フィリピンの恵まれない児童に学校を! 給食を! 教育こそ貧困の連鎖を断ち切る力になる

ボランティアの声2012年

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M.Sさん RASA♡PHILIPPINES

CIMG0191このRASAは校内に張ってあったポスターを見て、ただ単に行ってみたいなあという理由で参加することに決めた。知っている人は誰もいなかったし、ボランティアをやったこともなかったけれど、やってみたいという気持ちが強かった。結果、とてもいい経験になり、素晴らしい思い出ができ参加してとてもよかった。初めは急に一緒に住むことになって戸惑っていたように見えた子供たちも、どこかへ出かけるときは常に手をつないでくれたり、何よりAte Miki と呼んでくれる声はとてもうれしかった。学校建設の手伝いをしているときも毎日トライシクルに乗せて行ってくれて、メリエンダとして朝から作ってくれたおやつを持たせてくれ、お昼時になると、昼食を持ってきてくれ、この朝食は最初はとても衝撃を受けた。多すぎてとてもすべて食べられるような量ではなかった。“働いているんだから食べないと“とか“日本に帰った時にやせたねって言われないようにちゃんと食べなさい”と。メリエンダもあって十分なのにって思いつつ。私にとってご飯は口にあいとても美味しく感じた。帰りも迎えに来てくれて、帰った後はまず休憩しなさいとミルクを毎日出してくれ常に気を使ってくれた。私のホストファミリーには小さい子もいて全く英語は話すことができなかったけれど、言語の違いなんて関係なかった。理解しようとすればある程度は言っていることが理解できた。コミュニケーションをとるのに言語の違いなど問題ないと思えた。家族みんなでそろってご飯を食べ、話をしたり、テレビを見たり…日本ではバイトへ行ったり、友達と遊びに出掛けたりと家族そろってということはあまりないので、まるで本当の家族かのように温かさを感じ、とても幸せだった。毎日朝早くから大音量の音楽を流しながら大きな声で歌って、私の家は常に歌声と笑い声が響いていた。

学校が完成し、完成したら子供たちがあの校舎で学ぶ、子供たちの笑顔であふれる、想像するだけでとても幸せな気持ちになる。完成したら必ずまたフィリピンへ行く。

日本へ帰った今、ほぼ毎日メッセージを送ってくれ、Skypeやろうって週に2,3回は元気そうな顔を見せてくれたり、あれっきりではなくこれからもずーっと続くんだと言い切れる関係になれた。Angeles city に着いた時のあの歓迎と出発する時のあの見送りは私は一生忘れない。

I LOVE PHILIPPINES ♡ I LOVE RASA ♡

H.Sさん フィリピンで得たおおきなもの

高校2年生の時に植林と子供たちへの支援物資のボランティアで同じようにフィリピンに行きました。そこで自分たちのやってきたことに何かを感じ、また初めてのストリートチルドレンとの出会いに衝撃を受け、今回の2回目のフィリピンボランティアへの参加を決めました。困っている人たちの役に立ちたいとかボランティアが好きだとかの理由ではなく、ただ単にもう一度足を運んで、考えたいと思ったのです。
フィリピンでのホストファミリーとの生活やさまざまな光景、たくさんの出会いから私が考えさせられたことは数え切れないくらいあります。自分の中だけが世界でないこと、世界は本当に広いということに改めて気づきました。国の分だけ人の分だけ価値観や生活があって、人や文化によってそれが普通であったり異常であったり。上手に言葉では表せませんが、その世界中の一人一人のそれが集まってこの大きくて面白い世界ができあがっているということを、現地での生活の節々で考えました。だから、これが正しくてあれは間違っているとか、正当なやり方とかそういうものはこの世の中に無いに等しいことなんだと思います。
私は高校時代にフィリピンでストリートチルドレンに出会って、将来この子たちのために自分の力を使えたらと考えるようになりました。そのために自分はどんなことができてどこに向かっていこうかと色々考えていました。今回の参加で少しでも将来が具体的になればとも思っていました。しかし帰ってきて今、私はその自分の夢から少し離れています。自分が考えていた将来を離れたところから見直すきっかけを、私は今回のボランティアへの参加で得ました。他人のために、しかも他国の困っている人のために何かをするということはその人に、その文化に入り込むということです。ある状態を変えてしまうのではなく、少しでも世界中が平等に幸せに近づけるようにお手伝いができればいい。これが今のところ自分の中で出した結論です。文面に出すと訳がわからなくなってしまいましたが、これほど難しくて複雑で、でもとても重要なことを考えさしてくれたのがこのRASAのボランティアです。
また、ホストファミリーには家族の大切さを教えてもらいました。一人暮らしをしている私にとって親戚中が一緒に暮らしているフィリピンの生活スタイルは、とてもあたたかく幸せな空間でした。お別れの日にママが「1ヶ月に1回だけでも家に帰って元気な顔を親に見せなさい。それが家族の安心と大きな繋がりを作るのだから。」と言われたときははっとなりました。時間がないから、お金がかかるからといってここは削るべきではないと気づかされました。
今回の機会を与えてくださったRASAのスタッフのみなさん、受け入れてくださったホストファミリー、行かせてくれた家族、常に支えてくれたメンバーのみんな、全てに感謝しています。ありがとうございました。これからも繋がっていましょう!

M.Sさん 2012年RASA感想文

 フィリピンでの17日間は、短いながらも非常に濃い思い出になりました。その間の日記を読み返してみると、日本とはまったく違う日常を過ごしていた自分がいて、人間は意外とどんなふうにでも生きていけるものだなあと思います。
私のホストファミリーはお世辞にも裕福とはいえず、朝三時にはもう起きて仕事を始めていました。軽食を売る仕事だったのですが、そのおかげかホストマザーはとても料理上手で、私は食生活にはちっとも困りませんでした。今でもときどき、お気に入りだったスープが飲みたいなあと思い出します。
フィリピンに行って驚いたことは、みんなのゴキブリへの反応のドライさと、他人との距離の近さです。家には常に親戚の誰かがいて、それが当たり前になっています。チャイムもなく気軽に入ってきます。フィリピンの人はきっと孤独死とかはないだろうなと思います。
実際の学校建設は、思った以上に大変でした。私たちが運ぶ砂やセメントの倍の量を軽々と持ち運ぶ現地の人はさすがでした。それに比べると当然微力ではありましたが、どうか少しでも役に立てたらと思って作業していました。話は変わりますが、私がホストファミリーにボールペンをお土産のひとつとして渡したとき、それを真っ先に持っていったのは12歳の男の子でした。さっと近寄ってきてさっと取っていきました。もし私が同じ年、同じ状況だったならば、その子のように迷いなく筆記用具を欲しがっただろうかと疑問に思います。日本の恵まれた環境では、「教育を受けられる」なんていうのは当たり前中の当たり前で、その価値は忘れられがちです。それは日本にいては絶対に気づけないことでした。子供たちのあの明るい笑顔を見ていると、少しでも多くの子供たちが教育を受けられるように願わずにはいられません。
自分の環境を見つめなおし、外の世界に目を向け、なおかつ忘れられない楽しい思い出を得られる。このような貴重な機会を与えてくださったRASAの皆様に深く感謝します。

K.Sさん ~フィリピンで滞在して~

 私は様々な光景をフィリピンで見てきた。その中で今でも特に印象に残っていることのひとつに、フィリピンの格差問題に関する光景がある。ニノイ・アキノ空港に着陸する直前に見た高層ビル群や、アンへレス市やマニラ市にあったショッピングモールなどの日本でもなかなか見ることのない光景が広がる一方、それらの施設から一歩外に出て町の中を歩くと、古びた家が広がっている貧しい光景があった。もちろん、建物だけでなく、所持しているものにもひどく格差が表れていた。1台7万円くらいするアップル社やサムスン社のケータイを持っている子供もいれば、1台30円のプリペイドケータイを持っている大人、さらにはケータイを持っていない大人も多数いた。他にも、パソコンやテレビ、シャワーやガスなどありとあらゆるもので非常に大きな格差が存在していた。ここまで格差が生じていることに対して、とても驚かされたし、この社会問題を放置していては良くないと思った。
日本に帰って来てフィリピンで見てきた光景を振り返ってから、ないのかもしれないけど、今の自分に少しでもこの社会問題を解決出来る方法はないだろかと考えるようになった。今でも時たま、マニラにたくさんいたストリートチルドレンの子やスモーキーマウンテンにいた子の顔を思い出す。この問題は容易には決して解決出来ないだろうし、自分1人で解決出来るものでもない。でも、世界中のたくさんの人々が協力していけばきっと解決するに違いないと思うし、解決しなければならないのだと思う。
このように思えるようになる機会を与えてくれた今回のボランティアプログラムに、参加してとても良かった。普段の日本での日常だと、この様な思いを持つのはなかなか大変だろうし。それと、フィリピンの人々と触れあえたのは、良い経験になったと思う。今の日本にはそう簡単には見ることの出来ない、近所付き合いをはじめとする人との接し方を経験したからである。特にホストファミリーは自分を本当の家族として扱ってくれた。最初は少し違和感がしたけど、そのことは自分にとって、とても嬉しかった。他にも、夜に近所の人とくだらない話をすることも楽しかった。これも今の日本ではそうそう見ることのないことだろう。
これらのことを経験出来る機会を作ってくれたスタッフの皆さん、ありがとうございました!そして、一緒に参加した皆さん、お疲れ様でした!

A.Wさん

私がこの活動に参加したきっかけは、学校で配られていた小さな紙でした。大学に入学し何か新しいことに挑戦してみようと思ってはいたけれど、何から始めていいかわからなかった時たまたまRASAの活動を知り、とりあえず説明会に参加してみようと思ったのです。そこで見た以前の活動の様子の写真を見て、「絶対行ってみたい!」と思いました。もちろん不安がなかったわけではありません。フィリピンに行くのも、海外でのボランティアやホームステイをするのも初めてだったし、RASAのスタッフさんたちから現地の状況(お風呂がないとか)を聞いて、本当に17日間もそんなところでやっていけるだろうかと迷ったりもしました。しかし、実際に行ってみるとそんなことはほとんど気になりませんでした。

現地で生活は日本と比べると確かに不便でした。しかし、そこで暮らす人たちは家族や近所の人など、お金では買えない人との繋がりをとても大切にしていて、幸せそうでした。

慣れない作業や、プライバシーがあまりない生活、日本とは違う食事に惑い、イライラしたこともあり、日本にいたら・・・と比べてしまう思うこともありましたが、仲間と話し悩みを共有したり、RASAのスタッフさんに相談に乗ってもらうことで乗り越えることができました。

ホストファミリーは私のことを本当の家族のように扱ってくれました。到着してから5日ほどたった日に、ホストマザーの妹が交通事故で亡くなりました。私はその妹さんと一度会っただけでしたが、ホストマザーは私をそのお葬式に連れていってくれました。数日前にきたばかりの外国人の私を、そのような親族の大事な席に連れて行ってくれたのです。

私たちはお互いに母国語でない英語でコミュニケーションをとっていたので、なかなか意思疎通ができなくて困ったこともありました。でも、Kapampanganという現地語を教えてもらったり、なるべく相手の言っていることや文化を理解しようと努力しました。彼らとは今でもよくメールをしています。

またRASAのメンバーはいい意味で上下の関係が希薄でした。違う学年・学校でまったく違うことを学んでいる人たちと話をするのは、とても貴重な経験で自分の将来について考える良いきっかけにもなりました。

教室がちゃんとあって一日中授業が受けられる、蛇口をひねればいつでもきれいな水が出る、そんな今まで当たり前だと思っていたことが当たり前ではないことに気づかされました。そして、何を幸せと感じるか、人生や日々の生活の中で何を大切と考えるかは、文化や人それぞれによって異なるということを改めて実感しました。この17日間は今までの人生の中で一番内容の濃い17日間だったと思います。ボランティアというよりは、学校では習えないたくさんの大切なこと学ばせてもらった、という印象が強いです。

私たちを暖かく迎えてくださった現地の人々、RASAのスタッフの皆さん、両親、そして大好きなホストファミリーには本当に感謝しています。本当にありがとうございました。

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