フィリピンの恵まれない児童に学校を! 給食を! 教育こそ貧困の連鎖を断ち切る力になる

ボランティアの声2008年

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M.Iさん RASA

image001この18日間は本当に毎日が刺激的で、いろいろな意味で学ぶことが多かったです。まずこの18間の中で1番驚いたのは、フィリピンの人たちの温かさでした。フィリピンマイティムの人たちはみんなすごく優しくて、特にホストファミリーは本当の家族のように接してくれてすぐに打ち解けることができました。1番年齢が近かったホストファミリーとは、フィリピンと日本の違いや物価の話、将来の話とか恋の話とか・・・いろいろなことについて話して本当のお姉ちゃんのようでした。どこかに行く時はいつも晶子のホストファミリーと一緒で、晶子のホストファミリーともすごく仲良くなりました。晶子とも、ホストの家なのにお泊りしたりと、RASAの前からと比べると考えられないくらい仲良くなりました。また、私のホストの家の周りには親戚の家が5軒ほどあって、そこの家族の小学生の子にいつも遊んでもらったり、一緒に食事をしたりと家族のように関わることができてすごく楽しく過ごせました。私が体調を崩した時も、晶子のホストマザーやホストの親戚の人が来てくれて、マッサージをしてくれたり体にいい食べ物をくれたりとすごく優しくしてもらいました。最初の数日間は自分のホストファミリーなのかホストの親戚なのか区別できなかったくらい、ホストファミリーはもちろんホスト以外の人達とも家族のように接してもらえてすごくうれしかったです。作業の方は暑くて大変だったけど、現地の大工さんなどともだんだん打ち解けていくことができたし、話したり歌いながらの作業だったのですごく楽しく作業することができました。最初はミリエンダやお昼御飯の量にびっくりしたけど、だんだん慣れていって 最後の方には全部食べてしまえるようになっていました。学校の子供たちはすぐ名前を覚えてくれてどんどん仲良くなっていったので、本当に別れるのはさみしかったです。フィリピンの人たちは本当にいい人たちばかりだったし、近代的な建物やショッピングモールなどもあって、フィリピンに行く前に持っていたフィリピンに対する印象とは全く異なるものでした。しかし、私たちはフィリピンの一部分しか見てきていないだろうし、実際に物乞いをしている子供やのぼろぼろの家が立ち並んでいる場所を見て、貧富の差の問題などを目の当たりにした気がしました。
いろいろな意味で、RASAに参加することができて本当によかったと思っています。毎日家族のように過ごしていたホストファミリーやRASAメンと会えないのがすごくさみしいです。来年絶対もう1回フィリピンに行きたいーー!RASAメンだいすきーーーー!!

S.Yさん 2008年8月、RASAの思い出

 私にとって、今夏のRASAのフィリピンでの活動は、とても充実し、有意義でした。いくつかの理由をあげて、振り返ってみたいと思います。 ひとつ目の理由としては、フィリピンの日系企業等からRASAへの支援を求める私の役割があります。8月17日から22日まで、1週間活動しました。その結果、皆さんの目にも留まったと思いますが、「まにら新聞」からの取材と記事、トヨタサプライヤーズクラブの会長及び3企業トップのMAITIM訪問、トヨタ紡織見学と数社からの寄付の申し出など、実りのある成果が得られました。この結果が、生み出されるまでには、皆さん方をはじめ多くの方々の熱い想いと協力がありました。 二つ目は、MAITIMでの1週間(8月9日から16日・23日)で、かっての日本の田舎と下町にあった原風景を見て、楽しむことができました。バランガイの人たちは、とても暖かくフレンドリーでした。毎日、どこかの家に立ち寄り対話をし、親しくなりました。フィリピンの人々の笑顔と家族が支えあう美しさを再び学びました。 三つ目は、1998年から2006年までの8年間にできた多くの友人たちと、私の役割の合間をぬって交流できたこと、またその方々は今夏のRASAの活動に多くの便宜を図ってくださいましたし、RASAのバザー品の購入にも力を貸してくださいました。 四つ目は、RASAの学生ボランテイアの皆様の表情が、実に元気で明るく幸せそうであったことです。子供たちが、皆さんに興味を持ち常に群がっている姿がうれしかったし、これこそが、今の日本では少なくなり、フィリピンではなお多く見られる人と人との自然のふれあいの姿であると思います。ホストファミリーは暖かく、親切であったと思います。幸せは、何によって生まれるのでしょうか? 8月25日の帰国時点の私の気持ちと今(9月8日)の気持ちも変わりなく、幸せです。やはり、今回もフィリピンが私に大きな愛のプレゼントをしてくださいました。

H.Kさん RASAの活動を終えて。

 初めての海外経験は、フィリピンの様々な面を垣間見ることができ非常に有意義なものとなった。
マイティム村では寛容で親切な人々に囲まれ、朗らかな国民性をしかと感じた。ホストファミリーは僕らを「息子の一人だ」と言い、母国語を理解できない息子に最大限の愛を注いでくれた。飲食料や水回りなど生活様式の違いにそれほど戸惑うことはなく、自分の意外な適応性を感じたが、これも当然のごとくホストファミリーのおかげであり、大きな事故や病気もなく快適に過ごすことができた。
しかし、彼らはそのホスピタリティで僕らを最後まで感動させたが、僕らはきれいなところだけを見せられたかもしれないとも思う。フィリピンの失業率は非常に高く、豊かなマイティム村も例外ではないと言えるだろう。ボランティアとして作業に励む日本人大学生たちの傍らで、仕事のないフィリピン人たちがバスケットに興じていたのは何とも言えぬ光景であった。仕事を探しに、成功を求めて都会に出る者が、結局何もできずスラム化し、ストリートチルドレンになる。帰国のために寄った首都マニラでその現状を見た驚愕は忘れられない。そして帰国前日になって初めて、毎年地方の農村の学校建設を援助しているRASAの活動の本質を理解できた気がする。フィリピン政府による、スモーキーマウンテンでごみとともに暮らす人々を「住ませるだけ」のアパート建設という消極的な対策とは違い、長期的だが問題の根元から断ち切る、そんな貧困対策活動に参加し、少しでも貢献できて喜ばしく思う。
今回の活動で、農村・都会それぞれに暮らすフィリピン人の性格や文化、国で抱える貧困問題を身に持って知ることができ、あたりまえの言い方だが非常に良い経験ができた。「だから自分はこうする」「自分はこういう道に進む」。そういった明確なものは掴んでいないが、とにかくまず現場を見ることができてよかったと思っている。

S.Mさん ★フィリピン日記★ in マイティム村

 わたしがRASAの存在を知ったのは、去年の秋ぐらいでした。その頃からずーっと来年行こうって決めて、楽しみにしてたけど…いざ、日にちが近づくにつれて色んな迷いが出てきました。周りの友達はインターンシップに行く予定をたてていたり、教員になるために勉強しようとしていたり…自分はフィリピンに行ってのほほんと過ごしていていいのかなって不安になったけど、多分行ったことより行かなかった方の後悔のほうが大きいなと思い、参加することに決めて、今はほんとうに良かったと思ってます。フィリピンに行って1番感じたのは、家族や親戚を大切にする優しさだと思う。親戚が当たり前のように家でくつろいでいたり、お金がなくて育てられない子供の援助をしていたり…子供が親を殺してしまったりする日本とは全くと言っていい程正反対だった。それに、子供達も学校が終われば真っ直ぐ家に帰り、家族とテレビを見ながら話したり、近所の子とバスケをしたり、上手な楽しみ方をよく知っていたし、何をしていてもすごく幸せそうだった。わたしの家の近くには日本人が1人もいなく、最初はすごく嫌だったけど、近所の人はみんな名前を覚えていてくれたし、色んな人と話すことができ、逆に1人だったからできたことで、自分にとってとてもプラスな経験になりました。ホストファミリーは、わたしを本当の娘のように扱ってくれて、ゴキブリが出たときも風邪ひいたときも、一生懸命わたしの言っていることを理解してくれようとしていて、人の温かさを芯から感じました。ご飯がすごく多かったし、英語が通じなくてかなり苦労したけど…わたしはあのホストファミリーの家にステイできて本当に幸せでした。また、1年後絶対に会いに行きたいです。今回は学校建設のボランティアとしてフィリピンに行ったつもりだったけど、あげたものよりも、もらったものの方が確実に多い気がします。マイティムの人たちと一緒に過ごして、幸せの定義って、決められているものじゃなくて、自分で決めていくものなんだなっていうことが、とても身にしみたし、決して日本より裕福とは言えない暮らしだったけど、少なくとも心は日本人よりも豊かでゆとりがあるということを感じました。今回の留学は、初めての経験もたくさんでき、自分にとって宝物になる2週間だったと思います。短かったけど、本当に、本当に楽しかったです。ありがとうございました☆                          END

A.Mさん RASAに参加して

 “海外でボランティア活動をしてみたい”という漠然とした夢が、大学1年の夏休みに実現できて、今はとても貴重な経験ができてよかったという気持ちと未だに自分がフィリピンで18日間も生活をしていたことが信じられない気持ちでいっぱいです。
  私が一緒に生活してみて思ったことは、フィリピンの人たちが、家族をとても大切にしているということです。本当に家族・親戚全員の仲が良く、お互いが助け合いながら暮らしていて、理想的だなぁと思いました。そして、強い絆で結ばれた家族の中に自分が入ることができて、とても幸せでした。
 学校建設の作業は、暑い中、重いセメントを何回もバケツで運んだりして大変だったけど、日に日に建物が建っていくのが目に見えて、やりがいを感じました。また、休み時間に子供たちとおしゃべりしたり、写真を撮ったりしたこと、作業の代わりに教室で折り紙を教えたことも良い思い出です。子供たちが、壁を作らずに、いつも笑顔で話しかけてくれたことが何よりもうれしくて、そんな彼らのためにボランティアができて良かったです。
 私はホームステイをしている間は、フィリピンの貧しさをあまり感じませんでした。家にはパソコンがあるし、ご飯もたくさん作ってくれるし、ホームステイ先の子供は大学にも通っていました。“これがフィリピンの現状なんだ。”そう勘違いしたままマニラに行きました。みんなでレストランに行った時、入口の近くにいた小さな女の子が、“お金を下さい”と目で訴えながら私たちに一人一人に近づいてきたのがあまりに衝撃的で胸が痛くなりました。違うレストランに行った時も、私たちが迎えの車を待っている時に、小さい子が花を持って近づいてきました。やはり花は買えないので、目線をそらすことしかできませんでした。この出来事が私にはとても印象的でした。
 フィリピンでの18日間は本当にあっという間でした。時には辛いこともあったけれど、現地の人との素敵な出会いや日本では出来ないような貴重な経験がたくさん出来ました。この夏で自分が得たモノを大切にして、これからの学生生活、その先に活かしていきたいです。

S.Tさん RASAに参加して

image012 フィリピンで過ごした18日間は、あっという間に終わってしまった。毎日が楽しくて、本当に充実していた。18日間のうち、日本に帰りたいとは一度も感じなかった。トイレとお風呂には最初ビックリしたけど、だんだん慣れてきた。果物はもちろん食事もとってもおいしくて、お昼に持ってきてくれる食べきれないくらいたっぷりの手作り弁当も、毎日楽しみだった。何より、食べることが好きな私にとって1日2回のおやつタイムは最高だ。現地の人は、よく食べてよく笑う。日本ほど豊かな国ではないけれど、私たちが行った村の人々はとっても生き生きししていて幸せそうだった。

image013フィリピンに行って一番感じたことは、現地の人々の温かさだ。私たち日本人を見かけると、知らない人でも笑顔であいさつしてくれる。小学校に行くと、すぐに子供たちが私たちの名前を呼んで手を振ってくれる。私はこの村の雰囲気がすごく好きだった。みんな家族みたいだった。毎日、作業が終わってホストの家に戻ると、すぐ裏に住む親せきのチビッ子2人がすぐに駆け寄ってきてくれる。まだ小さいので現地の言葉しか話せず、何を言っているのかはさっぱり分からなかったが、笑顔で元気に動き回っている姿を見るだけで、作業の疲れも吹っ飛んでしまった。子ども達はピュアで、本当に可愛い。私たちが建てた教室で、いろんなことを学んでほしいと思う。やっぱり国が発展するためには、子どもの教育が不可欠だと思った。それを支援するRASAの活動は本当に素晴らしいし、今回私も参加することができて本当に良かった。

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ホームステイすることで家族の一員としてフィリピンの生活を実際に経験でき、日本にいたら気付かない日本の豊かさについても再認識することができた。ホストファミリーにも本当に良くしてもらい、最後のお別れは本当に悲しかった。これからも連絡を続けて、いつか必ずもう一度会いに行きたいと思う。

RASAでの思い出はここには書ききれないが、本当に参加して良かったし、絶対に忘れない。そして18日間一緒に活動したRASAメンバーをはじめ、ホストファミリー、現地の人々、見守ってくれた日本での家族など、この活動を支えてくれたすべての人々に感謝したいと思う。
Salamat po!!!!

M.Mさん THE BEST MEMORY IN PHILIPPINES

 わたしの大学3年生の夏休みは、素敵な人たちと過ごした思い出でいっぱいです。
フィリピンで会ったホストファミリーやそのお友達、近隣の人たちのあの温かさと優しさに、人と人の繋がりの強さに驚き、感動しつつも、トイレとシャワーに驚き、ゴキブリの大きさに驚き、バナナの多さに驚き、犬の多さに驚き、学校建設の重労働に驚き、フィリィピンの人のタガイタイの好きさに驚き、すべてが甘すぎることに驚き、ご飯の多さに驚き、学校での水の腐った匂いに驚き騒ぎ、ソーラン節の筋肉痛に驚き、だんだんお腹に肉がついてきたことに驚き、ゲイにも驚き、朝のニワトリと犬の大きな鳴き声が目覚ましになったことに驚き、カイチ君が違う道に走りだしそうになったことに驚き、早寝早起きに驚くという文化の違いを体感・・・しかし3週間後にはそんなすべてに慣れて、そんな生活と素敵な人々との別れがつらくて、普段ではめったに泣かないのに号泣した自分に一番驚いた(@_@;) ほんとに辛かった。。。
 1度だけ辛くなったことは、1週目で風邪をひいて作業を休んだとき。ホストファミリーが優しかったことにすごく感動はしたのだけれど、正直本当に辛かった。体調よりも精神的なことの方が大きかった。せっかくフィリィピンに来てるのに・・・って思いました。けどその夕方にRASAメンバーの数人がお見舞いに来てくれたときに、自分でも驚くくらい元気をもらった気がしました。そんな体験は初めてでした。本当にありがとう(^o^)丿
学校建設の作業も辛いときも結構ありました。けど同じ班の子と辛い作業をいかに楽しくするか、みたいな感じで今思えば、すべてが楽しかった。やり方と気分の持ちようでしんどいことも楽しく切り替えられる気がした。大工のボスやわたしの友達に激似な人、ゆきえちゃんが大好きな人、パパなどすごく陽気な人ばっかりだった。
学校の休み時間に小学校の子供と遊んだこと、作業が終わって家に帰ると「アテミチ」と呼んでわたしを待っていてくれるたくさんの子供たち。あの子達の笑顔がすごく輝いていて、わたしもいつも笑顔でいられたし、日本に帰ってきてからもそれは変わらない。笑顔でいるとやっぱり素敵なことがたくさん起きると思う(●^o^●)
今年のRASAメンバーに出会えて、一緒にフィリィピンで学校建設が出来て、いろんな話をして、日本に帰ってきても仲良くて、わたしはホントに最高なメンバーだったと思います。
新しい人と出会って、新しい経験をして、新しい発見をしてというように大学3年生には新鮮で、いろんな人に出会うことはすごく素敵なことの始まりだと思います。すべては、藤井さんやさぶちゃん、上野さんの前もっての準備や体制なおかげだとおもうので・・・本当にありがとうございました。

S.Kさん

 RASAに参加して本当にいろんなことを学ばせてもらいました。
【特に人の優しさ】
ホストファミリーと最初はコミュニケーションがとれなくて、言いたいことも伝わらず、本当に18日間いったいどうなることやらと心配していたけど…日が経つうちにうちとけ、毎晩タガログ語の勉強をしたり、たわいのないことで笑い合ったり、膝枕やつめきりまでもしてもらえる仲になりました(笑)
そして最後の日が近づくにつれ、ホストマザーが『本当の息子だと思ってる』『日本には帰ってほしくなぃ』と夜中に泣き出したり、85歳のおばあちゃんは現地の言葉しか話すことができなくてあまりコミュニケーションがとれなかったのに、別れの日は大泣きしてくれた。そして最後に『私たちはあなたを本当の家族と思っている。フィリピンでのあなたの家はここだから、いつでも帰ってきなさい。』と言ってくれた。たったの18日間で家族の一員と認めてもらえ、フィリピンに新たな家族が出来たことがなによりもうれしいことでした。本当に人情味のあるいい人たちだった。ホストの優しさは絶対に忘れることができない一生の思い出です。日本でも人に優しくしようと心がけるきっかけとなりました。そして同じ人間なんだから人種なんて関係ないと実感するようにもなりました。またホストと一緒に生活することで、フィリピンでは家族という絆をとても大切にしているということ学び、それが彼らの幸せにつながっているんだなと実感し、改めて家族の大切さにきずかされました。
フィリピンで現地の人と同じ立場にたって生活し、異文化にふれることで、自分の視野が広がり、とても多くのことを考えさせられ、観光旅行では決して学ぶことができない多くの経験をすることができたと思います。本当に村の人々には感謝しています。RASAを通して出会った仲間と家族をこのままの関係で終わらすことのない関係を作っていきたいと思います。またフィリピンで学び経験したことを今後の生活に活かしていきたいと思っています。フィリピンに帰りたいっす!笑<+ ))><<★

D.Kさん RASAに参加して感じたこと

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 自分がRASAの活動に参加しようと思ったきっかけ、今思えば海外ボランティアに対して特別な思いを持っていたわけでもなく、フィリピンという国にしても、思い当たることはバナナぐらいだった。ただ漠然と日本を出て海外に行ってみたい、という軽い気持ちで参加を決めた。しかもギリギリまで行くかどうか迷って。でも、フィリピンでのRASAの活動を終え帰ってきた今、本当に参加して良かったと思える。そして何より、この1年生の夏に行けたことが良かった。いい仲間にも会えたし、早い時期にこういった経験ができたことで、考え方なども変わり、これからの生活にすごく生かされると思う。

フィリピンの人たちはとても温かかった。見ず知らずの人でも明るく挨拶してくれるし、外人である自分達を快く迎え入れてくれる。ホームステイ先の家族も、あなたは家族の一員で一番下の息子だからいつでも帰って来なさい、と言ってくれた。
080809_1207~0001 そしてご飯をかなり食べさせられた。一回の食事の量が多いのに、一日に五回も食べる時間がある。できるだけ全部食べるようにしていると、用意される量が日に日に増えていくのが分かった。米を釜ごと出されたときは流石にキツかった。フィリピンの生活では、日本ほど便利なものはないけど、何一つ不自由なく生活できた。便座もいらない。みんな自由な生活を送っていて、時計で時間を確認することもほとんどなかった。
そんな日本では決してできない生活を体験でき、大学1年の夏は絶対に忘れることはないと思う。

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