでは英語が必要になる。英語がとても苦手で、人見知りということもあり参加はギリギリまで迷った。しかし、今の自分を少しでも変えたいと思い参加を決めた。
フィリピンについての知識は全くといっていいほど無く、行く前に少しでも知りたいと思い調べたが、調べていくにつれ日本での生活との違いに不安の方が大きくなっていった。行く前はフィリピンに対して正直良いイメージはあまりなかったが、実際に行ってみるとフィリピンに対する悪いイメージは払拭された。朝から部屋の中を掃除しきれいな状態にしていたし、英語が苦手であまり話せないと言うと簡単な英語で話してくれた。野菜や果物を食べたいとわがままを言ってもいやな顔ひとつせずその日のうちに買ってきてくれた。大人の子どもも日本について興味がすごくあり、写真を見せるとすごく喜んでくれた。近所を散歩していると「こんにちは」と日本語で気さくに声をかけてくれたことがすごくうれしかった。小学校でも名札を見て名前を呼んでくれたり、覚えた日本語を使って話しかけてくれたり、帰ってからも近所の子どもが集まって一緒に遊んでくれたりと、日本ではなかなかできない体験をたくさんすることができた。ホームステイ中に赤ちゃんが生まれ、初めて生まれたばかりの赤ちゃんを抱っこすることができた。出産して2日後にはもう赤ちゃんとお母さんは家に帰ってきて、お母さんがご飯を作り洗濯をしていた。日本では見ない光景だしこんな大変な中私を受け入れてくれたことに対しての感謝の気持ちでいっぱいだった。
今回のフィリピン滞在中一番心に残ったことは人の温かさだ。たくさんの人が気さくに話しかけてくれたし、体調が悪いというと家族だけでなく近所の人もすごく心配してくれた。日本では希薄化している近隣住民とのコミュニケーションだが、フィリピンではたくさんコミュニケーションが取られていて、家族だけで子どもを育てるのではなく、近所の人も一緒に育てている感じがして、日本では見られない光景に心が温まった。
RASAに参加して、モノがたくさんあることや、お金があることだけが幸せではないということ改めて感じることができた。大人も子どもも笑顔で溢れていてとても幸せそうに見えた。今回フィリピンに行って私自身もたくさんの充実感と幸せを感じた。調べただけではわからないことを実際に行き、自分の目で見ることの大切さを実感し、これからもこのような体験をたくさんしていきたい。
Y.H.さん 南山大学2年
『フィリピンは「あたたかい」国』
日本は2月といえば一番寒い季節だが、フィリピンは暖かい。というよりは、むしろ暑い。フィリピンにいた21日間は冬の寒さを忘れるほどだった。しかも、日本の夏とはちがい湿気がない。カラッとしていて、風が吹くととても気持ちがいい。建設を手伝った小学校の外に出てぼうっとしていると、ゆっくりと時間が流れていく感じがして、あまりの心地よさに帰りたくないと思うほどだった。
帰りたくないと思った理由はフィリピンの気候のほかにもある。それはフィリピンの人の良さだ。ホストファミリーにはたくさん親切にしてもらった。また、隣2、3軒の家が親せきで、一族でお世話をしてもらった。さらに、うちの家族は6人だったが、そこに友達が2人居候していたし、ホストファミリーの兄弟のガールフレンドやボーイフレンドもしょっちゅううちに来ては話をした。誰がどういう関係かわからないほど、家に家族以外の人がホイホイと出たり入ったりしているのに、私はとてもびっくりした。ファミリーと過ごす最後の1日休みの日なんて、私と、長女と、そのボーイフレンドと、次男のガールフレンドでプールに行った。その日は本当に楽しかったのだが、日本人だったら、こういうときに家族の彼氏を一緒に行かせることなんてないのではないだろうか。こんなふうにみんなの関係がオープンで、その家族に関わる他人も家族と同じように接している。それがとても新鮮だったし、同時にフィリピンの人の寛容さ感じた。
ファミリーには本当によくしてもらった。中身と見た目のギャップがすごくて、みんな美男美女なのに、家でめちゃくちゃに踊っていて、めちゃくちゃジョークを言う面白い家族だった。全く環境が違う中で、あまり不自由なく生活できたのは、本当に家族とその周りの人たちのおかげだ。このボランティア活動を通して、掛け替えのない体験と出会いができたと思う。
また、やっぱり一人で家にいるのは心細いときもあったので、毎日RASAのメンバーに会えるのはとても安心した。家の近い子がいてとっても助かった。ありがとう!
フィリピンはとってもあたたかい国です!
S.Y.さん 椙山女学園大学 1年
「フィリピンの人たち」
フィリピンの人たちは、とても明るい性格をしていると思った。日本に比べるとお風呂が無かったり、便座が無かったり、あるいは病院が少なかったりと暮らしの水準が低い。しかし、貧しさを感じさせないくらいに、毎日笑っていて楽しそうだと感じた。そしてお洒落に対して関心があるように思った。ネイルをしていたり、洋服もショートパンツがお洒落の基本だったり、髪は女性は長くし男性は短く、ゲイの方は刈り上げて短くするといったフィリピンの中でのファッションポイントが沢山あった。
また、子供が多いのも驚いた。日本の少子化がとても理解できた。フィリピンの文化で子供は多ければ多いほど幸せだと感じるという風習があるのが理由だと分かった。子供たちは学校が少ないからか、時間が沢山あるため暇を持て余していた。何かをするにしても、何も道具がないのだろうと思った。子供たちのフレンドリーさが日本では感じられないことだったので嬉しかった。様々な性格をしている子供がいて、仲良くなるとすぐに人懐っこくなるのが、可愛らしいと思った。宗教に対しての誇りがあると思った。食事前に十字架しながら、言葉を述べる儀式をしたり、毎週土曜に教会に行ったりと日本では体験できない事をした。交通もルールが無いのか、サンケツでも何けつでも大丈夫だったり、前の車やバイクを追い抜かしても良かったりした。そして、フィリピンの家は家族を大切にしていると感じた。
家事も全員が分担して行ったり、子供の面倒をみたり、またわ自分たちの親族同士で集まって面倒みたりと日本では他人行儀にしがちなこともフィリピンの人たちは皆んなで行うんだと関心した。
自分がホストファミリーと接して感じたこと
基本的にフレンドリーで慣れてくると、ずっとくっついてくる。しかし外に出かけると他の人たちには人見知りを発揮するのか、大人しくなる。
色白が好きみたいで、ホワイトスキンと沢山言われた。髪の毛も派手な色が好まれていたように思った。私のホストは体調が悪くなるとサロンパスを顳?に貼っていた。色々誤信がありそうに思った。
私は、全く英語が話せなくてイエス、ノー、ヤーだけで会話していたけど、生活出来たのはホストが色々私にしてくれたからだと思う。
ゴキブリが沢山いるのにも関わらず、あまり慣れていないようだった。皆んなでやっつけたりするのも、今となっては楽しかった。
最後にホストとの時間は短かったけれど、家族として仲間に入れてくれて、面倒みてもらって、泣いてくれて、こんなに温かい人たちと触れ合える初めての時間だった。あまり、建設作業が出来なかったのが少し心残りだけど、少しづつでもフィリピンの人たちを救えるように助け合えるような関係性で居たいなと思った。
M.Nさん 南山大学3年
「海外ボランティアに参加してみて」
今回海外ボランティアに参加した理由は、自分の視野を広げたいまたもっと自分を成長させたいと考え参加しました。
実際に現地に行ってみると、今まで知らなかったことをたくさん目の当たりにしました。現地での生活は、私が日本で想像していたよりも遥かに過酷な毎日でした。しかし、現地の子どもたちは毎日キラキラ輝く笑顔で苦しんでいる表情を出すことなく毎日を楽しんでいて人それぞれの幸せの感じ方があるのだと実感しました。また、私たち日本人はどれだけ恵まれた国で恵まれた環境で生活しているということがわかりました。日々何気なく過ごしている日常にもっと感謝の気持ちを一人一人が持たなければいけないのだと痛感しました。
今後も日本のボランティアに参加したり、今回学んだフィリピンでの生活の情報を発信したりと自分ができることを続けていきたいと考えます。
M.Y.さん 南山大学2年
「フィリピンで学んだこと」
私は何か今まで自分がやってこなかったことをしてみたいそしてこの体験が自分のやりたいことを見つけるきっかけになると思いこのボランティアに行くことを決めました。
現地に行く前は日本語が全く通じない環境で一人でホームステイすることが自分に出来るのだろうかという不安がとても多くありました。
しかしフィリピンの人達はとても穏やかであたたかく接してくれて、言葉が通じないということに不安はすぐになくなりました。日本のこと、私のことを知りたいとたくさん積極的に話しかけてくれて、私の伝えたいことを一生懸命理解しようとしてくれました。
それ以上に生活環境への不安が大きくなりました。先輩たちから現地のことを聞いていたけれど、実際に見て、体験してみるとトイレやお風呂、衣服、遊具など日本がいかに恵まれてるか思い知りました。しかしフィリピンは日本と比べて決して豊かとは言えないけれど、フィリピンの人達は毎日楽しそうで笑顔がたえなくて、幸せに生きているということをとても感じました。言葉ではうまく伝えられないけれど”幸せ”の意味をやっと理解出来たと思いました。
現地で一番印象に残ったのはなによりも子どもたちの笑顔。その笑顔は本当に純粋で輝いていて笑顔に価値の差なんてないなと思いました。
このボランティア留学を通して、自分の環境や周りの人への感謝の気持ちが大きくなり、また困っている人がいたとき、自分が助けになりたいと強く思うようになりました。そして異文化を体験して日本では感じることの出来ない価値観を知り、自分の将来の視野を広げていくきっかけとなりました。
最後にこのボランティア留学を通して上に書いたような学びを得たけれどそれ以上に私は大切なことを感じました。私はフィリピンでこれまでにないくらい体調をくずしてしまいました。でもそんな時、一緒に参加したみんなが心配してくれたり助けてくれたり、優しく接してくれたことがとっても嬉しかった。一人だったら誰にも伝えられず無理してたかもしれないしもっと体調が悪くなってたかもしれない。本当に助かりました。一緒に行ったのがみんなで本当によかったです。特にホームステイで近所のメンバーがいたから倍楽しかったです!!ありがとう。
この18日間、自分にとってかけがえのない経験ができました。辛かったことも楽しかったことも全て含めて意味のある一生忘れない体験になりました。
S.A.さん 南山大学3年
「RASA」
私がRASAに参加しようと思ったきっかけは、ボランティアに参加することで就活に有利になるという単純な理由でした。しかし実際に参加して、様々な体験をしたことで忘れることのできない貴重な経験になりました。
フィリピンに到着した初日に食べたご飯が口に合わなさすぎたことと、自分の英語能力の低さに絶望を感じて日本に帰りたくて泣きそうになりましたが、RASAのメンバー、ホストファミリーなど周りの優しい人たちのおかげで徐々に生活に慣れました。日本とフィリピンは生活も価値観もかなり異なり、不安になることばかりでしたが人間は意外とその場所で適応して成長していくのだと感じました。ボランティア活動ではあまり作業時間がなく大きな助けになったかは分からないけど、少しでも現地の子供たちのためになっていたら嬉しいです。また子供たちに日本語や日本の遊びを教えるのも初めはどうなるか緊張したけど子供たちが楽しそうにしてくれてとても嬉しかったです。
私は特にボランティア活動から帰ったあとの子供たちと遊ぶ時間が本当に癒しでした。フィリピンの子供たちは信じられないくらい人懐っこくて可愛くて、毎日一緒に遊ぶのが楽しかったです。また私たちを楽しませようとテーマパークやショッピングセンター、市場など様々な場所に連れて行ってくれたり、私の要求を嫌な顔せず受け入れてくれたホストファミリーに本当に感謝しています。フィリピンはとても賑やかで騒がしいと思ったこともあったけど、いざ日本に帰ってくるとフィリピンの騒がしさが恋しくなりました。フィリピンでの刺激的な日々が何やかんやとても充実していたんだと思います。
フィリピンに行きフィリピン人の優しさにたくさん助けられました。また一緒に行ったRASAのメンバーのみんながいたからこそ楽しめた18日間だったと改めて実感しました。ほとんど毎日一緒に過ごし、トランプや人狼、みんなでミリエンダを食べたことなどたくさんの思い出ができました。たくさんの経験とたくさんの友達ができて、RASAに参加して良かったと思います。
S.S.さん 南山大学2年
『2018年ラサのボランティアを経て』
ラサのボランティアを通しホームステイをするなど現地の人と関わることによって、異文化に触れることができた。それと同時に、生活様式の違いはもちろん日本人とフィリピン人(パンディで関わってきたフィリピン人)では異なる点がいくつかあることに気づいた。その中でもフィリピン人の良さであり日本人が見習うべき、取り入れるべき点について述べていこうと思う。
・フィリピン人はのびのびとした時間を過ごし、心にゆとりがある
日本人は特に時間に終われて生活しているのに比べ、フィリピン人はのびのびと生活しておりマイペースな人が多い。時間や生活にゆとりがあるように感じた。日本はスケジュールが詰まっており、せかせかとした時を過ごしている。“フィリピーノ・タイム”と呼ばれるように時間にルーズな所もあるが、それを待つことができ、許せるのも心にゆとりがあるからだと考える。もともとの人柄もあるのかも知れないが、心にゆとりを持つことはフィリピン人の良さだと感じた。
・フィリピン人は、すぐに仲良くなることができ、血のつながりがない人に対してでも家族のように接する
日本人は一人の時間を大切にするがフィリピン人は皆でいる時間を大切にし、就寝以外は他者との時間を優先させるのだと感じた。また、話し合いでも出たようにフィリピン人は近所同士の関係が強く、しっかりとしたコミュニティが形成されている。日本人は近所付き合いが苦手であったり、近隣をあまり知らない人さえいる。しかし、フィリピン人は近所の人と家族のような親密な関係を築いている。そのため、近所での助け合いがしっかりとできている。(自分より貧しい人のために食事をつくったり、子供が遊んでいるときは手が空いている人が見たりなど)日本ではシングルマザーを助ける・虐待を減らすためにもこのようなコミュニティが形成することが望ましく、見習うべき点だと考える。
・フィリピンの子供たちは活発で、子供らしく外で元気よく遊ぶ。
日本では、若者や子供たちはゲームやSNSが生活の中心になっている。小学生でもスマホを持つ今、TwitterやInstagramなどSNSが活発に動いている。そのため、外で子供たちが遊ぶ姿を見ていない。一方、フィリピン人はFacebookなどをやっているもののそれが生活の中心となっているわけではないと感じた。疲れるまで外で遊び、対面コミュニケーションを大切にしているように感じる。
ラサのボランティアに参加することに多くの事を学び、大切な思い出・経験を得ることができた。
R.S.さん 南山大学3年
「フィリピンで感じたこと」
今回のフィリピンでのボランティア活動を通して、感じたことがたくさんあります。全部は書ききれないので、とくに印象に残っていることをあげていきます。
まず、フィリピン人はとにかくフレンドリーでした。みんな笑顔で話しかけてくれて、すぐに打ち解けることができました。また、近所同士の仲がとても良いです。学校から帰ると、毎日みんなで何かしらして遊びました。疲れることもあったけど、楽しくて充実した日々でした。子供たちは本当にかわいかったです。僕のホストファミリーのローズは、ずっと僕にくっついてきて離れませんでした。でも暴力的なところがあるので、将来が少し心配です。その兄のジェームスはしっかりしているので、良いお父さんになると思います。僕のホストファミリーは温かい家族でした。それから、近所のお母さんたちは、無茶ぶりがすごかったです。フィリピンで有名なダンスを何回も踊らされたり、ショッピングモールの真ん中でカラオケを歌わされたりなどされました。そんなうるさいお母さんたちや、子供たちとの別れは本当に寂しかったです。
フィリピンの人たちの暮らしは、日本と違って決して裕福な暮らしではありません。シャワーもなく、洗濯は3日に1回の家がほとんどです。それでもフィリピンの人たちは、日本人よりも幸せそうに暮らしているように見受けられました。フィリピンでは、人とのつながりを大事にしていると感じました。物の豊かさだけが、幸せな暮らしにつながるのではないということに気づかされました。僕も人とのつながりを大事にしていこうと思います。
T.S.さん 南山大学
「フィリピンに行って」
私は2018年2月4日から21日にかけてRASA-Japanの学校建設ボランティアに参加しました。私は海外に行ったことがなかったので、「せっかく大学生になったし、海外にいってみたいな」という簡単な気持ちで応募しました。しかし、実際に行って、現地の人に触れて、一緒に暮らしてたくさんのことを知れたと思います。そして、ホームステイ先の家族をはじめとして、フィリピンが大好きになりました。
初日、現地に向かってる最中、最初はずっとわくわくしていました。しかし街に近づくにつれてだんだん不安になっていったことを覚えています。私は英語が話せないので、うまく仲良くなれるかなとか、そもそも歓迎されているのかなとかいろいろ考えていました。
しかし、到着した瞬間にそんな考えは無駄だったことがわかりました。現地の人が歓声をあげて迎えてくれたからです。ホストファミリーも温かく迎えてくれました。
心配性のお母さんはずっと私のことを気にかけてくれて、お父さんはとにかく優しくていろいろ連れてってくれたし、夜遅くでかけたらお母さんに一緒に締め出しされたのも今ではいい思い出です。14歳のJMは友達みたいにいろいろ遊びました。ペンペンは甘えん坊のシャイボーイで一緒に毎日学校行ったり遊んだりすごく可愛かったです。近所のおばあちゃんたちは見かけたら話しかけてくれて本当にあったかい人たちばかりでした。
近所の若者は一緒にカラオケしたりバスケしたり、ちょっと夜更かししたりとにかく大事な友達になりました。よそ者の私にたくさん関わってくれてこっちが人として大切なことを学びました。たった2週間くらいでしたが、みんな別れるときに泣いてくれて、私もつられてたくさん泣いてしまいました。これを書いている今も会いたくて仕方がないです。
しかし、フィリピンに行ったことで貧困の現実を感じたこともまた事実です。一番衝撃的な体験として記憶に残っているのは、首都マニラに滞在中ストレートチルドレンにお金をせがまれたことです。ボロボロの服を着た子供たちに体をつかまれせがまれたとき私はどうしたらいいかわかりませんでした。
今回私はフィリピンに行って大きく成長できたと思います。また、たくさんの現実を知ることができました。これをこれからの人生に生かしていきたいです。
Y.K.さん 南山大学3年
「“知る”より“感じる”こと」
フィリピンで具体的に何をしていたかということを細かく書くととんでもない量になってしまうので、それよりもこの活動で僕が感じたことや思ったことを中心に書きたいと思います。
インターネットでフィリピンのことを調べると治安のことや貧困のことが山のように出てきます。その影響から、友達に“ボランティアでフィリピン行ってくる”というと“なんでそんなとこ行くの?”とか“フィリピンって危険やないの?”とかマイナスイメージなことをたくさん言われました。実際に僕自身も全くの不安もないと言ったらウソになります。だからこそ自分の目で見てみたいというかそんな感情が強かったんだと思います。まあフィリピンについてから日本に帰るまでの18日間、不安は感じなかったというかそれ以上に刺激的で充実した濃い日々を過ごさせてもらいました。
単純ではありますが今回の活動で感じたのは人と人とのつながりって大切だなあということです。僕はこの18日間でたくさんの出会いと別れを経験しました。僕たちを本当の家族のようにかわいがってくれたホストファミリー、たくさん遊んでくれた子供たち、覚えたての日本語で挨拶してくれる近所のおばちゃん、たばこをねだるワーカー、トライシクルのクレイジーなドライバー、その他たくさん、、。僕はこの人たちが困っているなら何かしてあげたいと思ったし、たぶんRASAの活動だって誰かと誰かのこんなつながりから生まれているんだと思いました。
今の自分に何ができるか、また、自分はいったい何がしたいのか。そんなことを考えながら毎日過ごしている人はたくさんいると思います。僕はまず“感じる”ことが大切だと思います。パソコンやスマホを使えば“知る”ことは簡単にできます。でも、“感じる”ことは自分の足で現場へ行って現状を自分の目で見ることでしかできません。RASAでの活動はそんなことを痛感するいい機会だったと思います。
完
The End