フィリピンの恵まれない児童に学校を! 給食を! 教育こそ貧困の連鎖を断ち切る力になる

ボランティアの声2009年

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K.Kさん フィリピンだいすきっ

RASA2009学生撮影 039フィリピン過ごした18日間は、ほんとーにっ価値ある毎日だった★私は海外のボランティアに興味があり、1年前にRASAの存在を知った。英語は全然喋れないし、もともと人見知りな性格なのでフィリピンで生活していけるのか不安いっぱいだった。でも、フィリピンの人たちの暖かさに本当に救われた。フィリピンの人たちはいつも笑顔で、それが一番印象的だった。初めて小学校に行った時も、びっくりするくらいたくさんの子供たちが笑顔で迎えてくれたし、作業中も道を通る人たちが笑顔で手を振ってくれた。ホストファミリーも親戚もみんな笑顔だから、私も笑顔になれた。最初トイレとお風呂を見たときは衝撃的だったけど2日で慣れたし、大量のご飯とミリエンダにも胃が適応した!フィリピンでも意外にやっていけるんだと思ったけど、やっぱりそれはホストが常に気遣ってくれたからだと思う。本当に毎日感謝でいっぱいだった!ホストだけじゃなくて、親戚のみんながよくしてくれて、本当の家族って感じだった★特に、親戚の3姉妹の子たちとはすごく仲よくなれて、みんなで夜ごはん食べたり、折り紙したり、川に遊びに行ったり、ダンスしたり、フィリピンのゲームを教えてもらったり、とにかく楽しかった!ちょっと離れたところに住んでるのに毎日来てくれて、どこに行くのも一緒で、たくさん思い出ができたっ。本当にいい子ばっかりで、フェアウェルパーティーもお別れの日も、学校休んで来てくれるくらい!最後の日は、寂しすぎていっぱい泣いた。私は、実際ホームステイよりもボランティアがしたくてRASAに参加したけど、こんなに暖かいフィリピンのみんなに出会えたおかげで、いろんなことを学ぶことができた。すぐに会える距離じゃないけど、フィリピンで過ごした18日間は忘れられないものになったし、ぜったいまた会いに行きたいって思う!最後の日に、スモーキーマウンテンに行けて本当によかったと思う。フィリピンの格差を実際に見て、考えさせられたことがたくさんあった。同じ国でも、こんなにも格差があることに驚いた。日本じゃ考えられないような光景で、学校にも行けず、ひたすらビニール袋を洗う少年を見て、私にできることはなんだろう?と思った。今まで難しいことは考えたことはなかったけど、それを見てフィリピンの政治についてももっと知りたいと思った。このメンバーでフィリピンに行けてよかった!初めは知ってる人なんてほとんどいなくて、仲よくなれるか心配だったけど、今ではみんな大好き★たった18日間だったけど、一緒に作業して、ソーランして、いろんなこと喋って、大事な仲間ができてよかった。これからも集まろうねっ!!!

T.Kさん RASAに参加して

私は8月10日から27日までの18日間 、RASAに参加し、フィリピンにて建設ボランティアをしてきました。私がRASAに参加した理由は、心だけではなく、実際に自分の手足を使ってフィリピンの子どもたちのために働くことができると考えたからです。微力であっても、自分の労働力をささげたいと思いました。18日間の滞在の中で、実際の作業は平日のみ9時半から15時でした。建築作業といっても、地元大工さんが効率よく作業できるように、砂やブロックを運んだり、コンクリートを作ったりしてサポートをするといった簡単なものでした。しかし、実際に教室をつくりあげていく作業に参加したことで、身の回りのどのような製品や建物に対しても、人の汗が加わったものであることを再認識し、感謝とともに大切にしてきたいと思うようになりました。現地は梅雨の時期で、スコールでしばしば中断されることもありました。中断されたときは残念に思いましたが、東南アジア特有のスコールを体感でき、体を休めながらメンバーと交流を深める有意義な時間を過ごしました。現場は小学校の敷地内でしたので、作業中は小学生に励まされ、休憩中は共に遊び、雨で作業が中断した時は折り紙教室を授業内でさせていただきました。そして、作業後や週末はホームステイ先の家族やその親戚との団欒や、近所にステイしているメンバーと交流を持ち、一日中そして毎日が大変充実したものでした。また、日系企業の工場や、スモーキーマウンテンを訪れる機会も与えられました。どちらも丁寧な説明と質問にも答えてくださいました。そして、これからもより理解を深めていきたいと思います。 RASAに参加している間中、メンバーや小学生ホストファミリーや地元の方の愛に包まれているのを実感し、自分も同じように接していました。愛を持って隣人のために働くということは、どんな場所でも実行できるとあらためて思いました。この体験で感じたことをこの場限りのものにせず、これからも大学や家庭などそれぞれ自分の居場所で、またそこから一歩ふみだして、どのような小さなことでも実行していきたいと思います。 実際に体を動かすことから、このように考えることもできたことを感謝します。ラサに参加できてよかったです。 シーランド神父様を始め、藤井ご夫妻、山田さん、とメンバー、関わった全ての皆さんにたくさんのありがとうを言いたいです。Maraming salamat po.

A.Yさん MY SUMMER VACATION In PHILIPPINES

今年の夏休み、フィリピンで過ごした18日間は自分の中で最高の思い出となりました。
・素敵なホストファミリー・ほぼ毎日子供たちとダンスinマミ’s house ・学校建設の手伝い・工場見学・海・観光地巡り・ソーラン節
ほかにもたくさんの貴重な体験をすることができました。なかでも現地の人達の笑顔はいつも素敵で、思わずこっちまで笑顔になってしまうほどでした。先日、英コミの授業で先生にフィリピンでの体験を話したところ、「あなたはとても良い経験をしたと思います、そしてその経験は永遠にあなたの心の中に残ると思います。」と言われました。行くまでには不安や心配がありましたが、今回RASAの活動に参加できて、そしてRASAのメンバーに出会えてよかったと思います。フィリピンで経験したことを今後生かしていけたらいいと思います。四人の先生方、お世話になった方々ありがとうございました。フィリピン、本当に最高でした!!

Y.Sさん RASA The Philippineフィリピンの人たちから学んだこと

私は高校の時から海外ボランティア活動をするということに興味を持っていた。そして偶然、1年の春の新歓の時に行ったアイセックの飲み会で総合政策学部の子にRASAの活動のことを聞き、とびついたのである。それから研究会を重ねるうちにフィリピンというまだ行ったことのない土地へ行くことに何度も不安を感じたし、何度も行くのをやめようと思ったけれど、いま私はRASAの活動に参加して本当に良かったと思っている。フィリピンでの学校建設ボランティアでみんなと過ごした18日間は私にとってとてもかけがえのないものとなった。フィリピンへ行く前はやっぱり自分の目線は上からだったと思う。そうは思いたくなくても、心のどこかでフィリピンへ行って学校をつくってあげる、少しでも困っている人たちの力になりたい。と思っていたと思う。けれど実際に行って過ごしてみるとフィリピンの人たちから学ぶべきことのほうが断然多かった。 フィリピンで過ごして最初に思ったことは本当によく笑う人が多いなということだ。どこにいても誰かの大爆笑の声が聞こえてくるし、おばちゃんやおじちゃんの目の横にある笑いじわはものすごく幸せそうな印象をうけた。確かに日本に比べて金銭的に貧しい人が多いし、家の中を見渡しても日本の家庭とは置いてあるものが違った。けれども誰もそれを嫌だとは思わないし、面倒だとも思っていなかった。そしてホストファザーが決まって言うのが「We are poor but very happy family.」という言葉だった。フィリピン人は大人も子供も皆happyという言葉を良く使っていた。多少自分たちの生活に足りないものがあっても、それは幸福感でうめればいいのだとも言っていた。何かが足りないからといって不満を募らせても意味がないから、それよりも幸せな気持ちでいることのほうが大事なのだと思う。いかに欲しいものを得るかを考えることも良いけれど、いかに今あるものの中で楽しく生活していくか、それを無意識に考えることができる人たちなのだなと思った。そういう点では、日本のひとたちよりも心の余裕があるのだと思う。日本人は親に手伝いを頼まれたり、車が使えなかったりすると何かにつけて“面倒くさい”と思う。もっと便利な楽な道があるのにどうしてそれをしなくてはならないのだと思いがちだと思う。けれど、フィリピンの人たちは手伝いを頼まれればすぐに行動するし、手間を面倒としない。ここにもフィリピン人の心の豊かさは表れているのだと思う。また何より子供たちが日本の同年代の子供たちに比べて格段に大人な考えを持っていると思った。自分がどう行動すべきかきちんと理解している人、自分の考えをしっかり持っている人が多く、自分の、年齢に対して子供すぎる考えを恥ずかしいと思うこともあった。子供らしくみんな無邪気に遊ぶけれども、わきまえるべきところでは自分を切り替えて行動できる人が多かった。そして子供でもみんな大人らしい格好いい一面を持っていた。フィリピンで生活したことによって自分自身を、日本という国を外から見た目で考えることができて本当に良かった。自分の狭い世界が少しでも広がったと思う。フィリピンでの18日間は私に新たな見方を与えてくれた。感謝の気持ちでいっぱいです。

S.Kさん 2009 RASA 感想文

私は2008年のRASAに参加し、昨年の感動が忘れられず、2009年もRASAに参加させていただきました。やはり今年もフィリピンにおける18日間の生活は、とても充実したものとなり、人生におけるとても大切な思い出となりました。以前のホストファミリーのお出迎えや、ホストだけでなく、ロマの人々の優しさ、家族を大切にする心、こどもたちの笑顔、どれをとっても日本では経験できないような、すばらしい体験でした。フィリピンにいつ来ても受け入れてくれる優しさ、人種なんて関係ない。同じ人間、言葉は通じなくても、心は通じあっているということを改めて実感させられました。今回のホストは子供が3人もいて、最初は戸惑うことが多く、困っていましたが、そんなことは2日ぐらいでした。すぐに仲良くなり、恋愛の話、フィリピンの文化、日本の文化、お互いの家族の話、親戚のこと、日本語とタガログ語の教え合い、などたくさんの異文化交流もでき、昨年では学ぶことができなかった多くのことができました。そんな充実した毎日を送っていたせいで、別れの日が近づくのがとても辛く、帰りたくないという思いが日に日に強くなっていきました。そして別れの日には、ホストやお手伝いさんも涙を流してくれて、とても強い絆ができたんだなと実感しました。ホストのお母さんは「いつでも帰っておいで」「いつでも待ってるから」と何度も何度も言ってくれました。今でもこの言葉は忘れることができません。思い返すだけでも、涙がでそうになります。昨年と同様、なぜフィリピン人はこんなにも優しくしてくれるのだろうと感激しました。今回できた絆を私は絶対に忘れません。そして今年の体験を自分の人生に活かしていきたいと思います。私は2回RASAに参加したことで、フィリピンが自分の第2の母国のように感じ、愛しています。たとえ貧困が激しくても、生きる楽しみをもち、生活している彼らを私は尊敬します。重要なのは、お金ではない。「いかに人生を楽しむか」、という気持ちが大切なんだと、教えられた気がします。今回出会ったロマの人々には、本当に感謝しています。私たちは彼らに何かしてあげれたんだろうか?と思うくらいです。学校建設というボランティアなのに、逆に感謝の気持ちで帰国した18日間でした。本当に今年も貴重な体験ができて自分の人生を築き上げていく第一歩となりました。本当にありがとうございました。人と人とのつながりに感謝。

H.Nさん

私がRASAの存在を知ったのは、友人がきっかけでした。その友人は、フィリピンで学校を建てたい、という明確な目標をもって臨んでいました。私は、説明会に興味本位でなんとなく着いて行っただけでした。その時は、まさか自分がやろうとは考えもしませんでした。 説明会を聞き、友人と話をするうちに、少しずつ興味を持ち始めました。当時の、私にとっての第一の魅力は、RASAメンバーという仲間ができるところでした。大学生活ではなかなかその様な機会が無くなっていました。また、フィリピンという異国での生活を体験し、日本を、自分の生活を、見直す良い機会だとも考えました。ただ、一番不安だったのが、環境でした。私は日本で凄く虫に敏感だったので、フィリピンでの環境に耐えられるかが問題だったのです。サークルの合宿とかぶっている事もあり、ギリギリまで悩んでいました。そのとき私は、合宿よりもフィリピンに行く事が自分を成長させられる。また、来年は学科の学習をますます本格的に取組むようになり、行けないだろうと考えました。「迷っているなら行った方が良い。私も虫は嫌いだ。」という友人の声が行こう!と決める一押しになりました。現地に着き、子供たちが迎えてくれました。ステイ先の家は、壁と屋根には隙間があり、ネズミの通り道になっていました。イモリは壁をよく這っていました。また、蟻はどこにでもいました。風呂は水浴びで、トイレは便座がなく、水をかけて流します。ステイ先の家族は英語を余り話せず、英語ができる親戚の人が私のために来てくれていました。ただ、いつもつきっきりで居たので、精神的に疲れた事もありました。こんなときもRASAメンバーといると楽しく、相談にものってもらったりし、のりきる事ができました。学校建設も、怠ける人もいなくて、皆が皆マイペースに作業をする事が出来て無理する事もなく、やりがいがありました。現地の小学生の笑顔や愛くるしさ、また、名前を呼んでくれる事が元気の源にもなりました。さらに、日本企業の見学をするなど、将来を考える良い機会になったと思います。土曜日と日曜日には、作業は無く、ステイ先の人と色々な場所に出かける事が出来、フィリピン観光の様でした。RASAメンバー皆で最終日のためにソーラン節を練習し、さらに絆が深まったと思います。RASAメンバーは皆優しくて、代表者の方たちは、藤井さんの、のほほんとした雰囲気、山田さんのユニークな雰囲気、上野さんの厳しさの中の優しさ、シーランド神父さんの癒される雰囲気…様々な人たちでRASAが成り立っているのだと感じつつ、今しかできない貴重な体験をする事が出来ました。本当にRASAの皆さんに感謝しています。一生の思い出ができました。ありがとうございました。

M.Tさん

フィリピンでの18日間を通して、たくさんの人と接する幸せを感じることができたと思います。毎日村の小学校で、日中とても強い日差しの中重いセメントを運んだり、地道な作業の繰り返しで気力も体力もへとへとになりました。しかし、休み時間になった子供たちが、いつも教室から元気に僕たちの名前を呼んでくれたり、満面の笑顔で手を振ってくれたりして、こりゃがんばらねば…とめっちゃがんばることができました。疲れもほとんどどこかに消えてしまいました。子供たちだけではなく、ラサで出会ったフィリピンの人たちはみんないつも笑顔でした。道端で何をするわけでもなく休んでいる人も、目が合うと笑顔で挨拶をしてくれました。みんなといると自然と僕も笑顔になりました。夜中に、おじさんと神は存在するのかを本気で語って言い争いになったこともあったけど…。また、フィリピンの人たちと一緒にいる中で、みんな家族を本当に大切にしていることがとても印象的でした。それも自分の家族だけではなく、親戚の人たちともまるで兄弟のように接していました。建設作業後家に帰ると、ホストファミリーの家を、近所に住んでいる数え切れない親戚の人たちが当たり前のように出入りし楽しくお話をし、外では親戚の子供と仲良く遊んだり、僕は家族と一緒にいることの幸せを感じることができました。僕のホームステイした家族は以前マニラに住んでいたけど、遠く引っ越してきました。「家族(親戚や村の人たち)と一緒に助けあいながら生きていけて、今の生活が幸せだ。」といったお兄ちゃんの言葉が、僕にもわかる気がしました。みんなと一緒にいれて本当に幸せでした。日本にあるような豊かさは確かにないかもしれないのに、毎日の生活を振り返っても、楽しいことばかりの18日間でした。日本が忘れている家族の絆の大切さを知ることができました。日本でも家族を大切にするよう心がけようと思います。そして最後に、RASAメンのみんなありがとう!!みんなと出会えてよかった☆RASA最高です☆

T.Yさん

全てが新鮮だった。フィリピンの透き通った青い空の下では。出会う人、出会う人みんな暖かく挨拶をしてくれた。あちらから見ればゲストなのだからそれは当然なのかもしれないが、日本でこんなに気さくに笑いかけてくれるところがあるだろうか。こんな些細なことにも多少のギャップを感じつつ、あちらでのホームステイとボランティア活動が始まっていった。最初から生活面でいろんな違いがあることは理解していたし、覚悟していた。むしろその違いを楽しもうじゃないかという意気込みで臨んでいた。だが、思った以上にその違いがない。ちょっと意識し過ぎたのかもしれない。まず、料理の味付けだ。フィリピン料理は比較的薄味で日本人好みでおいしい。シニガンスープはご飯にかけて一緒に食べる。これもお茶漬けのようで馴染みがあっておもしろかった。ただ、朝食に油っこいガーリックライスやヌードルが出てくるのは正直まいってしまった。これは太るぞ・・・・・・と。予期してはいたが、ここまでとは思っていなかった。ミリエンダという間食の習慣だけだと思っていた。そう、ミリエンダだ。これが恐ろしい。最初の一週間くらいは胃が遠慮していたのだが、次の一週間には胃が馴染んでしまっていた。さらにフィリピンのフルーツ、特にマンゴーが恐ろしい。美味しすぎる。あのおいしさは反則だと思う。結論。フィリピンにいると幸せ太りする。そう、太るということは幸せだ。偏った食生活でも食べられればそれは幸せだ。仕事があるだけでもありがたい。自分が行ったカビテ州アマデオ市ロマは比較的裕福な地域に関わらず、職にあぶれた男たちが結構いた。フィリピン政府が公表している失業率は10%前後。だが、実際は40%近くに跳ね上がるという。無職の良い年した男たちは、しかたなくフィリピンで人気№1スポーツであるバスケットボールに昼間から興じる。また、暇にあかして自分たちRASAが手伝っている教室の建設作業を見に小学校にやってきたりもした。彼らは日本でいうNEETなどではない。仕事があれば仕事をしているだろう。仕事があっても仕事をする気がない日本のNEETとは事情が違う。本当に職がないのだ。ロマでは、そういう無職の貧しい人たちもいたが、一方でかなり裕福な人たちもいた。リビングは大理石の床。そこに1mもある壺を部屋の四隅におき、極めつけがソニーの40型くらいのブラウン管テレビにカラオケセットだ。そこの家族は父親が日本に出稼ぎに行った経験があるようだった。日本で数年間出稼ぎにいけば、こんなに裕福な暮らしが手に入る・・・・・・。なぜ日本に出稼ぎ労働者が多いのかそこではじめて合点がいった。とにかく、フィリピンの貧富の格差を思い切り見せつけられた。そして、経済的にも社会的にも日本の異常な豊かさを痛感してしまった。でも、考えてみると確かに日本は豊かだが、幸せと言えるだろうか。毎年自殺者が三万人出る国が幸せと言えるだろうか。フィリピンと日本。そこには互いに欠落しているものがあるように思えてならない。肝心のボランティア作業。これは教室棟建設の手伝いで、ブロック運びやセメントづくりといったいわゆる土方の作業をこなした。慣れない作業は思ったよりきつく、一回体調を崩した。しかし、ホストの気遣いもあって一晩で復活した。深夜二時に起こされて病人食だと出された、ミッドナイトスナックには面食らったけど。例によって油っこかった。

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