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ボランティアの声2007年

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2007のボランティア参加者は総勢32名。
南山大学の学生28名とRASAの主宰者である南山大学名誉教授で神言会神父のジョン・シーランド先生と事務局、建設技術者など引率者が三人。
2007年はRASAがマニラの北に位置するブラカン州にあるタングロウという集落に、少ない収入で厳しい生活を営んでいる人たちに、生活支援の為の建物を日本でお願いした寄付金で建設するのを手伝うのが目的であった。
32名のボランティアは一人ずつホスト・ファミリーの家庭に分宿。  夕方、現地に到着すると一人ずつ荷物を持って紹介された家庭へ。 自分のためにわざわざ準備してくれたと一目瞭然のにわか作りの個室へ案内されて15日間過ごす部屋をグルッと見わたす。 ほどなくホストのお母さんが「足りないものはないですか?」と入ってきた。 後ろから6歳くらいの女の子と4歳くらいの男の子、ヨチヨチ歩きの女の子がついてきていた。 後でわかったのだが、この部屋はお母さんの妹が使っていた部屋だったが、私を泊めるために妹をマニラの知り合いの家に預けたのだそうである。
ホストのうちで出される食事は日本と味付けは同じで違和感なくおいしく食べる事ができた。  昼食はお弁当を夫々のお母さんがデザートのトロピカルフルーツなどを添えて持ってきてくれた。 そのほかに、10時と15時にミリエンダといっておやつと飲物を運んでくれた。 建設作業で小腹がすいている時間帯なのでおいしくいただけた。 おやつといってもビーフンの肉入り焼きそば風の物などもありちょっとした食事だった。

毎日の生活は朝9時からの作業開始にあわせて時間を見計らって起床し、身支度,食事を済ませ現場へ出かけた。 毎朝近所の人たちまでがにこやかな顔で見送ってくれるのには、最初のうちはとまどいを感じたがそのうちに慣れ「マガンダンウマガ」(おはよう!)と覚えたてのタガログ語でちょっぴり恥ずかしかったが口にしてみると「マガリン・マガリン」(うまい上手だ)と返ってきた。
夕方、作業から帰ると汗で濡れた身体を洗いたい。ホストに頼むとトイレと同じ土間にバケツ2個に井戸水を満たしてくれた。 意外に冷たい、思い切ってエイ、ヤーとばかり空き缶で作られたひしゃくで水をかぶった。 日本から持ってきた石鹸とシャンプーで洗った。 爽快だった。 夕食はアドボという日本の肉じゃがに良く似た料理だった。 おいしかったのでお代りをしたらマサラップ(おいしいか?)とママにいわれた。 うなずいたら家族一同がドット笑った。 それは、私の口に合うか心配していたのが問題解決の瞬間だったからである。
食後、子供達と遊んでいるとドヤドヤと5~6人の人が入ってきた。 近所に住む親戚の人だという。 「マガンダンガビ」(こんばんは)と言いながら握手で挨拶。 「日本のどこに住んでいる」「家族は?」「雪が降るか?」 2時間ほど質問と回答の連続だった。 楽しかった。 相手の名前を直ぐに覚え切れなかった。 ホストのお父さんにもう一度誰が誰かを教えてもらったが半数しかわからなかった。 みんなよさそうな人たちばかりだった。

ホストのママは英語がしゃべれるが、お父さんはママほどではない。それでもボディーランゲージを交えて楽しく会話が出来る。 ハイスクール(日本の中学生)2年の長女がよく友達を連れて遊びに来てくれた。
「ボーイフレンドは何人いる?」と聞くと悲鳴に似た声でキャーといって笑いこける。 「好きな科目は?」というと真剣な表情に変わった。 「数学」「英語」「美術」とさまざまな答えが返ってきた。 「将来どんな仕事に就きたい?」 「看護士」「コンピューター関係」・・・「日本に行きたいが・・・」という子もいた。 日本で介護関係の仕事に就きたいという。 夢を叶えてあげれたらと思った。
だんだんと終わりの日が近ずいてきた。 フェアウエル・パーティー(さよならパーティー)で披露する歌と踊りの練習も熱お帯びてきた。 最初は気乗りがしなかったが日が経つにつれホストファミリーや近所の人に感謝する気持が高ぶってきて、いつしか真剣になっていく自分が不思議だった。 このままここに残れないだろうかとさえ考える事もあった。 日本に、家族や友人がいることさえ感じなくなって、パソコンも携帯もない貧しいここに。 今のこの気持はなんだろうと思った。
単純に、この地を離れなければならないという事実がこんなに自分をつらくするのは何故だろう。 日本では何不自由なく、ほしいとき欲しいものが手に出来、あたたかいシャワーにも風呂にも入れるのに・・・。   いよいよ別れのその時が来た。 大型のバスがやって来た。旅行カバンが積み込まれてゆく。自分のが積み込まれてゆく。 当たり前の事だが・・・。気がつくと自分の周りにはホストファミリーの家族みんなと親戚の人や近所の人たちの人垣が出来ていた。 ママが精一杯の思いで作ってくれたブラウスを手にして抱きついてきた。
サラマッポ(ありがとう)と言おうとしたが唇がままならず、声にならない。 突然ウワーッ!という声だけがひとりでに出てしまった。 ママも同じだった。 ハイスクール2年生ローズマリーがいつしか抱きついてきていた。やはり大声で泣きじゃくっていた。「アテ!アテ!・・・」(おねえちゃん!)とだけいっていた。 やっとの思いで言えたのは「きっとまた帰ってくるからネ」「手紙を送るヨ」・・・・・。バスに乗りたくなかった。 これまで経験したことのない悲しい事だった。

不思議な事に日本に帰ってきて、これまで自分で起床できなかったのに平気で起きれるようになった。 勉強では中身が新鮮に思えるような気がして一段と興味がわいてきた。 これまではただ漫然と学校に行っていたような気がした。 それが帰国してより積極的になった自分を感じた。 フィリピンンのハイスクールのローズマリーたちが、真剣に将来を考えている姿に刺激されたのも事実である。 しかし、ただそれだけではない。 ボランティアに参加した学生仲間のひたむきさも大きく影響しているかもしれない。 今思うと、いい仲間たちであった。 大切にしたい友情がそこに芽生えていたのも事実だ。 この経験はお金では買えない。 RASAのボランティア活動に参加したからこその発見である。

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