2015年ガリムヨド ビトン小学校建設参加者の声です。
(2015年2月14日~3月3日)
K.Nさん 南山大学2年 フィリピンの人々の温かさ
初めて小学校建設ボランティアに参加してフィリピンにいってきた。
フィリピンに行ったのは初めてで行く前の自分の中での印象では裕福であるというイメージはなくどちらかというと貧しい国だと考えていた。さらに自分は英語が得意ではないのでホームステイ先でファミリーの人たちとコミュニケーションがとれるのかと心配だった。マニラのホテルではシャワーは温度がコロコロ変わってこの先が思いやられるなぁと思った。道路も交通ルールがほんとうにあるのか!?という感じの運転の荒さで日本とだいぶ違うと実感させられた。
ホームステイ先では最初の2日くらい家でひきこもっていたのがアバヤで噂になっていて近所のネットワークの速さに驚いてしまった。たしかに生活は豊かとは言えなかったけどホームステイ先のファミリーの人もなにかあるたびに心配してくれたりと日本よりもみんな優しくしてくれたり、見知らぬ人でも気軽に話しかけてくれたりと人付き合いを大事にする国なのだなぁと感じることができた。
またフィリピンの料理もバナナやお米で作ったパンケーキやハロハロは口に合わなかった。ごはんは日本よりもパサパサしていたけどチャーハンにしたら合う感じだった、最初は抵抗あったけど思った以上においしかった。
また日本は時間に徹底的でフィリピンは時間の観念や計画性が適当なところがあると感じた。作業するときもその場その場でやっていく感じで効率的ではないかなぁと思ったり伝統のダンスの練習でも開始時間を聞いても知らなかったり聞いた時間と始まる時間が1時間ずれていたりしていて最初は驚いてしまった。でもこの自由さがフィリピンのゆったりとした生活になじんでいると感じることができた。
子供たちも人懐っこくて遊び甲斐があった。ミリエンダという文化も日本にないものでフィリピンにきてからはお菓子やごはんばかりでいつでもお腹がいっぱいだった。ビガンで乗ったカレッサも最初揺れが激しいと思ったら意外と乗り心地がよかったし、バイクの3人乗り、ジープの屋根の上にのるなど日本では絶対できないような体験ができて楽しむことができた。
ボランティアを通して初めての体験も多く、フィリピンのことについて知ることができたしさまざまな人たちと出会うことができた。楽しいことばかりだったけど英語があまり理解できないことがあって話すことができなかったのが残念だった、次は今までよりも英語に力をいれて来年もまた時間に余裕があれば参加してフィリピンに来れたらいいなぁと思った。
T.Hさん 中京大学3年 ボランティア活動を振り返って
今回のフィリピン学校建設ボランティア活動を通して感じたことをまとめたい。
私は治安の良さに驚いた。2週間ビトン地区で過ごしたが、滞在していた家庭だけではなく、どの家も日中は開放的で施錠をしていない家が多い。誰もが家に入ることができる状態だ。見る限りでは村を巡回している警察官がいなかったように思う(非番の警察官が週末に村で過ごしてはいた)。なぜ治安が維持できるのか不思議でならない。携帯電話やパソコン、カメラなどの電子機器は、現地の人々にとっても高級品であり、窃盗の対象となりうるはずだ。
治安維持組織が不在の中、どのように犯罪を抑止しているのだろうか。おそらく、ビトン地区の発達した地域コミュニティーが村の安全を守っているのだろう。教会やバスケットコート、小学校など、村には人が集まることができる場所が数多くあった。こういった場所で住民が交流し、地域への連帯意識が高まり、お互いに監視することで、犯罪の機会を減らしているようだ。
一方、日本では地域コミュニティーが衰退してきている。経済が発展したことによって人が都市部に集中し、昼間生活エリアに人がおらず、住民同士の交流が減ってしまった。また、単身者の増加や大型高層マンションの普及によって、地域コミュニティーが生まれにくい環境にある。
人とのつながりは、安全なまちづくりを助けるだろう。子どもや高齢者を狙った犯罪は近年問題となっている。地域の支え合いがあれば、それらを未然に防ぐことができる。例えば、不審者情報の共有によって、連れ去りや性犯罪の危険から子どもたちを守ることができるだろう。高齢者を狙うニセ電話詐欺件数も増加傾向にある。2014年、ニセ電話詐欺をはじめとする特殊詐欺被害総額は599億円に達した。詐欺グルーブは電話口で恫喝することがあり、パニックになってしまう高齢者も多い。そんなとき、彼ら彼女らにとって頼れる隣人がいれば、どれほど心強いだろうか。
より良い社会をつくるためには、住民同士の支え合いが不可欠である。住民と行政が協力し、地域コミュニティーの活性化を促進することで、安全なまちづくりを実現できるだろう。日本はビトン地区の地域コミュニティーモデルから学ぶべきだ。
C.Yさん 椙山女学園大学1年 RASAでの活動を終えて
「ボランティアに参加したい!」私の動機はそんな単純なものだった。
特別にフィリピンに興味があったわけではない。というより、フィリピンについてなど何一つ知らなかった。何となくアジアに興味があっただけ。人の役に立てる何かをしたかったし、大学生活に物足りなさを感じていた私にとってRASAのボランティアは自分にとっていい刺激になると思った。自分の置かれている環境はこれほどにも恵まれているのに、それを活かせない毎日はどこかもったいない気もしていた。手持ち無沙汰の気持ちを変えるためにも、このボランティアに参加して自分を受信型から発信型へと変化させたかった。
そして今、18日間という短い期間のフィリピンでのボランティアを終えて私はお世話になったフィリピンの役の立ちたいと強く思うようになった。
参加を決めた日から、アルバイト代をためて費用はすべて自分で支払った。決して安くはないけれど、このボランティアではそれ以上の価値ある体験をすることができると思っていた。私はそれまでフィリピンをマニラのイメージだけで考えてきた。
しかし、私たちが訪れた町はマニラよりもずっと穏やかで、ゆったりとした生活があった。そこには、日本には溢れている高い建物も、沢山の自動車も、大きなスーパーマーケットもない。しかし、豊かな自然や、果てしなく続くトウモロコシの畑や、降り注ぐ星空は私にとって何よりも居心地がよかった。
私の住んでいたSAN VICENTEという地区はみんな親戚という地区だった。顔を合わせれば挨拶をしてくれるし、気さくに話しかけてくれる。私のホストファミリーは、本当の家族のように常に接してくれた。物の豊かさや、ライフラインは確実に日本のほうが住みやすいだろう。停電は頻繁に起こるし、湯船やシャワーもなく、出るのは水だけ。トイレも水洗ではない。それでも私は未だにフィリピンでの生活が恋しい。日本で味わえない異文化体験をしたから、新鮮だったわけではない。むしろ、生活環境は3日も過ぎればすぐになれる。
私がこれだけフィリピンを恋しく思うのは、彼らが私の心を満たしてくれていたからだと思う。物が豊かだから、生活が発展しているから、住みやすい環境があるから幸せなわけではない。そういうことをフィリピンでの生活で身をもって実感することができた。大切なのは人を思いやる心や、労わる気もちなのだと。彼らはいつも大きな愛で私を迎え入れてくれた。往復の送り迎えも、みんなで食べる温かいお昼ご飯も、帰りに集まってしたバスケットボールやバレーボールも。私たちは常に彼らと同じような時を過ごしたし、私たちは彼らの日常の一部分になっていた。
ときどき、ボランティアにきたのにこんなにお世話になっていて大丈夫だろうか、迷惑ではないか、と考えたりもした。しかし、そんな考えは必要なかった。一つの校舎が確実に出来上がっていくからである。この校舎がこれから子供たちの役に立つ。そう思うと私が過ごしたフィリピンでの生活は一層、充実していたのだと思い知らされた。
あれから一か月がたった。時間は本当に早く流れていく。時間を持て余す暇などないくらい、若さは一瞬だと思う。この体験を経て、私は国際ボランティアにより興味を持った。行きたい国が一気に増えた。学びたいことが一段増えた。やるべきことが目の前に山積みだけど、少しずつこなしていこうと思う。そして、自分の得た経験を多くの人に発信していきたい。私と同じような人にきっかけを作れるように。
H.Sさん 南山大学1年 フィリピンが教えてくれたこと
入学してすぐにこのツアーの存在をポスターで知り、海外でボランティアを一度してみたいと思っていたので参加することになった。
しかし実際に参加してみると日本ではできないような経験を通して学ぶことばかりであった。一番印象深かったのは隣近所との付き合いの深さである。着いたその日の夜、日本とは全く様式の違う家やトイレ兼お風呂はある意味想像できる範囲での驚きではあったが、それ以上にご飯を食べ終わってふと見るといつの間にか近所の人たちが4,5人ほどテレビドラマを観るために集まっていて、ソファーでくつろいだり床に寝そべったりしていることに驚き、それが毎日の出来事であることを知った時さらに衝撃を受けた。私の家では見たことのない、今後見ることもないだろう光景であった。子供たちの横のつながりも深い。学校から帰るとプラザという小さなバスケットコートで日が暮れるまで一緒のゲームをして汗を流す。5つも6つも歳が離れていても同じゲームを全力で楽しんでいる姿は私にとっては非常に新鮮であった。
蛇口をひねっても水が出なかったり、洗濯機がなかったりと便利さとういう尺度で測れば日本と比べてホームステイした家庭は圧倒的に貧しい。しかし共に野菜を作り、家畜を育て、喜びも悲しみも同じ村で分かち合って暮らしている彼らの生活が私にはとても羨ましく見えた。帰国後お店で買った惣菜をテレビを観ながらスマートフォンを片手に夕飯を食べているとフィリピンでの生活がふと懐かしくなることがある。
最後に星野富弘さんの詩集のなかでまさにフィリピンで私がみたものだと思うものがあったのでそれを紹介したいと思う。
よろこびが集まったよりも
悲しみが集まった方が
しあわせに近いような気がする
強いものが集まったよりも
弱いものが集まった方が
真実に近いような気がする
しあわせが集まったよりも
ふしあわせが集まった方が
愛に近いような気がする
末筆ではあるが、18日間お世話になった藤井さんをはじめRASAスタッフの方々、そして共にボランティアツアーに参加できた多くの仲間に心からの感謝をしたい。
M.Mさん 南山大学3年 フィリピンでの温かい思い出
このRASAの活動を知ったのは約3年前、入学してすぐのことでした。行きたいと思っていたもののなかなか参加の決断ができず、就職活動の解禁を目前に控えた今年、最後のチャンスだと思い参加を決めました。時期的に参加をとても迷いましたが、今では参加してよかったと心から思っています。
ホームステイ先では、食事をはじめ、お風呂やトイレなど生活様式が日本と異なることばかりで、初めは戸惑うことも多くありましたが、現地の生活を実際に体験することで多くの発見ができました。食べきれないほどたくさんのミリエンダをもらったこと、体調を崩した時にとても心配してくれたこと、食事のとき栄養に気を遣ってくれたこと、洗濯や掃除など私が過ごしやすいようにいつも考えてくれていたこと、つたない英語を一生懸命に聞いてくれて一緒に笑って話したこと、たくさんの愛情をくれたこと。ホストファミリーと過ごす時間は、いつも温かく幸せでした。行く前は、治安や言葉の壁など、様々なことを心配していました。でも、どんなにつたない英語でも、伝えようとさえすれば相手はわかってくれるし、言っていることがちゃんと聞き取れなかったとしても、相手の気持ちはわかりました。一生懸命に何かを伝えようとすれば、言葉なんて関係ないんだと感じました。
建設作業は、砂ふるいやバケツリレーなど単調ではあるもののとても体力のいる仕事で、あの暑さの中での作業は想像以上に大変でした。しかし、つらくなったときには、声を掛け合ったり、体調を気遣ってくれたり、楽しい話をして場を盛り上げてくれる素敵な仲間たちがいつも支えてくれました。休憩時間には、小学生と遊んだり、折り紙をしたりするのがとても楽しかったです。日本の文化を知ってもらおうと思い、班で折り紙やゲームを教えたり、凧揚げをしました。子どもたちはみんな本当に何をやるにも熱心で、意欲的で、教えているこっちがエネルギーをもらっているような感じでした。覚えた日本語であいさつを何度もしてくれる子どもたちはとても可愛くて、弟妹みたいでした。
18日間は本当にあっという間でした。でも、こんなに短い時間だったのに、こんなに別れがつらいなんて正直想像していませんでした。最後の日、みんなが涙ながらに別れの言葉ではなく、再会の約束をしてくれたのがとても嬉しかったです。もう来年、この活動に参加することはできないけれど、いつか必ずまたビトン小学校を訪れて、大好きなみんなと再会したいです。また、この活動を通して、多くの仲間ができました。毎日一緒に過ごしていたから、帰国してから離れているのが不自然に感じられるほどです。この18日間は、私の人生で最も濃厚で充実した、幸せな日々でした。この思い出は、一生忘れません。
K.Aさん 椙山女学園大学2年 フィリピンで得たもの
『不安』『孤独』フィリピンへ行く前の私の気持ちを表す言葉はこの二つの言葉に尽きます。
今回の参加は自分の意思ではなく、家族からの強い勧めであり、自分自身はあまり乗り気ではありませんでした。私は英語があまり話せないのでホストファミリーとうまくコミュニケーションがとることが出来るのだろうか、フィリピンの暮らしに馴染めることが出来るのかなど心配なことばかりで前日までフィリピンへ行くことが恐怖でしかありませんでした。
ですが、フィリピンでの暮らしは私にとって人生の中でもかけがえのない時間だったと今は感じています。最初こそは桶に水を組んで流すトイレ、限られたお湯で体を洗うこと、ご飯中にハエが飛んでくることに驚きはしましたが、すぐに慣れましたし、何より本当の家族のように私に接してくれた家族やいつも優しく、家から外に出たらいつも声をかけてくれる村の人々とたくさん接することが出来たことがとても嬉しかったです。私は今まで『英語が話せなくても日本で暮らすのだから対して不便なことはないだろう』という考えがありましたが、もっとホストファミリーとたくさん色んな事を話したいのに、上手く言葉にすることが出来ず何度も、もどかしい気持ちになり、こんなに英語が話せない事を後悔したことはありません。
ですが、私の家族は、なかなか上手く英語が話せない私に対して、一生懸命伝えようとしてくれたし、私が何を伝えたいのか、いつもきちんと聞いてくれました。私が落ち込む出来事があり、少し泣きそうになった時があったのですがその時はホストファミリー全員が私のことを励ましてくれた事に感激してショックだった出来事なんて一瞬で忘れることができました。
フィリピンでの生活で私が一番強く感じたことはフィリピンの人々の心の豊かさです。確かに日本の人々の方が技術や経済は発展していますが、スマートフォン、パソコンの普及により、一人一人が孤立した生活を送るようになってしまったのではないかと思いまいした。世界中どこでも誰とでも繋がる事ができ、パソコンで何でも出来てしまう便利さもありますが、フィリピンのような時間に余裕を持ち笑顔で心の温かさを持った人々が暮らす文化は残していくべきだと思いました。
フィリピンでのボランティアで誰かに何かしてあげられればいいなと思っていたけれど、与えてもらった事の方が何倍もあると感じています。色んな人々と出会うことができて、色んな体験をすることができて私は本当に幸せでした。今もFacebookで家族や村の人々とやりとりしているし、普通の友人とはまた少し違った強い繋がりを持つことができたRASAのメンバーとは帰国した後、恋しくてほぼ毎日連絡をとり、何度も遊びに出かけました(笑)私はこの出会いや体験を大事にこれからの毎日を過ごしていこうと思います。
すべての出会いに感謝を。
A.Mさん 南山大学1年 18日間の思い出
出発前は、ちゃんとやっていけるのかすごく不安でした。
もともと海外経験が少なかったし、なによりホストファミリーとうまくいかなかったらどうしよう・・・そんな不安でいっぱいでした。でも実際行ってみて全然そんな心配は全くいらなかったなぁと思いました。RASAのメンバーもみんな優しくて面白い人ばかりで、なにもかもがみんなのおかげですごく楽しかったです!
現地の気候はとても暑かったですが、現地の子供たちに毎日元気をもらっていました。元気いっぱいの笑顔で名前を読んでくれて、一緒に遊んだり、ダンスしたり、実際にクラスで授業をやらせてもらったり・・授業ではみんな一生懸命日本語やおりがみを覚えようとしてくれて、とてもかわいかったです!
そしてなによりお世話になったのはホストファミリーさんです。私と本当の家族みたいに接してくれました。なので自分でも驚くほどホームシックには一切なりませんでした!私のホストマザーは以前、東京で約10年間働いていたそうで、家に緑茶や箸、食器、さらには着物までありました!私のために日本料理にちかい味付けをしてくれたり、緑茶をいれてくれたり・・・いつも気にかけてくれて、本当に感謝してもしきれないほどお世話になりました。来年の2月にまた会いに行きたいです!
RASAの活動を通してフィリピンの、特にホームステイ先だったアバヤで生活し、文化を知り、体験できたのは私にとってかけがえのない貴重な経験だったと思います。私の専攻分野は文化人類学で、様々な国、地域の民俗概念などを知り、時には調査をし、さらに他の文化と比較することでその文化における固有性を考えることを主な目的とする学問分野です。今回の体験で文化人類学に対する意欲もますます高まりました。そしてもっと勉強をして、実際にアバヤでフィールドワークをし、できたら卒論もこの題材で書きたいと思っているのでそのためにもまずタガログ語を少しでもできるように勉強したいと思っています。
この活動を通していろいろ多くのことを学ぶことができました。参加して本当に良かったです!
R.Hさん 南山大学1年 感謝
RASAのボランティア活動は、私にとって初めての海外であり初めてのホームステイでした。フィリピンでしか出来ないような貴重な体験もたくさんし、短い間でしたがとても中身の濃い一週間でした。その中でも家族との出来事が特に印象的だったので紹介します。
私のホームステイ先の家族は、ダディー、マミー、長女のジーサール、次女のジェイサー、長男のエイドリアンの五人でした。私のお世話をなんでもしてくれたのはマミーで、学校まで連れて行ってくれたり、エクステーションの前日には一緒に荷物の準備をしてくれたりまだまだ書ききれませんが、世界で一番優しいお母さんだと思います。ダディーは感情を言葉にするのが好きな人で、私が嬉しくなるようなことをたくさん言ってくれました。自分で日本語に訳すと違う意味になってしまうかもしれないのでそのまま書きますが、「I think you are the first child in this house. That is why you call us daddy and mommy.」と言われたときは夜ご飯の最中なのに泣きそうになりました。
一方でなかなか打ち取けられなかったのは子どもたちでした。性格がシャイで初日は一言も会話をしませんでした。特に苦労したのは卒業試験を控えた15歳のジーサールです。彼女の試験前で気持ちに余裕がないところにお邪魔をしてしまって少し怒らせてしまいました。謝ってみても苦笑いだし、一緒の家にいても全く話さないし、私の心は完全に折れました。耐え切れなくなってマミーに相談したとき、マミーから返ってきた答えは意外なものでした。ジーサールからも同じことを相談された、と笑いながらマミーは答えました。そのときは、私もジーサールも同じ気持ちだったことを知って本当に安心しました!!こうして私が帰国するまでの間、ジーサールと一緒にいることも増えて今でもたまにメッセージのやり取りをしています。無事に卒業できたみたいで、色々あったからこそ余計に嬉しくなりました。
ホームステイ先の家族はもちろんですが、アバヤ地区のご近所さん、小学校で遊んだ子どもたち、RASAのメンバーともこんなにも仲良くなれるとは思いませんでした。フィリピンに滞在した期間はたったの18日間でしたが、人と人とのつながりを強く感じた活動でした。例えば、私のために見返りを求めずに何かをしてくれる、そんな気持ちに気付いたときは心から嬉しくなりました。ボランティアとしてフィリピンに向かったのに何から何までしてもらったのは私の方で、お世話になった人すべてに感謝の気持ちでいっぱいです。
帰国してから時間は経ちましたが今でもフィリピンに戻りたいって思います。もしまた行きたいって人がいるならぜひ誘ってください!
K.Hさん 南山大学3年 貴重な体験を終えて
昨年、フィリピンでのボランティア活動を経験し、外国における日本に対する好意的なイメージや無知、偏見などを見聞きする機会があり、「世界の人々に日本のことを知って欲しい」という思いを抱き参加するに至った。
出発する前に私が抱いていたフィリピンの印象は①地域によって経済格差がある②英語圏である③気候が温暖である④多数の人々がキリスト教を信仰しているなどの断片的な知識しかなかった。そのため不安と期待が交錯しながらの出発となった。
長時間のフライトを経験した後、マニラ空港に到着した。フィリピンの地に降り立ち、私の目に飛び込んできた光景は実に近代的な建物の風景の連続であった。日本と変わらない光景は私に安堵感を与えた。
学校建設の作業は、日本の建設現場と環境が異なったので初めは戸惑いを覚えたが、作業を限られた時間の中で必死になって行ったことは、一つのものを完成させることの喜びを私に教えてくれた。砂運び、セメントのバケツリレーなどは大変であったが、フィリピン人の建設員の方や学生メンバーと協力して行ったことで仲間の大切さを改めて感じることができた。
フィリピンでのホームステイについて生活環境への不安などがあったがホームファミリーの温かいもてなしのおかげで居心地のよい空間で過ごすことができた。また、日本の文化を少しでも伝えられたら嬉しいと思い折り紙、けん玉、日本食を持参した。そのかいあってか短い期間であったが楽しく過ごすことができた。
最後の休日にスラム街のスモーキーマウンテンを訪れ、「生まれながらの貧困」を目の当たりにし、衝撃を受けた。誰もが平等に教育を受け、努力する機会を得られる社会を築くことの大切さを痛感した。
今回の体験を通して、以前の私の世界観は変わった。今まで私は狭い視野で物事を考えていたが、これからは広い視野で物事を考えなければいけないことに気づいた。今後はこのフィリピンで得た教訓を生かして社会生活を送りたい。
K.Oさん 南山大学2年 サラマッポ
フィリピンは、最初は、貧しい国で住むことに困難な場所だと考えていました。
でもそれは偏見であって、実際行って思ったことは、僕はむしろ居心地のよさを感じました。
シャワーのお湯がでないなど、少しの不便はありましたが、フィリピンでホームステイをしている間にそんなことは、不便にも感じませんでした。
僕が居心地がいいと感じた理由は、主に人と関わる時間が長いと感じたからです。
日本では、近隣の人の家に行ったり、物を共有したりすることはほぼほぼないと感じます。
しかし、フィリピンでは、その地区みんなが協力していて、なお、みんなが個人個人の心配をしていることに感動しました。
僕が、フィリピンでの活動中に変な虫に刺された時も、活動から帰ってくると、僕の地区の人はみんな知っていて、みんなが心配してくれてとても嬉しく感じたのと同時に、すごい温かさを感じました。
これは、争いごとなく協力で生きてる文化があるからこんなに心優しい人達のいる場所になるのかな、と思いました。
このRASAのボランティアに参加して、価値観が変わりました。
フィリピンでは、むしろボランティアをしに行ったというよりも、すごい沢山のことを学ばさせていただいた気持ちがでかい。
この経験は、一生のものになると思う。
正直文集を書いている今でも、フィリピンに帰りたいという気持ちがでかいです(笑)
本当に、毎日が濃くて、フィリピンの人達、一緒に行ったメンバーに感謝だな、って思います。
N.Iさん 椙山女学園大学1年 ~フィリピンを通して~
私は今回のフィリピンが初めての留学でした。
私は留学前、フィリピンは発展途上国ということもあって良いイメージを持っていませんでした。そして、RASAジャパンのボランティアとして行くのだからなにか与えなければいけないとさえ感じていました。
しかし、実際行って生活してみると、現地の方たちから与えてもらうことの方が多かったです。私のことを家族同様に扱ってくれたり、私のことを第一に考えてくれたり、本当に親切にしてもらいました。
現地の方たちが電子的なものを使わずにその場にあるものだけで遊びを考えて生活しているのを見て、私は精神面の豊かさを感じたため心が安らかになった。
留学を通して、同じ言語でなくても理解しようと思いながら話せば理解できることを学びました。だからこそ、日本だったら同じ言語なのでなおさらお互いの理解がしやすいと思いました。
これからの生活では、コミュニケーションを自分から進んで取り、人との繋がりを大切にしていきたいと思います。
M.Mさん 椙山女学園大学2年 初めての海外ボランティア
私がこのボランティアに参加した理由は、海外へ出てみたいという興味とボランティアを通して自分の視野を広げたいと思ったからです。自分一人で参加を申し込んだので、楽しみより不安が強かったです。
学校建設場へ行って歓迎会をされ、ホストファミリーと出会うと、不安はなくなりました。フィリピンの人々が明るく優しく私たちを迎えてくれたからです。子供たちの素晴らしいマーチングを見たときはとても感動しました。
学校建設中は暑さとの戦いでした。最初は辛かったけれど、RASAのメンバーたちと一緒だったので、頑張ることができました。時々建設作業を見に来ている子供たちを見ると、この子達の笑顔が見たいと強く思い、作業に取り組み続けました。
休憩中はRASAのメンバーたちと自分たちのホストファミリーの話をしたり、学校の子供たちと追いかけっこやバレーボールや折り紙をしたりして、とても楽しかったです。
学校から帰ったら近所で暗くなるまでいつもバレーボールやバスケットボールをして遊んでいました。日本での生活に比べて、時間にゆとりをもって使うことができました。毎日はっちゃけていました。ホストファミリーと毎日たくさん会話をして、休日には一緒に遊びに行って、あっという間に一日が終わっていきました。
お風呂やトイレ、虫の多さで多少ストレスを感じたこともありましたが、辛いことがあっても日本に帰りたいと思わなかったのは、フィリピンの人たちのあたたかさがあったからだと思います。いつも優しくてフレンドリーで、毎日が幸せでした。英語でコミュニケーションをとってみて、あらためて言語の大切さを感じました。英語だけでなくタガログ語も教えてもらって、私が実際使ってみるととても喜んでくれました。私が日本語を教えると積極的に使ってくれて、私もとても嬉しかったです。お互いのことを知ろうとたくさん教え、教えられました。
フェラウェルパーティーで子どもたちと踊ったことは大事な思い出です。学校の名前が書かれたTシャツや自分の名前が書かれたマグカップをもらったときはとても驚いたし、嬉しくてしょうがなかったです。
ホストファミリー、学校の子どもたちと別れるときは本当につらかったです。いざ離れるとなると、涙が止まりませんでした。またビトン小学校へ行って、建設された学校で学んでいる子どもたちに会いに行きたいです。ホストファミリーにもまた会いたいです。
あっという間に終わってしまった18日間でした。エピソードがありすぎて困るほど濃い18日間で、このボランティアに参加して本当に良かったと思います。フィリピンのみなさん、RASAのメンバーのみなさん、本当にありがとうございました。この思い出は一生の宝物です。出会えたことに感謝します。
E.Sさん 南山大学1年 Philippines!!!!
フィリピンで過ごした時間は自分の想像以上にとても思い出深いものとなった。
フィリピンに行こうと思ったのはとてもシンプルな理由で、行ったことのない国に行ってみたいという考えからだった。このような理由で海外に行くことを決めたため、出発の直前になって不安を覚えた。治安や健康についてはもちろん一度も会ったことのない人と行動することにも不安があった。旅行ツアーではないので現地に着いたらその人たちと協力しなければならないことが余計に不安だった。そんななか私が立てたフィリピンでの目標がたくさんの人たちと話すことだった。
フィリピンではたくさんのことがあった。長いバスの旅から温かい歓迎、ホームステイ先での交流、一週間の作業の後のエクスカーション、手で食事をする文化体験、そしてフェアウェルパーティー。18日間は長いようで短く、密度の濃い時間を過ごすことができた。思い返してみれば、途中で体調を崩したこともいい思い出のように感じる。
フィリピンに行って良かったと感じた点は、自分の英語が他の人の役に立つということを実感できたことだ。問題が起きたときにきちんとコミュニケーションをとり、細かいところで誤解を生まず、またどちらにもわだかまりが残らないように間に入って話すことができて、自分の成長を感じられた。このことは自分の英語の自信に繋がり、今後も英語を使いこなせるようにしたいと強く思った。
18日間のフィリピンでの生活でたくさんの人と話すという目標があったが、フィリピンの人だけでなく、日本人の間でもたくさんの交流を持てたと思う。同じ学年で同じ学科で学んでいるにも関わらず見たことのない人たちがいたことにショックを受けた。自分の周りの世界は狭く外に目を向けることをしていなかったことを突き付けられた。
私には海外に行く機会はたまたまあり、その国で生活することもあった。しかしフィリピンでの時間は、旅行で行ったどの国よりも多くのことを学んだ。18日前までは見知らぬ人であったRASAの人たちは、帰りの空港では別れを惜しむほどの仲になることができ、目標のを達成することができたことに喜びを感じると同時に、二度と一緒にこの素敵な体験をすることができないことに寂しさを覚えた。
今後も積極的にいろいろなことに参加して自分の行動の範囲を広げ、もしホストファミリーに会いに行く機会があれば成長した姿を見せれるようにしたいと思う。
F.Iさん 南山大学2年 RASA フィリピンボランティア
僕はフィリピンに行く前、楽しみという思い以上に不安の気持ちが何倍も強かったのを覚えている。
自分はそれまでに海外に行ったことがなく、それも3週間いきなり行くということに心配していた。また英語も本当に喋れないし、フィリピンの人とコミュニケーションを取れるか非常に不安だった。だけど、日本に帰ってきて思ったのは、本当に行って良かったということ、このような心配はなにもいらなかったということである。自分の英語力の低さでも自分の言いたいことを伝えることができた。それは、フィリピンの人たちがすごい聞こうとしてくれたおかげだと思う。
フィリピンに行って、感謝も気持ちと出会いの大切さを今まで味わったことのないくらい感じることができた。日本に帰りたいと思うことは一度もなかったし、むしろ帰りたくないと思うことが多々あった。RASAのメンバーもとても特別な存在に感じたし、こんなに濃い3週間は味わったことがなかったし、この先も味わえないと思う。アバヤの人たちは、時間や心に余裕があり、自分もアバヤにいると、その心の余裕が移って自分まで幸せな気持ちになった。アバヤに住んだほうが日本にいるより幸せなのではないかと感じるほどいい場所だった。別れるときにかなり寂しくて涙が止まらなかったけど、それは会えないということよりも、アバヤの人たちやビトン小学校の子供たちの未来をこの目で見ることができないという悲しさがあったからだと思う。
僕はまた二年後に戻ろうと思う。そして本当にRASAのこの活動に参加してよかったと心から思っている。これからも、このようなわくわくするような新しいことをしていきたい。
Y.Tさん 南山大学1年 フィリピンで学んだこと
このRASAのボランティアに参加した動機はすごく単純なものだった。
ただ友人に誘われたからと、春休みに特に予定もなかったからである。だがこの約3週間のボランティアを通して学んだことは数え切れない。その中でも特に二つのことを書きたい。
まず一つ目は、フィリピンという国の現在の姿である。このボランティアに参加する前は、フィリピンは貧しい国で、ほとんどの家庭はテレビなどの電化製品はないものだと考えていた。しかし実際は、マニラには日本のものと変わらない規模のショッピングセンターやコンビニ、ファストフード店があり、ホームステイをした地域では、多くの人がテレビはもちろん、スマホやiPodをもっていた。一方で、洗濯機やシャワーはなく、水道は夜10時以降使えないし、家の造りも豪華とは言い難いものであった。また、現地で知り合った自分達と同じくらいの年の人達によると、フィリピンではバイトはもちろん、仕事を探すのが難しく、大学を出たら大抵海外で働くそうだ。しかし彼らの様子を見ていると、贅沢はできないが、今の生活がつらいと思っているようには見えなかった。むしろ日本の若者よりも幸せそうに見えた。またそのようなフィリピンのこと知ることによって、日本の環境がどれだけ恵まれたことなのかにも気づけた。蛇口をひねれば、安全な水やお湯が簡単に手に入り、バイトも苦もなく探すことができる。当たり前だと思っていることも、国が変われば、恵まれたことなのだということを体験することができた。
二つ目は、人とのつながりの大切さだ。日本にいるときは、学校が終わればあまり人と関わることがなかった。しかしこのボランティア期間中、一人でいるときというのは、寝るときだけで、それ以外は他のメンバーと一緒にいるか、ホストファミリーや近所の子ども達と話したり、遊んだりしていた。毎日特別なことをしているわけでもなく、同じことの繰り返しではあったが、一日たりともつまらないと感じたり、一日を無駄に過ごしていると思うことはなかった。このような生活を通して、幸せや充実感とは、物質的豊かさなどではなく、人と直接コミュニケーションをとることによって感じられるのだと考えるようになった。日本にいたときも、友人や家族とのつながりが大切であることはわかってはいたが、フィリピンでホームステイをしなければ、それがなぜ大切なのか、大切にすることによって、何を得ることができるのかを知ることは決してできなかった。
単純な理由で参加したこのボランティアだったが、得たものはとても多く、参加して本当に良かったと思っている。この経験を活かして、今後の大学生活をより良くしていきたい。
Y.Mさん 南山大学1年 フィリピンでの18日間
マニラの空港に着いた時のことを今もまだはっきりと覚えています。あたたかい風、甘い香りが、どこか現実味がなかった私を「私はフィリピンに来たんだ」と実感させてくれました。
正直なところ、最初は不安しかありませんでした。英語力もなくて体も強くない私が、日本から3000㎞以上も離れた場所で上手くやっていけるのだろうか。不安は日増しに強くなり、フィリピンへ旅立つ前日は怖くて眠れませんでした。いざフィリピンに着いてしまっても、不安は払拭されるどころか増長する一方で、ウェルカムパーティの日はがちがちに緊張してしまい、初めて会うホストファミリーとまともに口をきくこともできませんでした。
しかしそんな私でも、ホストファミリーの方々は優しく受け入れてくださいました。私の拙い英語に耳を傾け、理解しようとしてくれました。初めは全然伝わらなかった。言葉や思いが、徐々に伝わるようになっているのが分かったときは本当に嬉しかったです。最初の不安はどこへやら、ホストファミリーだけでなくアバヤ全体が家族のように生活を共にしました。一緒に折り紙を折ったり、エンパナダを食べに出かけたり、バーベキューをしたり……思い出すとキリがないくらい、毎日が充実していました。笑って、食べて、働いて、遊んで、へとへとに疲れてぐっすり眠る。当たり前のことなのかもしれませんが、日本いる時は忘れていた何か大切なものを思い出させてくれたような気がします。一日一日が驚きと発見の連続でした。
だからこそお別れの時の寂しさは、言葉では言い表せません。18日間という日数は長いようでとても短かったです。私は、フィリピンで生活した18日間を絶対に忘れません。子どもたちの「Don’t forget me.」と泣きながら言った言葉を絶対に絶対に忘れません。
私が大学を卒業する3年後の春休み、もう一度この地を訪れるつもりです。その時に胸を張ってみんなに会えるよう、フィリピンで生活していた時のように毎日を精一杯、全力で生きていこうと思います。
K.Iさん 椙山女学園大学1年 RASAボランティア
海外ボランティアに参加してみたいという軽い気持ちでこの活動に参加しました。しかし、たくさんの楽しく、面白い一生の思い出をつくることができました。
初めは、正直不安な気持ちがありました。英語もうまく話せないため、ホストファミリーとうまくやっていけるか、参加したメンバーとも仲良くできるのか、参加する当日までとても緊張していましたが、この不安はすぐになくなりました。ウェルカムパーティを終え、ホストファミリーが紹介されたとき、私を見てすぐ名前を呼び、ハグをしてくれました。あの時の笑顔は一生忘れないです。その後、人生で初めてバイクに乗せてもらい家に向かいました。家に着いた時全員が英語で話しかけてくれてとてもうれしかったです。日本と生活環境が違うため、心配していたこともありましたが、お風呂の入り方や、トイレの使い方も教えてもらい日本と同じような生活を送ることができました。私が住んでいた地域はほぼ全員が親戚だったため、近所の家に遊びに行くことも多く、朝から子供たちと遊び作業に行き、作業後は子供と大人とバスケをしたり、バレーをしたり、たくさんの人と関わることができました。日本のようにゲームやスマホで遊ぶ人が少なく、バイトの時のように時間を気にすることがなく、毎日がとても穏やかで楽しかったです。
作業中は暑いと思うことは多くありましたが、汗を流しながらの砂ふるいやバケツリレーはやりがいを感じることができました。また、休憩時間に班のメンバーと話したり、子どもたちとは走り回ったり、折り紙をしたりいつでも楽しいと感じました。そして、子供たちの笑顔や純粋さに魅了され、幸せに感じることもたくさんありました。
しかし、反対にショックを受けることもありました。マニラでは、子どもが観光客にお金を求めていたり、道端で寝ていたり、日本との差を感じることも多く、日本がいかに平和で安全であるか感じました。このフィリピンの現状を知り、伝えていくのも私たちの役割の一つなのかなと感じることもあり、日本の生活が当たり前と感じてはならないと思いました。
私たちができることは少ないと思いますが、この活動を通して、子どもたちの笑顔を見たり、多くの人にありがとうと言ってもらえたりして、少しは彼らの役に立てたのかなと感じました。フィリピンの人との関わりや、作業を通して、人の温かさや、国の現状、見方、私たちがこれからどう生きていくか学べた気がします。
この活動に参加して本当に良かったです。もっと多くの人にこの活動に参加して、多くのことを学んでもらいたいです。
最後に、18日間ありがとうございました‼このメンバーで活動できて本当に楽しかったです。
A.Kさん 椙山女学園大学2年 フィリピンで学んだこと
私がこのRASAの活動に参加しようと思ったきっかけは、昨年度に参加された先輩方の文集とDVDを見たことでした。文集の中で出てくる言葉は絆や感謝という言葉。DVDでは先輩方のたくさんの笑顔が溢れていました。とても暖かい気持ちになれる先輩方の表情と文章に惹かれ、この活動に参加を決めました。
フィリピンから帰ってきて私は多くのことを学んだと思います。まず、印象や偏見で物事を判断せず、ちゃんと知ることの大切さです。RASAの活動に行く前、フィリピンのイメージは発展途上国というイメージで、あまり良い印象はなかったです。そんな中、フィリピンでは沢山のものを見て、体感しました。特に、スモーキーマウンテンの見学は強く印象に残っています。スモーキーマウンテンについて初めて知った時、マイナスなイメージばかりを抱いていました。しかし、スモーキーマウンテンは一つの街でした。そこには生活する人がいて、沢山の子供達の声が聞こえました。今となっては私にとって、フィリピンは特別で、大好きな国でもあります。それはきっと、フィリピンでの沢山の出会いがあったからだと思います。
特に、ホストファミリーとの出会いです。ホストファミリーは私のことを快く迎え入れてくれました。朝食を一緒にとってくれたり、お風呂のお湯を沸かしてくれたり、色々な場所を紹介してくれたり、どんなことをする時でも優しくしてくれました。それは私のホストファミリーに限らず、現地の方は私達に同じ愛情をくれました。体調が悪くて休んでいたら、なにも言わずに側にいてくれたり、私に合わせて簡単な英語で話しかけてくれたり。挙げれば切りが無いほど、親切にしてくださいました。
フィリピンから帰ってきて、私は「ありがとう」と自然に言えるようになりました。きっと、ABAYAの人の優しさにたくさん触れられたからだと思います。そして、全てに感謝する気持ちに改めて気づきました。当たり前に思っていた自分の生活を見つめ直してみると、とても恵まれていて幸せです。自由で、沢山のことを学べて、家族と一緒に暮らせているこの状況に対してもっと感謝の意を持たなければならないと思います。
それと同時に、この生活はどんな国でもどんな地域でも行わなければならないことだと思います。子供が笑顔で自由に学べる環境は差別なく与えられなければなりません。その手助けをするのがRASA活動の一つであり、これから、私ができることがあるならば、今後もこのような活動に関わっていきたいと思いました。
T.Tさん 南山大学2年 T2015 RASA まとめ
フィリピンは第二の故郷です。
2年続けての参加となりましたが、前回の体験や思い出と今回の経験を比べることはできません。それぞれがかけがえのない思い出として残っています。フィリピンの人々は日本人のような外国人に対する抵抗感は一切無く、親切さに溢れています。
また、日本人ボランティアに対して伝統舞踊を熱心に教えてくれる姿勢は忘れられません。言葉の壁に苦しみながらも踊り方を理解しようとがんばりました。本番では伝統衣装に身を包み、現地の人たちと一緒に踊ることができてとても楽しかったです。
フィリピンでのシンプルな生活を通して日本でのモノに溢れた生活を考えると、モノを手に入れやすいことが裕福というわけではないということを再確認できました。また、彼らの生活している姿を見ていると何にも縛られていない、何にも追われていないように感じました。
しかし、将来フィリピンがさらに発展すると現代日本のような閉鎖的な社会になってしまわないかということが心配です。フィリピンの発展を願うとともに彼らの大切な伝統文化、シンプルな生活を守っていってほしいです。
K.A さん 南山大学2年 18日間を終えて
2015年2月14日、私は20歳という節目の日に人生初の海外へRASA JAPANの一員として出発しました。
〝海外ボランティア〟ということに対して中学生の頃から漠然と興味を持っていましたが、いざ自分が行くことが決まると最初は全く実感が湧きませんでした。カタコトの英語、日本よりはるかに貧しい国で18日間も生活できるのだろうか、治安の悪い場所だったらどうしようか、などと考え出したら不安が止まりませんでした。しかし同時に、この旅は絶対私の人生にとって大きな分岐点となるだろう、という確信もありました。
18日間を終えてみて、まず言いたいのは「参加して本当に良かった」ということです。
これはきっと今回の参加者全員が思っていることなのではないかと思います。私たちの行ったビトン小学校ならびにお世話になった周辺の集落は本当に平和で、日本のように何でもあるわけではないけれど、日本人より生きていることを楽しんで幸せに暮らしていました。便利がすべてではないんだということをつくづく感じさせられました。
ボランティアも実際に汗を流して機械をほとんど使わず行うもので、大変ではありましたが達成感は素晴らしいものでした。また、同じフィリピンでも様々な面があり、ひとつの国の中でも環境の差を見ることができました。こうした経験は単なる海外旅行や日本国内ではなかなかできません。
さらに、今回のRASA参加者はみんなすぐに打ち解け、助け合い、気遣い合うことのできるメンバーに恵まれて、仲間の大切さや協調性について改めて考えることができました。同じ経験をしたこの仲間はこれからもずっと大切にしたいと思います。
この18日間で得た感覚を自分の成長へ繋げていけるように、もっと外の世界から見つめ直していきたいと思います。このボランティアに関わってくれた全ての人に何度もありがとうと伝えたい、そんな濃い18日間を過ごせて幸せです。ありがとうございました。
K.Iさん 南山大学1年 フィリピンでの滞在を通して
まず、フィリピンでの滞在を通して、たくさんの出会いがあったことに、とても嬉しく感じています。フィリピンのホストファミリーや小学校の子供たちはもちろんのこと、他大学の子や他学部の子との関わりを持てたことは大変よかったです。これからも連絡を取り続けたいなと思っています。
また、日本とフィリピンでの生活の違いを学びました。今回は山奥での生活だったので、生活の違いはとても顕著であったと思います。まず、驚きを隠せなかったのは、トイレとシャワーです。トイレは水洗ではなく、さらに便座がない。シャワーといっても、シャワーらしきものは見つからず、ただ大きな桶、小さな桶が置いてあるだけ。これは完全にカルチャーショックでした。ニュージーランドに滞在したときにバスタブがなくシャワーだけだったときにも少しショックを受けていたのに、それ以上のものがあるとは思わなかったです。
他には、バイクの二人乗りや三人乗りが当たり前で、中学生くらいの年齢の子が運転をしていたことです。最初に乗ったときはとても不安でしかたありませんでした。どれもこれも、時間がたてば慣れてしまい、それらのことが当たり前のように感じるようになっていました。日本と違って、ネットの環境もあまり整っておらず、不便だなと感じることはたまにあったけど、使う必要もなかったので、日本にいるときと同じように、携帯の充電がなくなりかけると不安になるということはなく、とても人間的な生活を送れていたのだと思います。
これは、村が計画停電で夜八時まで電気がなく真っ暗で、ろうそくの光を頼りに時間を過ごしていたときにも感じました。そこまでになると、不安や恐怖というものはなく、逆に、好奇心であったり、良い経験になるなと思ったりするようになりました。
どの経験もすべて、私がこれから生きていく中での糧になったと思います。フィリピンの山奥で二週間ほどすごし、どんなところでも生きていけるのではないかと考えました。フィリピンに旅立つ前日に熱を出してしまって、当日熱は下がっていたものの、行こうか行かないか迷っていましたが、行くという判断をして本当によかったです。
また時間とお金と都合が合えば、RASAに参加したいと思うし、参加できなくても、ホストファミリーのところにはもう一度会いに行きたいと考えています。
またこの経験を友人や後輩に伝えて、RASAに興味をもってくれる子を増やしたいなと思います。ボランティア経験だけではなく、地元の人たちと同じように生活できることは何よりも素晴らしかったです。
Y.Oさん 南山大学1年 RASA感想
私がフィリピンでの生活で印象に残っていることは、みんなが笑ってすごしていたことです。
近所や小学校の小さな子だけでなく、まわりの大人もたくさん笑っていました。
小学校で子供たちと遊んでいたとき、転んだ子がいました。
日本でもよく見える光景で、日本だったらその子は大泣きでまわりの大人もすぐに駆け寄っていくような光景だったと思いますが、フィリピンの子たちはすぐに立ち上がって笑いながらまた遊びはじめました。
すごく印象的でした。そういった場面以外でも、日常生活の中でほんとうにたくさん笑っていました。
そういう笑っているところを見るとすごくあたたかな気持ちになるし、慣れない暑さでの疲れなんかもすぐに吹き飛びました。
だから、私も笑っていたいって思いました。
T.Oさん 名古屋大学1年 RASAボランティアを終えて
『RASAでフィリピンにいくと、人生が変わる人もいるんだよ。』理事長の藤井さんは初対面の私にそうおっしゃいました。
その時の私には、その言葉はいささか大袈裟に聞こえました。たった18日間の滞在で、それは言い過ぎではなかろうか、と思ったのです。しかし、今回のボランティアに行って、見聞きしたこと、感じたことによって、藤井さんの言葉は本当だった、と思えるほどに、有意義で刺激的な日々を過ごすことができました。
今回、RASAのボランティアに参加したきっかけは、祖父母に勧められたことでした。祖母はこのボランティアに10年程前に参加したことがあり、きっと孫の私にとってもためになるだろうから、と思ってのことだそうです。このような経緯で参加した私は、大学も違えば当然RASAに知り合いもおらず、はじめはメンバーと馴染めるかが心配でしたが、それは杞憂に終わりました。少し話してみるとどのメンバーも非常に感じがよく、人と仲良くなるまでに時間がかかる私でもすんなり輪に入れたような気がします。その後の日々は学校建設の作業も含め、非常に楽しく、充実していました。
思えば、私は周りの人に恵まれていました。上で述べた通りメンバーはいい人たちでしたし、ホストファミリーは私を温かく迎え入れ、そして家族同然に扱って下さりました。ホストマザーのHelenや姉のGeralynと、日本とフィリピンの違いや、それぞれが抱えている問題点、そして将来について語り合ったこと、他の兄弟に学校までの送り迎えをしてもらったり、トライシクルというサイドカー付きバイクに乗せてもらったこと、ファミリーの為に頑張って作ったハヤシライスやクリームシチューを喜んでもらえたこと、他にも色々とありますが、どれも忘れられない思い出です。また、村の子供たちとは毎日作業の合間に一緒に遊び、作業後もどこかへ連れて行ってくれて、遊んだりお喋りをしたりしました。どの子もとても純粋で、人懐っこく、好奇心旺盛でした。このような方々に出会えただけでも行った価値があった、と思える程に善い人ばかりでした。
このように善い人たちに巡り会い、充実した毎日を過ごす中で、気付いたこと、考えさせられたことがあります。まずは、物的な豊かさと心の豊かさ、幸福度は比例しないということです。お世辞にも良いとは言えない環境の中で生きているフィリピンの農村の人々の方が、経済的に豊かなはずの日本人よりもよほど幸せそうでしたし、精神的な余裕を持っていました。そこには人との関わり方も関係していると思います。核家族化が進み、またスマートフォンなどの普及も進んでいる日本では、つい人との連絡をメールや電話で済ませてしまいがちで、人と面と向かって話す機会が少なくなりがちです。対して、フィリピンの今回行った村では、人は皆、家族や村の仲間と毎日顔を合わせて話していましたし、村全体が家族同然の付き合いをしていました。このような親密な関係は幸せに暮らすにあたって重要なのだと感じました。
2つ目は、初対面の人と仲良くなるには、笑顔で手を振るなど、どんな形でも良いので相手に心を開き、歩み寄る姿勢を見せた方が良いということです。村の子供たちと仲良くなれたきっかけはみんなで追いかけっこをしたことでしたし、ホストファミリーと打ち解けられたのはささいな会話がきっかけでしたが、「距離を縮められたな」と最も強く感じた瞬間は現地の方言を使ってみた時でした。英語が通じるところで敢えて相手の言語で話すことは一見無駄かもしれませんが、それによって相手のことをもっと知ろうという意欲が分かってもらえたのかな、と思いましたし、逆にその後は日本語を覚えてもらえたりして、より一層仲が深まりました。
3つ目は、英語の重要性です。当然ですが、共通で使える言語は英語しかありませんでしたし、約束事をしたり、意見を言ったりと、言葉無しではどうにもならない場面ばかりでした。相手と分かり合える言語が一つあることのありがたみを痛感しましたし、逆に伝えたい内容を伝えるだけの語彙力が無く、歯痒い思いをしたことも多々ありました。その上で、会話において辞書を使わないようにしたのは良かったと思います。身振り手振りを交え、無理矢理にでも伝えることも、伝える力の内なのだと思いましたし、うまく伝わらない歯痒さも、今後に活かそう、と思えたからです。
以上が今回のRASAのボランティアの感想です。このように、ボランティアに行ってフィリピンの貧しい人々の為に頑張るはずが、歓迎してもらい、自分の知らない世界を体験させてもらって、そして色々なことを感じ、考えることで、逆に多くのかけがえの無い物を彼らからもらって帰ってきました。ここには書ききれないほどの思い出ができましたし、日記を読み返してみても、そのときの情景が蘇ってくる程に、それらは私の中に鮮烈に残っています。最後になりますが、このような貴重な機会を下さったRASAのスタッフの方々や、メンバーの皆さん、そして温かく迎えて下さったフィリピンの方々には心から感謝しています。
この経験がどこかで必ず活きてくると信じていますし、これからも多くの若者がRASAでこのような体験ができることを心より願っています。ありがとうございました。
H.Sさん 椙山女学園大学3年 フィリピンでの生活を終えて
私にとってのフィリピンでの18日間は人生の中で間違いなく一番濃い18日間でした。
私にとっての初めての海外で、もちろん不安もありましたが、楽しみの方が何倍も上回っていました。日本を出て、異なる文化を体験したい、何か少しでも役に立ちたいと思って参加を決めました。そして、とにかく色々なことを吸収して、成長したいと思いました。
先輩からの話から、フィリピンは自然がたくさんあって、田舎だとは聞いていましたが実際行って見て、私の予想を遥かに超えた田舎で驚きました。まさかニワトリの声で朝起きるとは思っていなかったし、豚も牛もヤギも犬も、とにかくたくさんの動物がいて、山に囲まれていて、とても驚きました。
ビトンに着いてはじめに、子供達が歓迎のパーティをしてくれて、とても可愛くて嬉しかったです。ホストファミリーとはじめて顔を合わせた時は、緊張しました。
私は英語が話せないので、言葉が通じないことの不安でいっぱいでした。みんなと離れていざホストファミリーと私一人になると、緊張してしまって、英語喋れないから、、と思って自分から話しかけることが出来ませんでした。休日はホストファミリーと過ごすのか、と不安でした。
だけど、そんな不安もすぐになくなりました。平日作業終わってからはアバヤの誰かのメンバーの家に集まったり、バスケコートに集まって暗くなるまでみんなで遊んだり、みんなと過ごす時間が長くなってだんだん打ち解けることができました。
言葉は繋がらなくても一緒の時間を過ごすことで、楽しいとか嬉しいとか、共有することが出来るんだなぁと本当に思いました。休日も、初日はきてほしくないと思ってしまっていたけど実際きてみたら、ホストファミリーと過ごして、とても楽しかったです。
ホストファミリーは私に本当の家族のように接してくれました。いつも私の英語を一生懸命聞き取ってくれようとして、たくさん話をしました。私が行きたいって言ったところには必ず連れて行ってくれました。本当に優しくて、離れるのが辛く悲しかったです。またいつか必ずアバヤに戻って、ホストファミリーに会いに行きたいと思います。
フィリピンの人のあったかい人柄と、人懐こい子供達のにぎやかな声と笑顔に触れることができ、そんな人たちに囲まれて幸せな毎日を送ることが出来ました。楽しいとかじゃなくて、幸せって言葉がぴったりだなと思います!学生ボランティアのみんなも本当にいい子達ばかりで、たくさん話してくれてすごく嬉しかったです!
日本ではインターネットがあるのが当たり前で、環境も整って便利な部分はたくさんあるけど、それがなくてもフィリピンの方が日本より幸せだと感じました。人間関係のめんどくさい所もなくみんなが仲良しで広い心を持っています。
日本にはないものをたくさん持っていると感じ、本当の幸せってなんだろう?と考えるきっかけになりました。
それから、私は今回現地でリーダーをやらせていただいて、みんなに妖怪ウォッチのダンスを教えました。現地の子供達も楽しそうに踊ってくれたことがなにより嬉しかったです。みんな協力してくれて、本当にありがとうございました!
M.Aさん 南山大学1年 Salamat!!!
私はこのフィリピンでの学校建設ボランティア、ホームステイを通して、フィリピンに対する考え方が変わり、また様々なことに対して改めて考え直すようになりました。
まず、フィリピンへ行く前は発展途上国ということから、自然豊かである一方少し怖いイメージ、あまりきれいでないイメージなどがありました。でも実際フィリピンの人々はみんな親切で温かく迎えてくれ、近所同士、人同士の強いつながりがあり、自由にのびのびと暮らしていました。
お風呂では冷水を浴びたり、トイレは便座がなかったりと、日本と比べて設備は整っていなかったけれど、そんな不便さも感じさせないほど毎日の生活が充実していました。私たちは毎日の建設作業のあとには自分の住む地域の人同士で集まり、みんなでバスケットボールやバレーボールをしたり、ときにはどこかの家に集まってホームパーティーやカラオケ、バーベキューをしたりなど毎日いろいろな人と話し、楽しく過ごしました。
休日のある日は、他の日本人の子がホストファミリーと街へ出かける一方、私はホストファミリーとフィリピンでの日常生活を経験させてもらいました。午前中は教会へ行き、午後はホストファミリーが営んでいる畑を案内してもらい、また川で夕食のための魚を釣りに行きました。作物の収穫作業や釣りは近所の子供たちも一緒になって手伝ってくれ、それが終わるとまたいつものようにみんなでスポーツをする、そんな生活でした。私はこの日、畑に行った際に携帯電話を落としてしまったのですが、それをホストファミリーや近所の子供たちが必死になって探してくれ、それがとても嬉しかったです。
こんな毎日の生活を通して、私は“幸せ”というものを強く感じました。“幸せ”、、、今まであまり深く考えたことはなかったけれど、自分の望むことを何不自由なくできるからといって幸せというわけではないと感じました。やはり、人とのつながりを大切にし交流を深め、そこで喜びや悲しみ、いろいろな感情や出来事を共有し、信頼関係が生まれ、感謝の気持ちを忘れずに過ごす、、、そういううちに心が豊かになり、その心の豊かさが本当の豊かさであり、“幸せ”が生まれるのかな、そんなふうに感じました。
世界にはさまざまなかたちの幸せが存在しているのだと感じました。でもやはり幸せと感じられるのは人とつながっているからこそあるものです。日本人が人とのつながりを大切にしていないわけではないけれど、特に今の若者は人とのつながりをSNSに頼っている人が多いような気がします。思いやりや感謝の気持ちを常に持って、本当の意味での人とのつながりを大切にして過ごしていきたいと強く感じました。
そんなことを感じられたフィリピンでの生活、フィリピンの方々やRASAのみんなと過ごした時間は一生の宝物です。本当にありがとう。Salamat!!!
T.Hさん 南山大学2年 RASA フィリピンでの生活
私がRASAに参加しようと思った理由は講義とバイトとグダグダな日常から抜け出し非日常の生活を味わってみたいと考えたことがきっかけでした。
動機どおり18日間の非日常は夢のように楽しく充実した時間になりました。まずこの18日間で成長できたと感じることが多々あります。自分自身海外での生活は初めてのことでその暮らし・生活・人間関係すべてが不安でした。しかしRASAのメンバーをはじめスタッフの方々にも恵まれて建設作業や様々な異文化に触れることができました。
一番心に残っているのはアバヤ地区での生活です。アバヤでは時間がゆっくり流れていて時計など見るほど時間に終われなくのびのびとした生活を送ることが出来ました。私は建設作業を終えるとすぐに友人の家に行き、そこのホームステイ先の人々と話したり近所の子供たちとバスケやバレーボールをしたり言葉があまり話せなくても十分楽しめました。あまりに遊びすぎて夜中にホストマザーが迎えに来てくれました。笑 そして門限が定められてしまいましたが、それでも遊び続けていたら村の人がみな私の顔を認識しているのでどこで何時まででも遊んでいて良い、いわゆる up to you と言われて気分が高まったことを今でも思い出します。
休日も山で魚釣ったりバスと馬車で移動してビガンで買い物したり、普段の休日では体験しえない日々をすごしました。驚いたことは村での色恋沙汰や面白いことはうわさとして一瞬で村中に広まるということです。市場へ買い物に行ったり、公園へ散歩したり、家族全員でプールへ行ったり、日本ではこんなに家族と過ごしていなかったので、とても楽しく幸せでした。
それと同時に、日本での自分の生活を恥ずかしく思い、もっと家族との時間を大切にしたいとおもいました。また、とくに用事はなくても話しかけてくれて、会話の大切さ、感謝の気持ちや思っていることを素直に言葉で伝えることとの感謝の気持ちや思っていることを素直に言葉で伝えることとの大切さを知りました。フィリピンの文化などについて教えてくれました。私が少ししか英語をしゃべることができないので、何度も私が理解するまで簡単な英語にして、教えてくれました。フィリピンに行って、もっと家族と話したいので英語を勉強しようと思えることができました。また、フィリピンの文化についてもっと知りたいと思いました。
ホームステイしている間は、毎日ご飯は誰かと一緒に食べたり、自由な時間は誰かがいつも一緒にいてくれました。なので、日本の家族と離れていても寂しいと感じることはありませんでした。
最後の休日にスラム街のスモーキーマウンテンを訪れ、「生まれながらの貧困」を目の当たりにし、衝撃を受けました。誰もが平等に教育を受け、努力する機会を得られる社会を築くことの大切さを痛感しました。今回の体験を通して、以前の私の世界観は変わりました。
今まで私は狭い視野で物事を考えていたがこれからは広い視野で物事を考えなければいけないことに気づきました。21万という費用で今回参加させていただきましたが、金額でははかることができない体験ができました。これを安いと思うか高いと思うかは本人次第ですが、文集やサイトでこのような企画を知ったのなら是非参加してほしいと思います。
最後に私を支えてくれた人達に感謝の気持ちを伝えたいと思います。「Thank you for everything 」
S.Nさん 南山大学2年 フィリピン研修を終えて
私が今回このRASA-JAPANのボランティアに参加したのは、人の役に立ちたいとか教育向上に貢献したいとか、そのような大仰な目的ではなく、「春休みにとくにすることがないから」というひどく単純なものでした。
しかし、このボランティアは私の予想を超えた素晴らしい経験と成長を私にもたらしてくれました。当初私は、ボランティアについて土木作業をして学校の建設を手伝うだけのことだと思っていました。もともと人付き合いが苦手というのもあり、なかなかほかのボランティアの子たちと話そうという気が起きませんでした。しかし、ボランティアというのは本来大勢で行うものです。そういう私の態度が出ていたのか、最初はなかなかみんなに馴染めず、フィリピンの子供たちと遊んでばかりいました。
そのためますます素直に感情表現ができず、どんどん態度が頑なになっていき、印象が悪くなる一方でした。
しかしある日、そういう私の態度を諌めてくれる友人や、先生と出会うことができました。「最初であったとき、黙ったままで笑顔も見せず言葉遣いが刺々しかった」などと、私としては耳が痛くなる言葉でしたが、普段目を背けがちな自分の欠点を遠慮なく指摘してくれました。その指摘を聞いて、自分の印象がどれだけ悪かったか、周りの人たちに馴染んでいなかったのかに気づき、大学生にしては子供じみた態度に恥じ入るのみでした。
遠い異国で団体でボランティア活動をするのに、協力し合い、話し合うということは不可欠です。一人で生活が送れるわけもないのに、そのことをないがしろにしてはどうにもならないということがようやく理解できました。人間は第一印象が一番大事です。それをないがしろにする人間の話など聞いてもらえるわけがないし、相手にされることもない。そんな当たり前のことにようやくフィリピンで気づくことができたのです。そんな私にいつも優しく接してくれたホストファミリーには感謝で頭が下がる思いです。
私のつたない英語も一生懸命理解しようとしてくれ、建設作業で疲れて帰ってきた私に美味しい料理を作ってくれました。休日には町に遊びに連れて行ってくれたりと、実の家族同然に良くしてくれました。あのフィリピン料理の味は生涯忘れられません。
第一印象の重大さ、相互協力の不可欠さ、人との会話の大切さなど、かけがえのないものを学び、ただ普通に生活しただけでは得ることのできない無数の体験をすることができました。
今後も自分を磨くことを忘れず、謙虚であることを常に心がけていきたいと思います。そしてさらに人間的に成長して、今度は自分の力でホストファミリーに会いに行きたいと思います。
最後に、フィリピンでの無数の経験のきっかけを与えて下さったRASA-JAPANの方々、ホストファミリーの皆やボランティアで出会ったすべての人々に感謝を込めて。
E.Kさん 椙山女学園大学3年 フィリピンボランティアに参加して
私は、以前からボランティア活動に興味があり、このRASAフィリピンボランティアにも以前から参加したいと思っていました。
しかし、今年から時期が春になり、ちょうど就職活動開始時期と被ってしまう事などから、すぐに参加に踏み切ることができませんでした。そこで、過去にこのボランティアに参加した大学の先輩・友達などに相談すると「絶対行った方がいいよ!!」と、皆が顔を光らせて笑顔で話をしてくれました。
皆の笑顔を見て、RASAのフィリピンボランティアでしかできない体験があるのかもしれない、と思い当初の好奇心を胸にRASAのフィリピンボランティアに参加を決めました。
ですが、任して貰った現地のダンスリーダーの役割やその時の多忙な状況などもあり、正直なところ出発前日まで不安でいっぱいでした。
現地についたとき、現地の子供たちが重たい楽器を抱え、長い時間私たちの到着を待ってくれていたことに大変驚きました。そして、何カ月も練習してきたんだろうなという事が伝わってくる心のこもった音楽の演奏を、私たちのために披露してくれました。そんな子供たちの姿を見て、本当に感動しました。そして、現地のダンスリーダーとして、気持ちでは彼らに負けないくらいのダンスを披露しようと決めました。
実際、はじめてのフィリピンでの生活は、衛生面など非常に過酷に感じる時もありました。途中体調を崩すこともありましたが、ダンスの練習だけは休まないようにし皆の状況を把握しようと心がけていました。最後の発表では、現地の子供達も一緒にアンコールとしてダンスを踊ってくれ、現地の人々と心を通わすことが出来たと思っています。
どんなときもキラキラ輝く笑顔で私に元気をくれたフィリピンの子供達に、今後も何らかの形で貢献していきたいと思いました。フィリピンで学んだ事はここには書ききれない程たくさんあります、本当に参加してよかったと思いました。
このような充実した経験が出来たのは、参加者全員の助け合いや思いやりの心があったからだと思います。
今は本当の家族のように接してくれたホストファミリーや現地の村の人々、またこのような機会を設けて下さったRASAメンバー全員に感謝の気持ちでいっぱいです。18日間ありがとうございました。
E.Tさん 椙山女学園大学1年 貴重な人生経験
日本を離れ、海外に行くことは勇気がいることだと思います。
言葉の壁にぶつかったり、文化の違いに圧倒されたり、
旅行でしか海外に行ったことのなかったわたしには想像でしかありませんでした。
実際にフィリピンに18日間滞在して、肌で感じることが出来ました。
自分の気持ちが伝わらないもどかしさや日本での当たり前が通じないこと
だからこそ、たくさん吸収して帰国することが出来ました。
家族に会えなかった18日間があったからこそ、大切さを知ることが出来たり、
フィリピンで子供たちの必死に勉強する姿に刺激をもらったり、
自分の生き方を見つめ直すきっかけになった18日間でした。
勇気を出してこのプログラムに参加してよかったです。
全ての出会いに感謝しています。
Y.Tさん 南山大学2年 RASA!
わたしにとって初めてのフィリピン滞在の理由が、RASAで良かったと心の底から思っている。
一年生の時、学校の立て看板に貼ってあったこのRASAの活動には、とても興味があったが参加費を知って諦め続けていたわたしをフィリピンに行かせてくれたのは、前年の参加者である友達の思い出話だ。実際に行って、自分の想像を上回る体験ができた。
フィリピンで初めに滞在したマニラでは、急成長しているフィリピンの闇の部分を垣間見た気がした。ずらっと並ぶ風俗店、あちこちにいる怪しげな大人達。物乞いをしてくる女の人が抱いている赤ん坊も「借り物」であるということを聞いて、とてもショックを受けた。
しかし、次の日に到着したわたしたちが過ごした場所は、穏やかに時間が流れる心地よい場所であった。サンビセンテで過ごしたあの時間は、本当に楽しかったのと同時に、とても大切なことを思い出すことができた。
まず一つ目が、家族や友達と過ごすということの大切さだ。わたしは日本にいるときに、バイト三昧の日々を送っていて、家族と一緒に夕飯をとることがほとんど無かった。一日の間に、弟と会話をしない日もあったくらいだ。しかし、フィリピンでは3食必ず誰かと食べて、更に休憩しながらおやつまで食べた。夜ご飯を食べ終わったら、家族とテレビを見たり、ホストマザーと一緒にお店に立ったり、家の前で友達と話したり・・・。こんなにも時間を気にせず、ゆったりしながら誰かと接するのはいつぶりだろうかと考え、日本に帰ったら、家族や友達との時間を大切にしようと思った。
また、現地の人を見ていて、良くも悪くも彼らは愛情表現の仕方が素直で、素敵だと思った。自分が誰かのことを好きだということを、あまり隠さず表現する彼らのやり方は、日本では見られないから、たまにどうしたらいいのか分からなくなったときもあったが、それでもこんなふうにできたらなと思うときもあった。言葉にしたり行動したりしなければ、相手には伝わらないということを教えられた気がした。
3つ目が、言語の壁だ。民族ダンスの練習は、恐らくサンビセンテが最も難航した地区だろう。なぜなら、指導者がわたしたちの知らない言語でダンスの説明をし、他の地元の人たちも、よく理解できていない上に、英語で説明しなおすことが上手くできなかったからだ。
今落ち着いて考えてみると、自分たちの民族の踊りを、自分たちの言葉で教えたかったのは、きっとそれらに対する誇りや自尊心があったからだと思う。しかし、あのときのわたしは、ただただ理解できない言葉で、完成形の見えない動きをさせられていると感じていて、本当は英語が話せるのに話さない指導者に憤りを感じ、子どもたちにまで「calm down.」と言われ、最後には皆で泣いてしまったくらいだ。それほどまでに、言語の壁は厚く高いものだった。けれど、本当に良い体験ができたと思っている。
18日間は、あっという間に過ぎてしまって、わたしは今日本にいる。帰国してもうすぐ一ヶ月が経つが、今でもあの小学校で建設作業をし、大量のミリエンダを食べ、家に帰ったら、子どもたちにナルト!!と呼ばれて全力で走っていた、あの日々を恋しく感じている。
必ずもう一度帰りたい。ありがとうフィリピン!ありがとうRASA!
Y.Aさん 南山大学2年 かけがえのない思い出
まず、私が伝えたいことは感謝です。
ホストファミリーを含めフィリピンの人々、フィリピン人だけでなく一緒に活動した日本の仲間たち、さらにこのようなボランティア活動を行っているRASAのスタッフの方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
出発前は心配事も多くありましたが、実際行ってみると私のホストファミリーは笑顔が絶えない家族で私も自然と笑顔になり、いつの間にか心配事もどこかになくなっていました。私を家族のように扱ってくれてとても居心地が良かったです。
私がお腹を壊したときも心配してくれて、あれこれ治る方法を教えてくれて多くの優しさに触れました。私はあまり英語が得意ではないので、もっと話せたら今よりももっと楽しくなるだろうなと思い英語を勉強しようという気持ちにもなりました。
建設作業はしたことのない作業もあり、さらに暑い日が続いていたので大変でした。私はフィリピンで何日か生活してみて、時間がゆっくりと流れているように感じました。さらに、人と人とのつながりが強く感じ、日本にいては感じることのできない幸せを感じることができました。
日本に住んでいては経験できないような貴重な経験ができ、フィリピンにいたこの18日間はかけがえのない思い出です。ふとしたときにフィリピンでの生活を思い出し、懐かしくも寂しい気持ちになります。
フィリピンに行く前と行った後では自分自身成長できたように感じました。RASAのスタッフの皆さん、一緒にボランティア活動で頑張ってきたみんな、ありがとうございました。
H.Mさん 南山大学1年 RASA
今回が初めてのアジアで、フィリピンの治安やホームステイまた自分自身が英語を話せないことなど様々な不安要素があり、加えて人見知りであるためRASAに参加した人たちと上手く付き合えるかも心配だった。
実際には、マニラのホテル周辺では治安が悪く感じられフィリピンに対する印象が悪く感じられたが、ホームステイ先の人々や小学校の先生や生徒はとても親切で快く受け入れてくれ、ホストファミリーは家族のように接してくれて嬉しかった。
様々な初体験を経験することができ、学校の建設では砂振るいや砂運びを行い、食事ではバンブーライスや鳥の骨付き肉などを食べフィリピン料理は日本料理の味付けに似ていて食べやすく美味しく感じ、特に印象的な食べ物は鳥の足のバーベキューで見た目に初め抵抗を感じたが美味しかった。
そして、フィリピンではミリエンダの時間があり1日に多くて3回お菓子を食べ、その習慣が日本に戻ってからも残っていて食欲が増した。
また、早寝早起きと携帯がほとんど使えずテレビが無い環境で過ごしたことによって日本に居たときよりもフィリピンで生活していたときの方が健康的な生活をしていたと思った。
2週間のホームステイはとても充実していてホストファミリーだけでなくサンビセンテの人々と楽しく生活することができて、また会いに行きたいと考えているし2年生の第二言語でタガログ語を選択しているため、今度はタガログ語で少しでも会話ができるようにしたいと思った。
S.Oさん 南山大学1年 フィリピンでの18日を振り返って
今回のボランティアで行く事になったフィリピンは、今まで行ったことのある国とは大きく違いました。
貧しい国。フィリピンに行く前は、そういう印象が強くありました。
しかし、実際に行ってみると、その考えを改めさせられました。
確かに、フィリピンで暮らす人々は日本のように物が多くあるわけではなく、決して豊かとはいえない生活を送っていました。しかし、その一方で家族や隣近所のつきあいを大切にし、貧しいながらも楽しそうに暮らしていました。
もう一つ驚いたのが、フィリピンが想像していたよりも日本と関わりが深かったことです。至るところに日本製の車が走っていたり、カラオケが存在したり、日本のアニメが放送されていたり…。
そんな国で温かく迎え入れてくれたホストファミリーには感謝してもしきれないほど親切にしていただきました。
初めて体験するホームステイとあって、不安も多くありましたが、家族のように接してくれた彼らの優しさは一生忘れられない思い出です。
学校で作業をしている傍ら、子供達と接した時間も思い出深いものです。子供は苦手ですが、彼らの元気と笑顔はとても心癒されるものでした。
各班で一つ教室を受け持ち、日本の文化を教える授業を行った際には手を焼かされましたが、私達が折った折り紙で楽しそうに遊ぶ様子を見れば、そこで味わった苦労も報われた気がしました。
ホームステイ滞在最終日では現地の方々が私達の別れを惜しんでくれました。学校側から紙とフィルムで作られた花とマグカップが贈られ、ホストファミリーからもTシャツや英比辞書、写真などが贈られました。どれも我が家で大切に保管されている宝物です。さらに、帰る支度をしているなか、私が美味しいと言っていたお菓子や山で採れたという蜂蜜を包んでくれました。
最後に、「ここは日本から遠く離れたあなたの故郷よ。いつでもここに帰っておいで」とホストマザーに言われ、深い感銘を受けました。
フィリピン滞在最終日には、スモーキーマウンテンを訪れました。かつてほど不衛生な場所ではないとのことでしたが、漂う独特の臭い、建設途中で放り出された施設や密集した住宅地にひどく衝撃を受けました。きちんと舗装されている道路も、昔はゴム靴がないと歩けなかったと聞いて驚きました。そんな場所で暮らしながら、突然現れた日本人に警戒することなく笑顔で「Welcome!」と言ってくれた住人に、フィリピン人の人懐っこさと優しさを見たような気がしました。
帰りの飛行機に乗った時、最初に思ったのは「ああ、終わってしまうんだな」という気持ちでした。フィリピンでの生活は日本ほど恵まれた環境ではありませんでしたが、澄んだ空気の下見える星々や突然来訪したにもかかわらず食べきれないほどのおやつや飲み物を用意してくれる人々を見ていると、本当の意味での豊かさとは何なのか考えさせられました。
数年後、ホストファミリーの一人は学校の制度を利用してフィリピンから日本に行くと言っていました。その時には彼女を日本で迎え、かつてお世話になった恩を報いたいと思います。また、イロカノ語は話せないにせよ、タガログ語を少しでも覚えて、再びアバヤのホストファミリーのもとを訪ねたいです。
最後に、このようなボランティアプログラムを設け、大切な思い出と素敵なホストファミリーと出会う機会を作ってくれたRASAの皆さんに多大な感謝を。本当にありがとうございました!
K.Oさん 椙山女学園大学3年 「笑顔」
フィリピンから日本に帰国して最初に思い出されたのは、現地の人々の「笑顔」だ。
私の中でフィリピンという国のイメージは、発展途上国、貧富の差が激しい、教育制度が不十分など、表面上からわかるものしかなかった。確かに、フィリピンに到着してからビトンでの生活が始まった当初は、日本と比べた時のフィリピンとの生活水準のあまりの違いに驚きを隠せなかった。トイレを手動で流さなければならない、手洗い場はほとんどない、タオルは貴重品。
実際に現地へ行ってみて分かったことは本当に多く、そして日本という国が、日本人が、いかに恵まれた環境で生活を送れているのかということが改めて実感できた。しかしながら、豊かさを保つために私たち日本人、特に現代人が時間や自由といったものを犠牲にしてきていることがフィリピンでの生活を通して分かったことでもある。
フィリピンで生活をしている間は本当に時間の流れが穏やかだった、というよりは時間を気にするという場面がほとんどなかった。これを「適当」と一言でいってしまえばそうなってしまうかもしれないが、それだけではなく、そこには現地の人々の優しさやそして前向きさがあり、それらが彼らの「笑顔」の源になっているのではないかと私は感じた。
ビトンの人々は、どんな時でもたいていは笑っていた。だから私もつられて、例えばその日が何事もない日だったとしても、笑って過ごすことができた。なんともないようなことでも大笑いし、とりあえずその日を笑顔で過ごしている彼らの姿を見て、日本での忙しすぎた日々の中で忘れていたものを思い出させられたような気がした。つまり、「笑顔で、楽しく生きる」ということを。
フィリピンでの18日間の生活を終えて日本に帰国したとき、私は日本人の「笑顔」の少なさに逆カルチャーショックを受けた。
どうして日本人は皆が皆、つまらなそうな顔をしているのだろうか。確かに、日本は豊な国だろう。だが、私たちが持っていないもの、なくしてしまったものをフィリピンの人々は持っている。そして、それは人として生きていく中で大切なものであると彼らと共に過ごしたことで知ることができ、生活面の違い以外でも様々なことを彼らから学ぶことができたと感じる。
18日間という短い期間ではあったが、この間に学び感じたことはこらから先、自分の将来を決める選択をしていく際のきっかけの一つになったと思う。だから、今回のことは私にとって本当に充実した、忘れられない経験となった。
C.Fさん 椙山女学園大学1年 フィリピンで体験したこと
私は今回初めてRASAに参加して、いろんな体験をすることができました。
そして人と人とのつながりはすごいと改めて実感できました。実際フィリピンに行く前は、不安でいっぱいでした。向こうでホームステイ先の人たちとうまくやっていけるかどうか、向こうの食生活や文化に合わせられるかなどさまざまなものでした。
でもそのような不安はすぐになくなりました。まず学校建設をしている間にも、子供たちとの出会いがありました。フィリピンの子供たちは、とても無邪気で明るくて見ている方まで元気になれます。子供たちが折りなどの日本の遊びを、楽しそうにしている姿を見てとても嬉しくなりました。
また、私はアバヤという村にホームステイをしました。アバヤはみんなが一つの家族のようにみえました。そして私のホームステイ先の人たちは、とても仲がよく私をまるで家族かのように迎えてくれました。
毎日たくさんのおいしいご飯を作ってくれたり、洗濯もかかさずしてくれました。しかしフィリピンでの生活は、日本とは全く異なるものでした。日本では当たり前のように使っている電気は、向こうではそうではありません。私が滞在している間にも何回か停電が起きました。そしてわたしのホームステイ先にはシャワーはありませんでした。
でもこのような経験をして、当たり前という考え方は変わりました。私が心に残っているのは、ホストファミリーが言った”お金がなくても幸せ”という言葉でした。私も実際フィリピンで暮らしてみてその言葉の意味が分かったような気がします。
私は、正直軽い気持ちでこのボランティアに参加したけど、このボランティアから学んだことはとても大切です。この活動で少しでも誰かの役に立つことができていたらいいなと思っています。これからもこの経験を忘れずにすごしていきたいです。